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祝「初防衛」藤井聡太棋聖の防衛戦

藤井聡太棋聖が挑戦者の渡辺明名人を退け、初防衛を果たしました。18歳11か月での防衛は、屋敷九段が持っていた19歳0か月という記録を更新するタイトル初防衛の最年少記録だそうです。同時にタイトル獲得通算3期となり、規定により九段に昇段しました。これも渡辺名人が持っていた21歳7か月という記録を大幅に更新する最年少記録となりました。藤井棋聖ご本人は、以前からこのような記録をあまり意識されていないようですが、将棋ファンが藤井棋聖の凄さを客観的に認識する数字としては重要です。今回の偉業を機に、私が思う藤井棋聖の凄さや魅力をまとめておきたいと思います。

■渡辺名人の戦略に対して

前期は緊急事態宣言明けにバタバタと挑戦者が決まり、相手に対する十分な情報もないまま敗れた渡辺名人が、今期は充分な情報を得て可能な限りの対策を立て「これからの自分の立ち位置を考える上でも大きな試金石となる」という決意で臨んだ五番勝負でした。

第一局に先手となった渡辺名人が最初に見せた作戦は、2月の朝日杯と同じ相掛かりでした。朝日杯は渡辺名人が終盤まで勝勢を築いた将棋でしたが、渡辺名人の方から前例を離れて自分の研究範囲に誘い込む作戦でした。渡辺名人が変化した手は、藤井棋聖も対局後「それもあるかと思っていた」と話しているので研究していたようです。両者がどこまで研究していたのかわかりませんが、先にバランスを崩してしまったのは渡辺名人でした。飛車取りに打たれた香を放置して角道を開けた手、玉頭を狙って跳ねてきた桂を自陣の桂を跳ねて迎え撃った手。自分の読みにない手を次々と繰り出された渡辺名人は、少しずつ形勢を損ねてしまいました。自分だけが知る世界に誘い込んだつもりの渡辺名人は、戸惑うことなく振る舞う藤井棋聖の前になすすべなく大切な第一局を落とします。

渡辺名人の作戦の一つは、序中盤は研究範囲に誘い込み持ち時間で圧倒的優位に立つことだったのではないかと思います。これは第一局から思い描いていた作戦だと思いますが、実際に各局とも中盤には渡辺名人が1時間以上持ち時間を多く残す形になっています。しかし渡辺名人の誤算は、藤井棋聖は残り10分になると1分未満で指すことで持ち時間を減らさないし、指し手の正確性が失われなかったということです。特に顕著だったのは第二局で、まだ中盤の65手目を指した時点で藤井棋聖の残り時間は7分になりました。ここから終局まで難解な中終盤を100手以上指し続けたのですが、藤井棋聖は終局時点で2分残しており先に1分将棋に追い込まれたのは渡辺名人でした。第二局も落とした渡辺名人は、早くも崖っぷちに立たされます。

第三局に渡辺名人が選択した作戦は矢倉でした。藤井棋聖が受けて立ち、最近最も流行している急戦調に進めることは、渡辺名人もかなりの確率で予想していたように思います。渡辺名人が藤井棋聖の想定していなかった銀の動きを見せ、2筋から襲い掛かったところまでは作戦通りだったはずです。ここで藤井棋聖が1手間違えれば、瞬く間に渡辺名人が押し切ったのかもしれません。しかし藤井棋聖は最強の受けを見せ、研究範囲を外れたと思われる渡辺名人も長考の末最強の攻めを継続します。この後、両者はどちらが勝ってもおかしくない白熱した攻防を繰り広げましたが、勝利の女神は渡辺名人の研究を避けたり逃げたりしなかった藤井棋聖に微笑みました。

渡辺名人は前期の棋聖戦で失冠後、豊島竜王・名人(当時)から名人を奪取しました。更に王将戦では永瀬王座、棋王戦では糸谷八段、名人戦では斎藤八段を挑戦者に迎え、フルセットにもつれ込むこともなく防衛を果たしてきました。第一人者としての貫録を示してきた渡辺名人が、今期の棋聖戦では充分相手を研究し充分時間を掛けて戦略を練り上げたはずでした。しかし藤井棋聖の成長は、渡辺名人の想定を上回ってしまったのかもしれません。

■藤井棋聖の成長

藤井棋聖が昨年と目に見える形で変わった点は、あどけなさの残る少年の表情がきりっとした青年の表情になり、対局中の姿勢も背筋が伸びて堂々としてきたところでしょうか。

盤上では、昨年まで先手では角換わりか矢倉しかなかった戦型に、今年2月から相掛かりを加えて幅を広げています。相手に的を絞りにくくさせるという意味でタイトル戦対策かなと思っていましたが、藤井棋聖は防衛後の記者会見で「もう少しいろいろな展開の将棋を指した方が、自分にとっても面白いのかなと考えています」と話しています。タイトル戦のためといった短期的な目的ではなく、自らの成長という長期的な目標達成のため、興味深く最先端の戦型を取り入れただけという感覚なのだと思います。

目に見えにくい形で大きく変わったのは、やはり様々な局面に対する経験値が増え、多少見たことのない局面に誘導されてもバランスを大きく崩すことなく凌いでいるように見える点です。藤井棋聖は昨秋から今春まで19連勝を記録しましたが、その間ほとんどの対局で1度も相手側に形勢が傾くことがなく、中盤に得たわずかなリードを徐々に広げてそのまま押し切っています。AIの形勢判断が徐々に藤井棋聖に傾いていく様子を表す「藤井曲線」という言葉も生まれました。早指し棋戦の朝日杯では相手に大きく形勢が傾き逆転勝ちという将棋もありましたが、ある程度持ち時間のある棋戦では序中盤の安定感が格段に向上しています。藤井棋聖は先日の王位戦第一局で、珍しく序盤の失敗からそのまま押し切られてしまいましたが、それ以外の敗局はいずれも中盤までは互角の内容で、先に踏み込んだ藤井棋聖の攻勢を相手が完璧に対処した結果であり、序中盤の安定感は飛躍的に向上しています。

■今後への期待

藤井王位・棋聖が負けるのは、成立するかどうかギリギリの仕掛けに対して読みにない好手で応じられ、苦しい状況で繰り出す勝負手にも適切に対処された場合だと思います。この「ギリギリの仕掛け」というのが無理攻めと紙一重なので、これを自重するともっと勝率が良くなるのかもしれません。ただ、常に前へ前へと踏み込んでいく姿勢は藤井王位・棋聖の魅力でもあるので、個人的には失って欲しくないポイントです。たまには苦しい状況からの逆転勝ちも観たいですから。

既に王位戦七番勝負も開幕しましたが、藤井王位にとって挑戦者の豊島竜王はラスボス的存在で、王位戦第一局終了時点で1勝7敗と大きく負け越しています。豊島竜王に対しては、既に叡王戦での挑戦権を獲得し、竜王戦でも挑戦権を得る可能性があります。もし豊島竜王との相性の悪さを克服することができれば、いよいよ四強時代から藤井時代への幕開けとなるかもしれません。これまで何度も将棋界の常識を覆してきた藤井王位・棋聖が、これからどのような成長を魅せてくれるのか楽しみで仕方ありません。

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