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クロウ・キッズ! 第1話


第1話 序曲

 2222年、巨大地震や温暖化などの影響を受けて、地球上の環境、生態系は大きく変わってしまった。さらに終わることのない戦争によって、世界の人口は激減した。日本も例外ではない。四季が無くなり、異常気象の繰り返しで、2000年とは大きく様変わりしてしまった。蚊の大量発生で疫病が増加、富士山の噴火、さらには地震による大津波が都市を飲み込んだ。結果、約40万人の死者、行方不明者がでるなど、日本全国に多くの被害を残していった。その後も、地殻変動を繰り返して新しい島もできたが、日本列島の太平洋側は大きく水没してしまい、東京の三分の一の町は海に沈んでしまった。
年老いた人間の政治家よりAIガバメントが未来を予測判断したほうが良い結果が出ると、新しい政府が生まれた。多くの自然災害の経験からが地球の変化に対応した街がデザインされた。世界から化石燃料が枯渇したため、宇宙に太陽光発電衛星基地が打ち上げられて、そこから24時間、地球にエネルギーが送られるシステムを構築した。また、地震や台風に強いと言われる、竹をヒントに建物の揺れを軽減するタワーを開発した。淡いグリーンの円柱のタワーが水面に立ち並ぶ都市バンブータウンは、昔話の「かぐや姫」に出てくる竹やぶにそっくりだ。そんな美しい竹やぶを「西遊記」に出てくる孫悟空が乗っていた觔斗雲(きんとうん)のような自動車のクラウドカーが竹の間をくぐり抜けていく。20世紀の映画に出てくるような未来都市が目の前にひろがっている。
全ての問題が解決したわけではない。日本の人口減少に歯止めがかからず、AIガバメントは年々、アンドロイドの数を増やした。今ではアンドロイドが8割、サイボーグ、人間が2割比率の社会を構築していった。人類はどんどん便利なものをつくり出して、社会は進化を続けた。面倒な作業、仕事はロボットが全てやってくれる。永年の夢であったお金に縛られない自由、そして、平均寿命150年の命を人類は手に入れた。
好きなことができる時代に入って、仕事も勉強もやりたければやればいい。少子化で学校は全て廃校になった。子どもはオンラインで学ぶか、リトリートセンターへ行く。このリトリートセンターには図書館、博物館、アートギャラリー、映画館、コンサートホール、スタジアム、実験場、アミューズメントパーク、レストラン、カフェ、バー、ヨガセンター、動物園、水族館まで何でもあって、どこで何をしても構わない。ここでは、子どもに勉強を強制しない。好きなところへ行って、好きなことをすればいい。若者はEスポーツやゲームにハマってる。過去も未来も宇宙でも行けるVR(ヴァーチャルリアリティー)がひろがっている。どこまでが現実で、どこからが非現実なのか、誰もわからなくなってきた。夢を見ているのかもしれない。いや、人類が憧れ続けた夢の世界、自由がまさにここにあるのだ。
リトリートセンターには子どもだけじゃなく、孤独な中年から高齢者まで多くの人が通っている。完全バリアフリーで、高齢者はデジタル車イスやデジタルベッドに寝たまま走り回っている。多くの人が、笑顔で命を満喫しているようにみえる。
「あれ…おばあちゃん達は元気なのに、何だかおじいちゃんはうつむいてる」
よく見ると、ただ生きているだけの廃人状態の人もいる。自分のやりたいことは何なのかわからず、ダンスホールで一晩中、倒れるまで踊り続ける人、ゲームやSNSの世界にのめり込んで凶悪化する人もいる。出口のない迷路へ迷い込み彷徨ってしまった人間が、いつの間にか廃人に…
また、子どもは生まれた時に、ガバメントによって識別コードのチップが手に埋め混まれる。手をかざせば識別コードによって、食べ物も生活に必要なもの全てが手に入る。100パーセント国が最低限の生活を保障してくれる。しかし、それと引き換えに生まれてから死ぬまで、デジタルチェーンにつながれ監視されながら生活をする。果たしてこれが本当の自由なのか?本当に幸せなのか?しかし、人生で一度だけチャンスがある。18歳でチップのロック解除という選択肢が与えられる。
チップなしで自力で生きるのか?
そのまま監視された自由の中で生きるのか?
ただ、チップをはずして生き延びた人間は1パーセント。AIガバメントの支配を逃れて生き抜くのは、簡単なことではない。

