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〔期間限定公開〕徳谷柿次郎氏に聞く――「価値の差」と「価格の差」をどう編集する?

新規事業を成功させるためには、「組織の土づくりから始めよう」
と提唱する『アイデアが実り続ける「場」のデザイン』。
2024年5月15日刊行の同書から、
6月30日までの期間限定で、抜粋をお届けします。
「なぜ女子高生はスターバックスのフラペチーノにあの金額を払うのか」。
この現象は、フラペチーノを
「単なる飲み物」としか捉えていないと理解できません。
「価値の格」とは何か、AとBの値段の差異は何なのか、
価値を“編集”する株式会社Huuuuの徳谷柿次郎さんに聞きました。

徳谷 柿次郎 Kakijiro Tokutani
株式会社Huuuu代表取締役。
全国47都道府県を編集している。
主な仕事『ジモコロ』、『Yahoo! JAPAN SDGs』、『SuuHaa』など。
40歳の節目で自著『おまえの俺をおしえてく れ』を刊行。
長野市で「シンカイ」「スナック夜風」を営んでいる。

小田裕和(以下、「小」) 僕はよく、いろいろな方の新規事業の提案を聞く機会があるんですが、事業の魅力をアピールするために競合に対する「安
さ」を強調したり、一方でやりたいことをやろうとすると採算が合わなくて価格を上げないと成り立たなかったりなど、価格の面で難しさを抱えているのを見てきました。
 買ってもらうために価格をひたすら下げていっても、当然ながら事業としては成功しないし、だからと言って高い価格を正当化するためにどんどん付加価値を加えていくのも、ありがちなバッドパターンですよね。
 実は、新規事業においては、新しい格付けを提案できるかが大きなポイントだと思うんです。
 普段、徳谷さんを「柿さん」と呼ばせていただいているので今日もそうさせてもらいますが、まさに柿さんはこれをやっていると思っていて。
 例えば、運営されているウェブメディアの「ジモコロ」は、地元に眠っている当たり前だったものを、「これおもしろいじゃん」と、いわば価値を掘り返している。様々な価値を〝編集〞しているのが、柿さんが代表を務める株式会社Huuuuですよね。

徳谷柿次郎(以下、「柿」) そうですね。ジモコロをはじめとするオウンドメディアの運営をやっていますが、企画や名前、編集部をつくるところ、課題感に対する提案をするところから入っていたりしますね。あとは、長野市に事務所があるので、古民家を改装したシンカイというお店を5年やっていたほか、最近は夜風というスナックを作るなど、今はリアルな場の編集にシフトしているところです。 

 柿さんがプロデュースされたOYAKI FARM(おやきファーム)も、長野の郷土料理である「おやき」の価値の格を問い直していますよね。長野では当たり前の文化をもっと違う形で見せることで、「こんな魅力があるんじゃないの」と。見せ方だけじゃなく、おやきに対する認識を変えていこうとする。そういう取り組みとしても、すごくおもしろいなと。
 それから、自分たちで立ち上げた風旅出版という出版レーベルで、『おまえの俺をおしえてくれ』という自著を出していますが、その冒頭で、かつてプロ野球チップスのカードを集めていたという話が出てきますね。さらに、それを誰かと交換することで価値の差が生まれていたという。
 古着も価値がものすごく上がったり下がったりするし、今で言うとポケモンカードも値上がりが激しいと言いますよね。ある集団の中での価値の位置づけは、どう生まれてくるのかなと。
 まずは、柿さんがプロ野球チップスカードにのめり込んでいったきっかけや、何が収集癖の源泉にあるのか聞かせてください。

