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クスリをキメて内なる神を創ろ〜よ

※この記事は漫画『テルマエ・ロマエ』のネタバレを含みます
※無料記事です。百円は投げ銭です。

お久しぶりです。
ほぼ無職のおじさん・一之下正衛門です。

ここ2ヶ月ほど、元彼女との関係がほぼ修復不可能になったことにガッツリ精神を蝕まれておりましたが今日はなんだか元気なので文章を認めようかと思います。
元気な日にnoteをつけておくと、辛い日に読んだ時ほんの少し励まされるから。

あと、僕のTwitter のフォロワーさんや Youtube の視聴者の方の中には、僕のようにメンタルに不調をきたしている方がちらほらいらっしゃるようで、僭越ながらそういう方の一助になればとの思いもあります。ほんと僭越ながら。

ちなみに彼女との関係が「ほぼ」修復不可能としたのは僕がまだガッツリ未練タラタラダサダサおじさんだからです。
おそらくお相手は完全修復不可能と思ってることでしょう。
でもほら、人生何が起こるかわかんないので。
「ほぼ」とさせてください。

ちなみに、前回の記事では彼女とは比較的円満に別れたと書いてあって、それはその通りなんですよ。
そのあとも連絡を取り合っていてそこで喧嘩してしまいました。
詳細はもちろん伏せますが今思い返すとあの喧嘩は僕が悪かったなあ。

最近の僕はUber Eatsの配達にもすっかり出かけなくなり、貯金を切り崩しながら「素敵なうどん屋開業計画」にえっちらおっちら邁進したり、彼女との楽しかった日を思い出して涙したり、喧嘩したときは言い過ぎたよなと反省したり、YouTubeで何回も見たオモコロチャンネルの動画を見たり、絵を描いたり、テレビゲームをして過ごしています。

冒頭、精神を蝕まれたと書きましたが、これはうつ的に落ちてしまっているのとは違って、失恋に直面した場合には誰にでも起こる健全な精神の蝕まれ方です。
健全な精神の蝕まれ方ってなんだよ。
でもちょっとかっこ良くない?

うつ病としての容体はむしろ、彼女との決定的破局後の方が良くなってきています。
これはもちろん彼女と別れたから元気になったということではありません。
むしろ彼女との同棲を解消してからは、寂しさから希死願望が強まっていました。

しかしそれを機に思い切って心療内科に行って服用する薬の量を増やしてもらったのです。

それまではよほど辛い時にだけ薬を飲むようにしていて、一度に服用する量もかなり少なめでした。(ほぼ気休めにしかなってませんでした)

過去の経験から薬に対して猜疑心が強かったので、緩めの薬をチミチミ飲んでいたわけなのですが、背に腹は代えられぬと1日に必ず2回、辛い時は3回、かつ1度の摂取量を今までの4倍に増やして服用するようにしました。

担当医の先生に「薬を増やしたい」と伝えたら
「この量(今服用するようになった量)飲んでる人は8割効果を実感してるよ」
とショッキングな情報を伝えてきました。

はよ言えや。と思いましたが多分3年前ぐらいの僕が聞いたところで拒絶していたような気もするし、なんなら聞いたことを理解できてなかったか、聞いたのに忘れてるだけな気もします。

薬を増やすと、日に日に思考が落ち着いてきたのですが、そうすると自分の彼女への接し方の悪かった点についてもかなり冷静に分析することができるようになってきました。

その上で2人の関係をトータルで振り返った時、一方的に自分だけが悪かったとは思いませんが、もっと優しく接すればよかったなという後悔がかなり強くなりました。
残念ながらお相手とは現在音信不通なので後の祭りです。

トホホ。ふざけなしでトホホ。

なんなら最後の最後で彼女を拒絶したのは僕の方なので、本当にアンポンタン。

つくづく僕は生きるのがヘタクソだなと痛感しました。
これは格好つけでもまして自虐でもなく、純粋な「分析」と「気付き」としてそう思います。

彼女との同棲のために引っ越してきた我が家で暮らしていると、ありとあらゆる場面で思い出が襲いかかってきて未だに偶に泣いてしまいますが、最近はかなり元気になってきました。
毎朝散歩もするようになったし。