   突然の別れ

 僕は石神(イシガミ)リョウ。8歳まで、お父さん(レオ)とお母さん(ミナザ)と3人でバンブータウンのBBタワーH5/M311で暮らしていた。お母さんは僕のことを、人見知りで臆病な性格だという。自分では性格がわからないから、お母さんがいうとおり臆病だと思っていた。ひとりでタブレットの本を読んだり、絵を描いたり、ロボットを組み立てるのが好きだった。
僕は家からあまり出たくないから、オンラインで学ぼうとしたけど、
お父さんに
「友達をつくりなさい」
と言われてリトリートセンターに通うことになった。リトリートセンターに行ったらちょっと勉強してから、ひとりでごそごそと何かモノをつくっていた。僕はひとつのことに夢中になるとやめられない。みんなは同時にいろんなことができるのに、僕にはできない。
友達はいない。
「遊ぼう」
と声をかけてくれても集中してしまうと、誰の声も聞こえなくなってしまう。いつのまにか独りぼっちになっていた。まあ、寂しくはないけど…
みんなはリュック型スカイマントを広げて、竹のビルからビルへ飛んでいく。
「クロウ・キッズだ」
僕はいつも空を見上げてつぶやいていた。
僕は怖くてリュック型スカイマントで空を飛べないカラスだ。だから、お母さんと一緒にクラウドカーに乗って、リトリートセンターまで通っている。
「いつになったら、リョウも空を飛べるのかしら」
親離れできない僕のことを、お母さんは心配していた。
 建築デザイナーのお父さんは、朝早くから夜遅くまで働いていて、顔を見ない日もある。仕事中毒なのかもしれない。
その日は珍しくお父さんも一緒に朝ご飯を食べていた。急にお父さんが

「リョウ知ってるか、友達をつくる方法?」

僕は首を振った。お父さんは僕に顔を近づけて、小さい声で

「友達がすぐにできる魔法を教えたろ」

僕は唾を飲みこんで、コクリとうなずいた。お父さんは僕の目をじっと見つめて

「お前から笑うんや」

僕は首をかしげて

「笑うの?」

「そうや。言葉が通じなくても笑顔で友達になれる」

「ほんとに?」

「ほんまや、ずっと笑顔を忘れたらあかんで」

そう言って、僕の頭を撫でてくれた。

「うん」

お父さんの魔法で僕は笑顔になった。

PM 5:00
お母さんといっしょにリトリートセンターから帰ってくると、僕はリビングでタブレット内の本を読んでいた。キッチンからお母さんの声がした。

「リョウ、仕事部屋にお父さんがいるから、『ご飯できたよ』って呼んできてくれる」

「うん」

僕はタワーの中央部にある、仕事部屋まで走って行った。

「おとうさん」

と言いながら、手をかざしてドアを開けた。

「おとうさん」

部屋に入って、左手の方を見ると、椅子に座るお父さんの背中が見えた。

「おとうさん、ごはんできたって」

全く反応がない。寝ている感じもしない。ゆっくり僕は近づいて行くと、何となく嫌な感じがした。恐る恐る右手をお父さんの背中に手を当てた。硬く冷たい感じがした。僕は声が出なくなった。

『おとうさん、死んでる』

“ギュー”と僕の心が縮こまった。僕は急に怖くなって、お母さんのところまで息を止めて走って行った。

「おかあさん、おかあさん、おとうさんが…」

「どうしたの」

僕は泣きながら震えていた。異変を感じたお母さんは、慌てて仕事部屋に走って行った。しばらくすると、大きな声がした。

「あなたー」

僕は何がなんだかわからなくなって

「なんで?なんで?お父さん笑っとけって言ってたのに、笑とけって…」

震えが止まらない。どんどん僕の中が凍りついた。真っ白になるくらい泣いた。そのあとのことは、覚えていない……
リビングの中央には、木の大きな丸いテーブル。お父さんのお気に入りの椅子は、ずっと空席のままだ。
簡単には受け入れられない。
お父さんが死んだとは、やっぱり思えない。朝が来るたび、お気に入りの椅子に座っているかもしれない。そう思って覗いてみたけど、やっぱり空席のままだった。
お父さんがいなくなって、僕はカブトムシの幼虫が土の中に潜り込むように、家に引きこもった。風もない、どんよりした空気が家中を支配していた。僕は何もやる気がなくなった。あんなに好きだったロボット作りも、絵を描くこともやめた。自分のカプセルに閉じこもってもがいていた。そんな僕に対して、お母さんは何も言わなかった。むしろ、明るく接してくれていた。本当はお母さんの方が悲しいはずなのに。
でも、夜中にトイレに行ったとき、お母さんの部屋から小さく泣く声が聞こえた。お母さんも我慢してたんだ。