 僕は大阪で生まれ育ったんですが、父親が巨人ファンで、当時、巨人戦は大阪でも生中継されていたんですね。家族の共通の趣味が、プロ野球だった。
 同時に、プロ野球ゲームも数多くリリースされていて、のめり込んでいたんです。中でも「プロ野球チームをつくろう!(やきゅつく)」という、野球球団のシミュレーションゲームがあって。プロ野球の生中継と同じおもしろさだったんです。
 さらに、各選手の成績や、何のタイトルを獲得してきたかなどを覚えるのが僕は好きで。プロ野球チップスは近所のコンビニに必ず置いてあるので、1袋買ったらカードの裏のプロフィールを見て、「こいつはこういう成績を出しているから、こういう特徴があるんだな」と覚える。そこでラーニングしたことが、実際のプロ野球を観戦するヒントにもなるし、かつゲームの中で選手を選ぶ基準になる。
 カードは、1シーズンごとに140枚とかあったのかな。それを集めきるのが大変なんですよ。弟と手分けして、近所のコンビニをあちこちハシゴして。
 当時、「やきゅつく」をプレーしていたのがセガの「ドリームキャスト」で、国内では初めてインターネットにつなげられるゲーム機だったんですね。インターネットの登場によって、余っているカードを、名前も顔も知らない人と交換するようになった。
「今この番号が余ってます。私はこの番号が欲しいです」と呼びかけるとすぐにリアクションがあって、自分のカードを封筒に入れて送ったら、向こうが持っているカードが届く。そこで、カードの希少性に応じて、レートが勝手に生まれるんですよね。「ロッテの初芝が異常に多いやん」みたいなことが起きていた(笑)。
 とにかく、その体験自体がすごくおもしろかったんですね。

 ある意味、体験自体が価値になっていた。

 そうそう。たぶんインターネットがなかったら、全部集めようとは思わないんですよ。経済力の限界があるから。カードショップというお店があって、少しお金を出したらカードが手に入るというのは知らないまま、ダイレクトにインターネットに入り込んだんですね。
「歯抜けのカードを埋めていきたい」という気持ちが異常に強かったんです。プロ野球チップスカードに限らず、古本のマンガについても、歯抜けを埋める行為に異常な興奮を覚えていたというのが、この収集癖の根っこにある気がしますね。

価値の差異に気づくためのセンサー

 柿さんの本では、ビジネスホテルのドーミーインがものすごく大切なインフラになっているという話が出てきます。ドーミーインとそれ以外のホテルの違いは何なのか、そもそも価値の違いに気がつくことができる人とできない人の違いは何なのか。

 そもそも、「違いに興味がある」かどうかというのがありますよね。
 例えば、今ならホテルの検索サービスを使って部屋を比較できますが、「なぜこの値段になっているのか」に目を向けられるかどうか。さらに、「損をしたくない」という気持ちがある人の方が、価値の差に気づける前提条件がありますよね。お金がありすぎると、損したくないというエネルギーが小さくなってしまうので。
 僕だったら、例えばドーミーインがアパホテルより3000円高かったとしても、3000円を払う方を選びたい。なぜなら、ドーミーインに泊まると、チェックイン直後、寝る前、朝の合計3回、温泉風呂に入れるので、1回当たりで換算したら1000円の価値はあるから。僕はその差分について、自分の理屈で納得できるんです。

 つまり、自分にとって何が良いかに対し、いかに自覚的になって、差を言語化できるか、というところが大事であると。

 そうですね。Aといういわゆる〝推し〞のホテルを見つけると、たまたま安いからという理由でBのホテルに泊まったときに、自分の感覚が違うなとか、隣の声が聞こえてくるなとか、そういった経験がどんどんたまっていく。
 僕は年間80〜100泊ぐらい外泊していて、それを9年ぐらい続けていると、ある程度当たりと外れを言語化できるようになるんです。そうなると、最近のおしゃれアートホテルは、マジでクソだなと思ったり(笑)。

 (笑)

 ある1万円台のアートホテルに泊まったら、あまりに空間の雰囲気づくりを狙いすぎていて。夜中1時に帰ってきたとき、暗すぎて何がどこにあるのか分からなかったり、そもそも建築材が良くないなって気づいたり。
 悪い点を見つけることは簡単なので、推しホテルに対する差分を積み上げていくと、よりドーミーインが輝いてくるんですよ(笑)。
 あと、そのホテルの文脈もちゃんと読みとりたいので、創業者の生まれた年やどんなことに関心があったのかを調べていくんです。実はドーミーインは、学生寮事業が発端となってホテル業につながっているから、疲れている人全員に大浴場のお風呂に浸かってほしいというコンセプトがある。そして夜は、夜鳴きそばが出てくる。
 そういった原体験に紐づいた価値は、時間が経てば経つほど、凝縮されて外に表れてきますよね。