今朝も近所の神社の近くをウロウロとしていたのですが、ふと
「神様を自分の中に創ろう」
と思いました。

待って、ブラウザ閉じないで。
確かに明らかにヤバいやつの思想ですが、こう思うのにはきちんと理由があるんです。
別にヤバい宗教のHPとかバカ高い飲料水の販売ページとかへのリンクも貼らないから!マジで。

で、なんでそんなこと思ったかというと最近、学生の頃に買った「テルマエ・ロマエ」の漫画を全6巻読み返したんですよ。
知らない方のためにざっくり内容を説明しますね。

舞台は古代ローマ帝国と現代日本。

ローマ帝国のクソ真面目な浴場技師(お風呂の設計をする人)ルシウスはひょんなことから現代日本の銭湯へとタイムスリップし、しばしば過去(ローマ)と未来(日本)を行き来するようなります。

現代日本の文明や国民性に感銘を受けたルシウスは、そこでの学びを古代ローマへと持ち帰って仕事に活かすことでどんどん浴場技師として有名になり、ついには皇帝のお抱えになるまでに出世します。

そんなルシウスですが、あまりの真面目さから子供をせがむ妻に萎縮してしまい、夜の生活が上手くいかずに離婚してしまいます。
その後、現代日本で出会った古代ローマオタクの才女・さつきと恋に落ち…

ここまで書いて思ったんですが漫画の紹介ってすごく難しいですね。
気になった方は是非読んでみてください。阿部寛さん主演の実写映画もありますよ。(こっちも面白い)

で、このルシウスがそれはもう格好いいんですよ。
彼は何事にもそうなんですが、仕事に対してすごく真面目でそして何より綺麗なプライドを持っている。

このプライドっていうのは虚栄心とか高慢さとかでなく、崇高な「誇り」なんです。
ローマ人の自分としての誇りであったり、尊敬する先祖の子孫である自分としての誇りであったり、浴場技師という仕事そのものへの誇り。
これを胸にルシウスは仕事に打ち込むわけです。

そしてルシウスは信心深いんですよ。
ローマの神々に対して敬意を払っている。

やっと神が出てきました。
ルシウスの信心深い部分がなんかすごく格好良く見えたんですよね。
だから僕も信心深くなりたいな〜と思いまして。

でも僕、どの神様のこともあんまり知らないんですよね。

ただ、高校生の頃に軽音部の後輩の女の子2人から
「先輩って文章とか話すの上手だから宗教開けるんじゃないですか?私ら入信しますよ!」
とおだててもらったことがあるんで、いっそもう自分で神を心の中に作って、
その神様に従って生きたら生きやすいんじゃないかなと。
(この記憶、たまに取り出して心の支えにしてるものの一つです。ありがとう後輩たち)

丁度、うつでボロボロになった自分の中に「柱」のようなものが欲しいと常々思っていたので、1柱2柱と数える神様はうってつけです。
もしかしてこういう理由で神様の単位が柱なのかな。

要は自分の中のルールというかポリシーみたいなものが欲しいってだけの話なんですけれど、「内なる神」って格好いいし、なんだか楽しそうじゃないですか。

ちなみにこの「内なる神」というワードはオモコロチャンネルのかなり初期の動画

【徹底討論】ファッションセンスは生きていく上で必要なのか?

にてダ・ヴィンチ恐山さんが言っていたワードです。
だるいからリンクは貼らないけど面白いから見てね。
これを見たのもあって今回みたいな考えを起こしたんですよ。

こうやって考えると、漫画とかYouTubeの動画みたいな創作物って心を豊かにしてくれて本当に素晴らしいです。

というわけで、これから僕は心の中に神様を何柱か創って、教義とかも創っていこうと思います。
みんなもやってみてね。

神様のキャラデザとかしても楽しそう。
でも、内なる神を免罪符に悪いこととかしたらダメだぞ!
信仰の自由は他人に迷惑をかけない範囲でしか許されないのだ。

心の中の神様計画を思いついてからテンションが上がって、昼間っから近所の焼肉屋で一人焼肉して酒も飲んだので、いつも以上に長い上にフワフワしたnoteになってしまいました。
書き始めた時は自分の中の神様の詳細について一切触れずに終わるとは思わなかった。

だってまだ何にも考えてないんだもんな。
とりあえず今わかっているのは僕の内なる神は
「頑張った日とかその次の日は、昼間っから一人焼肉して酒飲んでもいいぜ!」
って言ってるってことです。

あと
「そのあと銭湯とかいくとすげー気持ちいいと思う」
とも。

それでは

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