『お父さんはどうして、死んでしまったの』

どうしてお父さんは、自ら命を絶たなければならなかったのか?
僕のせい?お母さんのせい?どんどん僕の心は凍っていった。
いつまでも、頭のモヤモヤはスッキリしないまま、時間だけが過ぎていく。

   カプセルから抜け出せ

3年の月日が流れた。相変わらずカプセルベッドの中で僕はもがいていた。横を向いて、うつぶせになって、また横を向いて、一周回って、やっぱり仰向けに戻った。だんだんと意識が薄れてきた。浅い眠りに入ってきた。もうちょっとで眠れそうだ……
僕の中でやっと時間が消えた。
突然、白黒の映像が音もなく、早送りで流れてきた。真っ白なシャツの背中で映像が止まった。

「おおうあー」

僕は必死で叫んだけど、声が出なくて苦しくて目が覚めた。身体がビクッとなって、口は半開きで

「はっ、はっ、はっ」

と息をしていた。
僕の中でまた時間が現れた。自分の家なのに安心して眠れない。どんなな小さな音でも僕の耳に入ってくる。部屋中の電化製品、トイレの水の流れる音、シャワーの音、アプリが起動する音、空を飛ぶドローンの音、この世界に張り巡らされた蜘蛛の巣みたいな電波音で頭がおかしくなりそう。虫や鳥、植物の声が言葉に聞こえてしまう。
僕が悪いの?あの日のショックで、僕の耳は異常になったの?
それとも特殊な力を手に入れてしまったの?

ある日、一階の宅配ボックスに何かが入れられ、落ちる音が聞こえた気がした。気になって一階まで降りていくと、一枚の手紙が僕に届いていた。関西州に住む、おばあちゃんからの手紙だった。

〒111-0000
111-okami, Yamato-city
kansai,japan.
石神節子(いしがみせつこ)

リョウ、元気か?
お前の父さんが、山積みにしたままの本や
レコードを引き取りに来ておくれ。
十一月八日には処分してしまうから、
それまでは待つ。
祖母より

 2100年から日本は北州、関東州、中州、関西州、奥九州に分かれていた。
僕は、おばあちゃんに一度も会ったことがない。おばあちゃんは頑固な人で、関西州の人里離れた大和の山奥で、ずっと一人暮らしをしている。お父さんが10代の頃に、大和を飛び出してからは、おばあちゃんに会っていないみたいだ。家族の中でも、おばあちゃんの話題はあまり出なかった。何となく、触れてはいけないような感じだった。

「おばあちゃんか…」

おばあちゃんに、少し会ってみたい気もした。何より、僕はキッカケがほしかった。もうカプセルから出たかった。

『今なんだ』

お父さんが子どもの頃、何を見て、何を考え、どこへ行こうとしていたのか知りたかった。お父さんが残した本やレコード、思い出の品物が何か教えてくれるかもしれない。僕のルーツである大和へ行かなきゃいけないと、直感のようなものを感じた。
『きっとそこには何かがある。僕がこれから生きていくためのヒントが、見つかるかもしれない』
そして、お父さんが死んだ理由がわかるかもしれない。
でも、僕が大和になんか行けるのか。お母さんは一緒に行ってくれないだろうし

「一人じゃなあ…」

もう一度、手紙を見てみると、11月8日までは待つ書いてある。

「11月8日?明日じゃないか」

もう迷っている暇は無かった。

「大和へ行かなきゃ」

僕はあわててキッチンまで走って行って、お母さんに

「お父さんの残した本やレコードを引き取りに、大和へ行ってくる」

「えっ」

お母さんは僕の言葉にきょとんとしていた。

「とにかく時間がもうないんだ。明日までに行かなきゃ全部捨てられちゃう」

僕はお母さんが、てっきり引き止めてくれると思っていたが、

「そう。気をつけて行ってらっしゃい」

とあっさり言われた。僕はリュック型スカイマントを無意識のままつけていた。玄関の扉のボタンを押した。目をつぶって叫んだ。

「アーッ」

勢いをつけ、思いきって空に飛び込んだ。あんなに怖がっていたのに、いざ飛んでみると頭の中が空っぽになって、何もかも軽くなった。パッと目を開けた。

「僕もクロウ・キッズだ」

僕はいま、空を飛んでいる。本当に自由な気分だ。冷たい秋の風を感じながら、品川駅へと向かった。僕は大和で誰に会うのか?どんなことが待っているのか?そんなことを考えている僕の心は、ざわざわと揺れ動いていた。でも、心と身体は軽くなっていた。そして、不思議な力に背中を押されているような気がした。