価格の差だけを楽しむ、究極のエンタメ

 僕の場合は、お金がないというのが一番のパワーでしたね。どう工夫して工面するか。当時あまり友だちがいなかったので、あり余った時間をいかに一人で完結して楽しめるかに重心を置いていたんです。
 単純なお金の価格差という意味では、古本に興味があって、本にも書きましたが、「50円でも安い古本を探す」ということをやっていました。あとは、電気屋さんを1日で4軒ぐらいハシゴするという謎の趣味を持っていて。A店、B店、C店で、同じCDコンポの値段がなぜ違うんだろうと。
 この趣味のいいところは、お金を持っていないので、一切買わないんです。ただ、A店、B店、C店の新しい家電をずっと眺めて、パンフレットを持って帰る。
 そこで、ものの「差異」とか市場の裏側を知ることに興味が湧いて、それが今の仕事に活かされている気がします。

 高い安いとか、買う買わないとか、そういう話ではなくて、純粋に価格の差に対して「何なんだろう」ということを観察し続けていた。

 もう、買わなくていいんですよ。価格だけで楽しめる。

 確かにそれは究極のエンタメですね。

 そういう楽しみ方をおのおの持っていて、その数と興味対象の幅がある人の方が、価値の格をシビアに見られるというか、おもしろがれるんじゃないかなと。
 アンティークとか、ちょっと値が張るものに手を出し始めたのがここ数年なんですが、ここまで来ると、もうプロ野球チップスカードを集めていた頃の収集癖とは違う。お金がない状態から、ある程度自分で自由に使える、ものによっては会社の経費を使える、となると、価値の格を見極めるシビアさは失われていくんです。

 失われていっちゃうんですね。

 もう失ってます(笑)。ポチポチポチと買っている時点で、もう喜びがないんで。

「ない」に身を置き、「ある」を見つける

 本に書いていましたが、柿さんは幼少期に生活が苦しかったり家庭環境の複雑な状況があったりして、「ない」という状況が身の回りにあった。その中で「ある」というものを見つけていったというか、つかんでいった。「人生のカードを交換していった」と書かれています。
 東京で新規事業を考えようとすると、「ない」を無理やりつくり出そうとするという「無理ゲー」が生じる気がするんですよね。それが、お客さんが求めていないものをつくってしまう現象なのではないかと。
 柿さんは、東京という「ある」が溢れている街を離れて、長野県信濃町に移住されました。ある意味、地方という「ない」状況に身を置くことで、新しい「ある」を探す環境に身を移したのかなと。
「ある」が溢れる世の中で、新しい価値をつくるとなったときに、私たちは「ある」と「ない」と、どう向き合っていけばいいんでしょう。実際に信濃町に移住して、見え方が変わったことってありますか?

 現時点では、お金を介在させると、かなりのスピードで「ない」を「ある」状態に持っていけることに気づいてきました。ただ、畑をやるとか、冬支度をするとなると、ものをちゃんと手入れする「時間」が「ない」ことに今つまずいていますね。
 一言で言うと、やることが異常に多い。畑も、植えて、育てて、収穫して、はい終わりではないんです。いまだに、夏野菜のトマトの支柱が畑に刺さっていて、ただ抜けばいいだけなのに、2週間放置している自分の心の重さみたいなのがある(笑)。
 さらに、高温期に耕して土に戻し、雪が降るまでに土の分解を促し、来年の春に向けて土づくりをしないといけないと、頭では分かっているんですけど、その時間がとれていない。
 物質的な「ない」は、自分の今の環境では、ある程度「ある」に変えられるし、変える喜びはあるんです。ものを選んで買うという、価値の格を今の自分のベストな状態で掘り起こす喜び。でも、時間がない。時間は増やせない、ということに今ぶつかっています。

