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はじめに「近くて遠い児童養護」

「児童養護の最前線より」というマガジンをつくりました。

内容は、YOUTUBEにあげている”児童養護「現場の事例」”という動画シリーズの紹介と説明です。

動画の内容は、児童養護施設で働く私たちが、現場の最前線にいる/いたと思われる方たちに、お考えとご経験をインタビューするシンプルなものです。

大体の関係者の方も同意見だと思いますが、児童養護施設職員で働いていると「児童養護施設って、どんな所なんですか?」とよく聞かれます。

何らかの事情から、生活する「家庭」を子どもへ提供する社会的養護(正確にはコチラを)。その実態について、関心を持って下さる福祉外の方が多いことを実感します。

近くて遠い児童養護。

なぜ近いかといえば「誰もが”家庭”を経験しているから」だと思います。誰もが唯一無二の育てられた経験を持ち、それを元にした養育観が身についています。実際に現場でも「この子には~~をさせるべき」とか「甘やかせすぎでは?」「そろそろけじめを」など、個人的な養育観が行きかい、衝突し、議論されます。それは子どもも同じで、それが著しく偏っていたりして、問題行動や発達の課題として取り上げられます。

なぜ遠いかといえば、世間の大体の方たちが虐待や施設での生活を経験していないからだと思います。共感や理解がしづらいのですね。

「どう関わればよいですか?」

ボランティアをご検討くださっている方などに、こう聞かれます。

状況や立場によって説明は変えますが、概ね私はこう言います。

「普通でいいです。初対面の方にするように、距離や考えを尊重して関わってください。何かあれば保護者の私たちに相談してください」

(※もちろんバックアップの体制・仕組みはつくっています)

このマガジンや動画で私たちが主張したいことはただ一つです。

「人によって違う」です。

考えも、人生も、生い立ちも、希望も、地雷も、すべて。定型の家庭で育った、私たちの人生と同じように。

SNSやNPO団体によって、様々な説明が広がっています。必要な発信もあり、私たち児童養護施設が担えていない役割を果たしてくださっていると感じる説明も多々あります。

ただ特定の団体のサービスのアピールやアジェンダのために、児童養護施設で育った子供の人格が一括りで説明されたり、「こんなに辛いことがあったけど、いまは~~のおかげでこんなに立派です」など筋書きのあるストーリーを強要されたりすることで、個別性への誤解を促し、配慮なく生い立ちが扱われることで当人たちを傷つけるケースに多く立ち会ってきました。

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あるいは、個人の方がご自身の生い立ちと知識から子どもの内面を理解した気になって、支援を押し付けることです。それはもはや支援ではなく、関係の強要です。

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「本人たちが良ければそれでいい」

その意見は強く持っていますが、まだ社会人として未熟な若い方の個人的な部分を扱う大人側が、それ相応の理解・配慮を持つことは「責任」だと私は考えています。

当事者

支援/被支援・若者/大人という上下関係、あるいは組織の利益追求などが時に人と人の関わり方の「普通」をゆがめ、守るつもりだった子供を傷つける結果を残すことがあります。私たちも自戒しなければいけない構造です。

どんな状況下だろうが「距離感に応じた普通の関わりを」。

(※専門性の求められる関わりには、専門的な知見に基づく理解と態度が必須で、普通という言葉は一つの基準にしか成りえません)

その、社会人がもつ基本的な態度の重要さを強調するため、このマガジンと動画があります。

社会的養護の仕組みの説明や個別のケースを知ることは、児童養護の現場を身近にする学習であり、個人と深くつながる直接の行為ではありません。

近くて遠い児童養護。

いろいろある。ただ、どこでも同じ「人」が精一杯「人」と向き合っている。

そんな現場のワンシーンが伝わるよう努めたいと思います。

もし「何かしたい」と考えてくださっている方が「児童養護の現場」に一歩踏み込まれたとき、目の前に立った子供・若者と真っ白な気持ちで向き合う一助になれたらこれ以上のことはありません。

つづく。

ぜひ YOUTUBE「現場の事例」イイね、チャンネル登録お願い致します。

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