   不思議なアンドロイド

 品川駅でセキュリティーゲートを通過すると、ホームへと続くエレベーターに乗り込りこんだ。超高速リニアに乗れば、品川から博多まで100分で行ける。大和なら、50分で到着する。11時ちょうど発のLM11号博多行き。座席は1号車11Aここでも何か不思議と1の数字が並ぶ。

『何か意味があるのかなぁ』

そんなことを考えながら、窓際の席に座った。

「間もなく、1番線から博多行きが発車します。ドアが閉まります、ご注意ください」

アナウンスが流れてきた。その時、誰かがホームで叫んでいる。

「ちょっと待ってー」

一度閉まった扉が開いて、誰かが慌てて乗車してきた。

「アタシの席はどこかな、1号車の11Bここだ」

僕の隣の席に座ってきた。アンドロイドのティーンエイジ型だ。

「あー乗れて良かった」

僕は内心
『一人にしてほしかったなあ。こんなにいっぱい席があるのに』
そう心の中でつぶやいた。僕は車窓から景色を眺めていた。アンドロイドは横に座ってからも

「なんか狭いわね」

と言ってガサガサ動いて落ち着きがない。ヘッドフォンからダダ漏れの音楽、ゲーム音が耳障りだった。僕は目を閉じて、寝たふりをしていたが全然眠れない。心の中で

『50分のがまん、50分のがまん』

そうつぶやいていた。すると

「ちょっと、ねー、ちょっと君。ちょっと」

僕に話しかけているようだ。僕は鼻から息を大きく出して、完全に寝ているふりをしていたが、とうとう僕の肩を叩き出して

「ちょっと君」

僕は心の中で
『わかりました、もうやめてください』
そう思いながら

「なんですか」

と寝起きのふりをして答えた。

「もう少しで富士山が見えるから、ちょっと席変わってくれない」

僕は心の中で『嫌です』とつぶやいたが、そんなことを言えば残りの時間、ずっと横で文句を言われそうだったので

「いいですよ」

と答えた。アンドロイドは

「サンキュー」

と言って、さっさと僕の席に座る。黙って車窓から、流れる景色を見つめていた。僕は心の中で『窓際で富士山を見たかったなぁ』とつぶやきながら、どうせ富士山が見えてきたら『マジキレイ!』とか言って、アンドロイドは騒ぐんだと思っていた。窓の向こうに富士山が見えてきた。

「すごい」

リトリートセンターに飾ってある北斎の絵のような富士山が、目の前にひろがっていた。僕は口を開けたまま見とれていた。アンドロイドは黙ったままだった。さっきとは別人のように静かだ。

「君、名前は」

アンドロイドに尋ねられて、僕は

「リョウ」

と答えた。

「アタシはアンドロイドLP3。富士山の噴火でアタシの家族はみんな死んじゃった」

アンドロイドLP3は富士山を見ながらつぶやいた。

「アタシだけが助かったの」

「……」

「喧嘩して家飛び出してさあ、全然連絡取ってなかったんだ。たまたま、家族がkobeから河口湖のホテル来ていた時に、噴火に巻き込まれたの」

僕はつばをゴクリと飲んだ。

「アタシ以外は人間。アタシを子供のように育ててくれたのに」

二人の間に沈黙が流れた。
僕は少し反省した。この人、いや、このアンドロイドはどうせ無神経なタイプなのだろうと決めつけていた。でも、実際は違った。表面上に見える性格と内側にある感情は違うことに気がついた。みんな、幸せそうに見せていたり、世の中での立場を演じたりして生きている。自分の少ない経験で、判断していることが本当に正しいとは限らないと思った。そんな静かな時間も長くは続かなかった。しばらくすると、また急にハイテンションになって