 でも、じゃあテクノロジーで畑を自動化しましょうと言ったら、柿さんなら嫌がる気がする。

 そうですね。だったらもう、やらないです。

 でも、「ない」ことを自覚しないと気がつけないなと。時間がないことや、自分の中に何かがないということにある程度自覚的になって初めて、どうしたいかという話が来るのではないかと。これって、「やりたいことがない」現象とつながるような気がするんです。やりたいことがないとか、熱量がないとか。
 結局その人たちは、自分の中で「ない」が不足している故に、渇望する気持ちとか、機械で代替されるのを嫌がるといった現象が起きないんだろうなと。
「ある」という状況にまみれすぎている。自ら「ない」という環境に身を置こうとしないと、気づけないものがあるという気はします。

「ある」状態の東京では気づけないこと

 東京のような都市部には何が「ある」んだろうと考えていくと、利便性もあるし、人も多いし、仕事の機会も多いし、金を稼ぎやすい。何が「ない」かと言うと、結構難しいですよね。
 東京都民1万人にアンケートをとって、「今何がないですか」と聞いたら、皮肉なことに、「コミュニティがない」とか「お金がない」とか、こ
っちからすると「あるやん!」というものを挙げる人が圧倒的に多い気がするんです。それを目指して住んでいるはずなのに。
 1万人のうち何人が「野菜がない」とか「土がない」と答えるかと言うと、ものすごく少ないと思うんですよね。
 僕は土と水があるから信濃町という大自然を選んでいるんですが、東京に住んでいると、そもそも土がないことにすら気づけないんです。土がないと何が困るのかも分からないんですね。

 自分にとって何に価値があるのかないのか、自ら考えて選びとっていくことに、どれぐらい向き合えているかが大事なのかもしれません。そういう意味で、価値の格を自ら考える「アイデンティティ」が失われているという部分もあるのではないかと。
 新規事業で言うと、誰かのためにやるわけですよね。「誰か」が価値をどう感じるかというセンサーを、どう豊かにしていくか。

 新規事業は、やっぱり原体験が大事ですよね。日清チキンラーメンの安藤百福さんが貧しいときに、「いつでもおいしく食べられるものを作りたい」と考えたという。これって、カッコ書きで「自分」も含まれますよね。
 圧倒的な「ない」という状況に浸かっていないから、分からなくなるわけです。日本がここ50年、100年、それなりに豊かな国であったことのツケですよね。ダイナミックなことが起きたときに、本当の「ない」が発生するんで。そう考えると、今、新規事業が当たるわけがない。
 そういう意味では、海外に行くことの意義もありそうですね。言語が通じ「ない」という不自由さから、自分に向き合えたり、ものの見方が変わったりするはずなので。

 原体験の話をすると、「原体験がないんですよね」と言う人が多い。それって、自分の中に「あった」ものを探すのがそもそも間違いで、自分に何が「なかった」のか、ちゃんと向き直るべきなのかもしれません。自分の心を動かす「なかった」経験が何なのか。

 それは、僕が最近好きなテーマの「自己開示の欠如」が関係している気がします。

 確かに。自己開示ができないから、それを言語化する機会もなく、自分で気がつくこともできない。

 枠組みとフレームの中でこう振る舞えば出世する、という方法論は言語化されてシェアされていますよね。でも、成功を追い求めないといけない男性性の集団の中では特に、自己開示が圧倒的に弱いですよね。
 自分が自己開示していないから、他者との関係性が手薄になっていく。実は、日々の生活で目にとまらないようなことの中に、社会の変化が埋もれているんですが、そこに降りることも気づくことも拾い上げることもできない。まずは、自己開示の中から自分の「なさ」を探すというのが重要な気がしています。自分の中の「ない」は、コンプレックスに起因している場合もありますしね。

 自分の中で「ない」という感覚が、価値の格を問い直す源泉になる。それが事業をつくる人として、自分自身の土壌を耕していく上で大事なの
かもしれませんね。


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