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正栄クリーニングのこれまでとこれからと ~前編~

noteを始めることにしました。面白い文章が書けるだろうか?皆様の興味をひくようなことが書けるだろうか?やるからにはイイモノを、と考えてしまいがちな私ですが、上手な文章を目指さず、気持ちを、想いを伝えていけるよう素直に書いていこうと思います。

さて、私は正栄クリーニングの3代目社長で中野 聡といいます。noteを始めるきっかけは皆様に正栄クリーニングを知ってもらいたいからです。正栄クリーニングが今どんなことをしていて、これから何をしようとしているのか、を地域の皆様や当社で頑張るスタッフの皆さんに伝えていきたいと考えています。

当社は今年で会社設立52年目を迎えます。半世紀もの間、ここ大阪府枚方市を中心にお商売をさせていただいてきました。「させていただいてきた」とくどい表現をしたのは、52年続けてこられたのはその間ずっと地域の皆様がお客様として来店し続けて下さったからです。正栄クリーニングは店舗を構えてそこにお洋服を持って来て頂くスタイルです。わざわざ!ご来店頂いているのです。当たり前のようですが、それって本当にありがたいことです。

今回、初めてnoteを書くにあたり、まずは当社52年の歩みをお話しようと思います。半世紀もの間お客様が来店し続けた裏側には、時代に合わせた事業スタイルの変化がありました。

正栄クリーニングはもともとは私の祖父が52年前に工場を建てたのが始まりでした。当時、田んぼが広がるのどかな場所だった枚方市出屋敷に、突然大きなクリーニング工場を建てたのです。1号線から目立つ看板に大きな建物、さぞかし儲かっている会社かと思いきや、巨大な工場はあってもお店がない。そうなんです、受付するお店が全然無いのに工場を建ててしまったんです。やることがダイナミックというか、満州帰りの祖父は行動力がすごかったようです。

創業当時の工場写真

そこでクリーニング品を増やすために、取次店を開拓したり、企業のユニフォームを集めに回ったり、物件買い取って直営の店舗を作ったり、とにかく商品をかき集めました。なんせこれだけ大きな工場があるんですから、稼働させないと勿体ない!と必死だったんでしょうね。

当時は高度成長期真っ只中で、クリーニング需要は右肩上がりでグングン伸びていた時代でした。なので、オープンした店はどこも繁盛!ライバル店もどんどん増えていきますが、それでも経済成長と需要の伸びが勝り、会社も年々成長していきました。

オープンした店舗の多くは取次店、いわゆる「フランチャイズ」の店舗でした。オーナー様が自宅を改装して店舗にしたり、駄菓子屋さんがクリーニングも受付したり、と形は様々でしたが、オーナー側も会社側も少ない投資で気軽に商売が始められるということもあって、この取次店はどんどん増えていきました。ガレージを改装してお店にしたオーナー様は、バイクを止める場所が無くなってしまい店内に止めていたなんてことも。取次店舗は一時期80店を超えるほどに増えていきました。

私部店

順調に店舗を増やす中で2代目社長(現会長)が会社を継ぎましたが、やがて店舗展開の方針を大きく変えることになります。取次店舗から、自社で運営する直営店舗への方針転換です。というのも、取次店舗はオーナー様の高齢化が進む中で続けるのが難しくなるお店が出始め、このまま取次店を中心に展開していくと先々の経営が安定しないと判断したのです。そこから直営店舗中心の展開が始まりました。

取次店舗は低コストで店舗数を増やせましたが、直営店はそうはいきません。店舗の内装外装、保証金等々、オープンに必要な初期投資額も少なくなく、またその後も家賃や通信費といった固定費を払い続ける必要があります。これまで以上に経費がかかるということは、それだけの売上を作らないといけません。果たして直営店舗だからといって売上が伸ばせるのか・・・?

その解決策となったのが『インショップ出店』と『クイック仕上げ』の事業スタイルでした。この2本柱に支えられながら、その後取次店舗がどんどん閉店して総店舗数は減少しながらも、売上は年々伸び続ける成長軌道に乗せることが出来たのです。

ということで、前編はこのあたりにしておきます。今日まで正栄クリーニングを支え続けた2本柱の事業スタイルと、これからの社会で必要となってくる変化について今考えている事を、後編でお話しようと思います。


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