「ところで、リョウはどこ行くの」

「大和のおばあちゃんのところ」

「ふーん、すごい田舎に行くんだね」

『反省しなきゃよかった』
アンドロイドLP3は思ったことを、そのまま言葉に出す。

「アタシは、kobeに行くんだ」

「はあ…」

「リョウは笑うと可愛いね」

「えっそうですか」

「子猿みたい、ハハハハハハ」

なんか馬鹿にされているのか、手のひらで転がされているのか良くはわからない。この変な出会いにも、何か意味があるのか。そんなことを考えていると

「ご乗車ありがとうございます。まもなく大和、大和に到着いたします。お出口は左側に変わります」

僕が席を立つとアンドロイドLP3が

「気をつけて行きな。大和には不思議な蛇がいると聞いたことがあるよ」

「ヘビ…」

「あっ、写真は撮っちゃだめだよ。絶対に」

「どうして?」

「災いが起きるから」

僕はちょっと怖い感じがして一瞬、固まってしまう。

「…ふーん、ありがとう」

「リョウとは、またどこかで会うよ」

僕は心の中で『そうなんだ』と思うと

「そうなんだよ」

アンドロイドLP3は答えた。どうして、僕の心の声が聞こえるんだ。

   ルーツが聴こえる

 石積みの塀の上に白く塗られた壁が重ねられている。屋根には瓦が、魚のウロコみたいに並んでいる。よく見ると、白い壁には5センチほどの黒くて無数の足が生えた虫が、上へ上へと登っている。ハエ叩きを手に握りしめて、その虫をじっと見つめる老女。息を止め、狙いを定めた。次の瞬間、
”パシッ”
刀で斬りつけるかのように虫を仕留めた。虫は硬直したまま、地面へと落ちていく。しばらくすると、虫は足をピクピクさせて動かなくなった。老女はまた、目をギョロギョロと動かして次の獲物を探す。
一度、虫に意識が集中してしまうと、それしか目に入らなくなる。どうでも良いことが気になり、普段は見えていないものが見えてくる。何かを忘れるために繰り返しているのか。もしかすると、強迫性障害なのかもしれない。
「鍵をかけたかな」「ガスの火を消したかな」「この数字はラッキーなんだ」
と縁起にこだわったり、多少は誰でもあるが、不安やこだわりがエスカレートして、生活に支障をきたすようであれば病気かもしれない。
老女の姿が見えなくなった。やっぱり、ただの暇つぶしをしていたのかもしれない。


 その頃、僕はやっとアンドロイドLP3から開放されて、大和駅の改札を出た。一歩外に出てみると時が止まったかのように、2000年当時の街並みが残されていた。僕は駅前のロータリーで移動手段を探して、うろうろとしていた。

「へー、ここが大和か」

地方と都市の発展の差は歴然としていた。クラウドカーやスカイマントで空を飛ぶ人はいない。飛んでいるの本物のカラスぐらいだ。しばらくすると、旧式の電気自動車のタクシーが乗り場にやってきた。タクシーが僕の前に停まってドアが開いた。

「お客さん、どこまで」

「えーっと、あっ、ここへ行ってください」

僕はタクシーに乗ると、運転手におばあちゃんの住所が書かれたメモを手渡した。
車が走り出すと、古都の町並みに目を奪われた。歴史ある神社仏閣が、大切に何千年も守られている。どんなにお金をかけても、これと同じものはつくれない。山の木々は赤や黄色に染まり、美しく色づいていた。まだ誰も歩いていない道には、紅葉の真っ赤な絨毯が敷かれていた。

「うわー、きれい。こんな景色は生まれて初めてだ」

すると運転手は

「お客さん、どこから来やはったん」

「東京です」

「大都会から来やはったんや。私も昔、3年ほど住んどったけど、だいぶ変わったんやろなー」

「はー」

「今は車が空飛んでますやろ。えらい時代やなあ。おんなじ国でも、えらい差やなぁ、もう大和は年寄りしかおりませんわ」

ここには本当に何もない。黄色に染まった手付かずの田んぼは、野生化した稲がこうべを垂らしていた。誰も住んでいない集落は、今にも崩れそうになっていた。
タクシーのスピーカーから、聴いたことのないの音楽が流れていた。

ザ·ビートルズの「All You Need Is Love 愛こそがすべて」
Love Love Love・・・
All You Need Is Love・・・♪

『愛を歌っているのに』なぜだかわからないけど、切ない気分になった。
1時間ほど走り、交差点を左に曲がると、突然鼻をつく臭いがした。

「えらい臭うなあ」

「なんのにおいだろう」

「銀杏ですわ」

銀杏の実が道路に落ちて、車のタイヤに踏みつけられている。川を越えて橋を渡ると、一軒の日本家屋が見えてきた。車1台がやっと取れるような道幅で、脇には堀がある。フェンスも無く、運転手がよそ見でもしたら車が落ちそうで怖かった。

「着きましたよ」

家の前には、蝿たたきを持った老女が立っていた。
僕は

「おばあちゃん」

と声をかけた。すると、虫を叩くことだけに集中していた老女が振り向いた。
少しずれた丸い眼鏡を中指で上げて

「リョウかい」

僕はちょっと緊張して

「そうだよ」

と言って、うなずいた。

「間に合ったようだね」

とおばあちゃんはつぶやいた。


#マンガ原作 #小説

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