見出し画像

入玉宣言法の不条理

将棋における入玉宣言法という滅多に発生しないルールが議論になっています。個人的にも不条理を感じるので、内容を整理しておきたいと思います。1-3項はルールのおさらいなので、知っている方は4項からご参照ください。


1.勝負の決着

将棋は相手の玉を詰ますゲームです。日本将棋連盟のHPには、「相手が何を指しても次に玉を取られる状態を『詰み』といいます」とあります。ただ実際には詰みの局面まで指されることは滅多になく、数手先に詰むことがわかった時点、あるいは大差が付いて逆転不可能になった時点で、負けている側が投了することによって決着することが普通です。
プロの棋戦では、どの局面で投了するかは敗者の権利とも言われ、各棋士の将棋に対する哲学とか美学が表れるところでもあります。以前は一手違いの形づくりをするとか、差が付いたら詰みまで指すのは美学に反するという考え方もありましたが、最近は初心者の観る将のため、わかりやすく数手先に詰む状態まで指し続けることも多くなってきたように思います。

2.持棋将

将棋は前方への利きが強い駒が多いので、相手玉が自陣に侵入してくると詰ますのが難しくなります。双方の玉が入玉し、どちらも相手の玉を詰ます見込みがなくなった場合を持将棋と言います。対局者の合意により持将棋が成立すると、大駒1枚5点、小駒1枚1点の点数勝負となります。アマチュアの大会では引き分けを避けるため27点法が採用されることが多いと聞きますが、日本将棋連盟は24点法を採用しており、双方が24点以上であれば指し直し、どちらかが24点に満たなければ満たない方の負けとなります。

3.入玉宣言法

点数が足りない側が持将棋に合意しない場合、延々と対局が続くことになりますが、日本将棋連盟は入玉宣言法というルールを2013年から暫定施行しています。これは宣言する側が下記条件を満たせば、勝ちまたは指し直しにすることができるというものです。

 [条件1]宣言側の玉が敵陣3段目以内に入っている。
 [条件2]宣言側の敵陣3段目以内の駒は玉を除いて10枚以上存在する。
 [条件3]宣言側の玉に王手がかかっていない。
 [条件4]宣言側に上記1-①による点数で
 A.31点以上あれば宣言側が勝ち。
 B.24点以上30点以下であれば無勝負とし、持将棋指し直しとなる。
 ただし、点数の対象となるのは、玉を除く宣言側の持駒と敵陣3段目以内に存在する宣言側の駒のみである。
 尚、条件1~4のうち一つでも満たしていない場合、宣言側が負けとなる。

日本将棋連盟HPより引用

施行されて10年が経ちますが、これまで1度も入玉宣言法が成立したことはありません(女流棋戦で1例あり)。A.の場合であれば負けている側が投了し、B.の場合であれば対局者が持将棋に合意するのが、暗黙のルールだったのだと思います。最後の1行、条件を一つでも満たしていない場合は宣言側が負け、というのも、このルールが適用されない大きな理由になっていたかもしれません。

4.議論の発端

今回の議論の発端となった対局は、永瀬王座が防衛すれば永世称号獲得、藤井竜王名人が奪取すれば全八冠制覇という歴史的なシリーズとなった第71期王座戦五番勝負の第二局です。150手目あたりで藤井竜王名人の入玉が確定し、永瀬王座の点数は竜を取られた時点で22点しかなく、自陣には取られそうな駒も多くて24点以上確保するのは難しい状況でした。持将棋になっても藤井竜王名人の勝ちは確実と思われましたが、永瀬王座は相入玉を目指し、200手を超えて指し続けました。最終的には藤井竜王名人が入玉寸前の永瀬王座の玉を捉えて即詰みに討ち取ったため、持将棋にはなりませんでした。
ネットでは「もう投げろよ」「みっともねえなあ」「後世に残ってほしくない棋譜」といった批判的なコメントが相次ぎ、「執念すごいな」「人生の全てをかけて戦ってんだよ」といった擁護のコメントも溢れていました。

5.個人的見解

永瀬王座の心中は本人にしかわかりませんし、勇気ある記者さんが問い掛けても、本音を答えてくれるとは限りません。ただ永瀬王座が指し続けたのは、たとえわずかでも勝つ可能性があると考えていたからなのは間違いありません。藤井竜王名人の強さを誰よりも知っていると公言して憚らない永瀬王座が、相手のミスで逆転したり、点数を増やして指し直しにできると思っていたとは考えにくく、むしろ条件を勘違いして宣言者が負けになる可能性に賭けていた気がします。前期順位戦でマスク着用義務違反による白星を拾った永瀬王座にとって、ルールを最大限に活かして勝ちに拘るのは自然なことかもしれません。
永瀬王座の粘りが妥当だったのかどうかについては、どちらの意見にも一理あり、本稿ではこれ以上触れるのは控えたいと思います。藤井竜王名人は入玉宣言法をきちんと理解していたと思いますし、結果はどうであれ、この注目対局が入玉宣言法適用第一号にならなくて、本当に良かったと思います。

6.入玉宣言法の改善案

私が不条理に感じるのは、条件を一つでも満たしていない場合は宣言側が負け、というルールです。
投了というのは敗者を慮る素晴らしいルールだと思いますが、入玉宣言法はそれを逆手にとって勝者に負けを突き付けるようなルールだと思います。相入玉の将棋は手数も多く、秒読みに追われながら条件を確認するのは、対局者にとって相当難易度が高い作業だと思います。将棋ファンも明らかに勝っている棋士が宣言ミスで負ける姿など見たくありません。
千日手の判定をタブレットで行えるのと同様、入玉宣言の条件を満たしたらタブレットが知らせてくれるようにはできないのでしょうか。技術的には簡単なことだと思います。少なくとも、宣言ミスは負けというルールは、即時撤廃して欲しいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?