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「観る将」が観た第92期棋聖戦第三局

7月3日、第92期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負第三局が、沼津御用邸東附属邸第1学問所で行われました。ここまで藤井聡太棋聖が2連勝し、前日のインタビューでは「防衛のかかった一局という形になりますが、そのことは意識せずに明日も盤上に集中して一局指せれば」と話しています。カド番の渡辺明名人は「ここに向けての準備という点では、十分な間隔が空いている」「一つ返していきたい」と意気込みを話しています。

渡辺名人が先に灰色の着物に白の羽織で入室し、続いて藤井棋聖が濃緑色の着物に明るい水色の羽織で入室しました。大雨の音が室内にも聞こえる中、渡辺名人は初手角道を開けます。藤井棋聖はいつも通り、お茶を口にしてから飛先の歩を伸ばします。注目された渡辺名人の戦型選択は矢倉でした。藤井棋聖は急戦調の駒組みから飛車を7筋に寄せ、雁木に構えます。

渡辺名人が3筋から仕掛けると、藤井棋聖は7筋から反発します。渡辺名人が▲6六銀とかわすと藤井棋聖の手が止まります。次に△6五歩と突くと、銀が逃げれば角が成り込めるのですが、渡辺名人の用意した研究手順に誘い込まれそうです。藤井棋聖は69分の長考で△6五歩を決断します。渡辺名人は銀取りを放置して2筋から攻め掛かります。▲2四角と後手玉に王手が掛かった局面で昼休となりました。AI評価値はまったくの互角、残り時間は藤井棋聖が1時間58分、渡辺名人は3時間29分とかなり差が付いています。

昼休明け、藤井棋聖は△4二金右と寄って王手を避けます。阿久津八段は「角を切られるかもしれないので、力強い勇気のある手」と評しています。この手は渡辺名人にとっても意外だったのか、マスクを外し脇息にもたれて長考に沈みます。渡辺名人は89分を使い、▲4二同角成と角を切る一番激しい手を選択します。

お互いに熟考を繰り返し、駒を取り合う中盤戦となりましたが、ギリギリで均衡は保たれているようです。藤井棋聖が62手目を考慮中に残り10分となり、秒読みの中△3四桂と打ちます。渡辺名人も残り1時間を切り、▲3四同銀と銀桂交換に甘んじます。藤井棋聖は深い前傾姿勢を崩さず、一心不乱に考えています。

難しい終盤戦に突入しましたが、AIの評価値は互角と表示されています。渡辺名人が▲2二飛成と飛車で角を取って勝負を賭けると、AIの評価値は藤井棋聖の79%と大きく傾きます。しかし渡辺名人が▲5四歩と玉頭に迫ったのに対し、藤井棋聖が残り3分まで考えて△5四同銀と払うと、今度は渡辺名人に68%と大きく振れます。

渡辺名人は掌に顎を乗せたり体をねじったりしながら決め手を探ります。40分の長考で▲3一角と飛車金両取りに打ったところで、渡辺名人の残り時間も4分となりました。藤井棋聖は55秒の声を聞くと少し慌てたように歩で角道を遮断します。渡辺名人の追撃に対し、藤井棋聖は飛車を守りに利かせて凌ぎます。

藤井棋聖は一瞬の隙を突き△8九飛から反撃します。84手目の考慮中に1分将棋となりましたが、かなり危険な状態に見える自陣を放置して△8八銀と攻め続けます。渡辺名人も1分将棋となり、▲8八同金と取ります。AI評価値は渡辺名人の81%と大きく傾いています。

秒読みに追われた渡辺名人は▲2二角成と金を補充しますが、ここでAI評価値は藤井棋聖の60%と互角に戻ります。お互いに1分将棋の中、形勢が揺れ動く激闘となりました。もうどちらが勝つのか全くわかりません。

渡辺名人は馬と銀と金で相手玉に迫りますが、ここで藤井棋聖が△7一飛と馬にタダで取られてしまう位置に逃げたのが華麗な決め手となりました。秒読みに追われた渡辺名人はこれを取りましたが、守りにも利いていた馬が離れてしまい先手玉に即詰みが生じた様です。藤井棋聖は落ち着いた手つきで7九竜と王手を掛けます。続いて△3六桂と王手すると自玉の即詰みを悟った渡辺名人の投了となりました。

本局は渡辺名人の研究と思われる手順に藤井棋聖も応じ、昼休となった41手目までまったく互角の状況が続きました。昼休明けの藤井棋聖の強気の受けに、渡辺名人の研究からは外れたように見えましたが、両者一歩も引かない応酬が続きました。渡辺名人が飛車を切って踏み込んだ手は、AIは藤井棋聖の優勢を示しましたが、結果的に渡辺名人を優勢の局面に導く勝負手でした。それ以降ずっと藤井棋聖の苦しい局面が続きました。お互いに1分将棋になっても藤井棋聖が繰り出す逆転の可能性を秘めた手に、渡辺名人は手に届きそうだった勝利への道を掴み切ることはできませんでした。最後に藤井棋聖が放った飛車のタダ捨てという絶妙手は、将棋の神様が今回は若き天才に微笑んだご褒美だったのかもしれません。二人が創り上げた名局に、心からの拍手を贈りたいと思います。

この結果、藤井棋聖は3勝0敗で棋聖防衛となり、タイトル通算3期獲得により九段昇段を果たしました。数々の最年少記録を更新してきた藤井棋聖ですが、タイトル初防衛と九段昇段も最年少記録となりました。対局後の記者会見では、相変わらず記録への執着心は見せず「できる限り強くなるというのが現状の目標です」と語っていたのが印象的でした。

渡辺名人は、自身のブログに「今回は完敗でしたが、課題を意識しつつ、次の機会に備えたいと思います」と記しました。39回目のタイトル戦にして初めてのストレート負けとなりましたが、これまで羽生世代を中心とする強豪を相手に孤軍奮闘してきた証だと思います。記者の遠慮のない問いかけに「フルセットだろうが、どう負けようが、あまり意味はない」と語気を荒げたように感じましたが、次の機会にはこの悔しさを胸に好勝負を魅せてくれると期待しています。

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