見出し画像

おわりに|本郷和人×島田裕巳『鎌倉仏教のミカタ 定説と常識を覆す』

おわりに――宗教の衰退と、今後の日本仏教 島田裕巳

 二〇二三年夏、日本は大変な猛暑に襲われました。本書の対談が行われたのは、その時期のことです。しかし暑いなか、対談の場に赴くことはとても楽しいことでした。私にとって、本郷和人さんのような日本史の専門家とじっくり時間をかけて対談をしたのは、はじめてのことだったからです。

 本郷さんと最初にお会いしたのは二〇一三年、雑誌『文藝春秋』の対談「日本人の死生観」の時のことでした。その頃はまだ、本郷さんは今日のようにテレビなどで大活躍される前で、その後みるみる活躍の場を広げていくのを私は驚きの目で見ていました。

 そうして、本郷さんの著作にあたるようになったのですが、鎌倉仏教をめぐって話をしてみたい、との思いが湧き上がってきました。ですから、祥伝社から対談を提案された時、喜んで引き受けました。

 鎌倉仏教と言った時、三つの意味があるように思います。

 ひとつは、「鎌倉新仏教」と言われる仏教の新しい流れのことです。

 もうひとつは、「鎌倉という地域の仏教」のことです。そこには、旧仏教とも称される、伝統的な仏教も含まれます。

 そして、最後が「鎌倉時代の仏教」で、武家が政権を取った新しい時代のなかで、仏教がどのような役割を果たしたかが注目されることになります。

 これまで、鎌倉仏教の研究は、宗教の専門家が行うことが中心でしたが、私には、鎌倉幕府という権力機構が深くかかわっているように感じられてきました。本郷さんは、鎌倉幕府の研究家であり、その権力のあり方に対して独自の見解を持っています。そうした方と対談をすることで、鎌倉仏教に対して新しい見方ができるようになるのではないか。対談を始めるにあたり、私はそのように感じていました。

 私の直感が正しいものだったのかどうかは、対談を読まれた読者の判断に任せなければなりません。ただ、私がこの対談で大きな刺激を受けたことはまちがいありません。

 現代において、仏教を含めたさまざまな宗教は、特に先進国では力を失いつつあります。日本の場合は、既成教団・新宗教を問わず、信者の数がもっとも多かったのはバブル経済の時代であり、以降はどの教団も大幅に信者数を減らしてきました。これからは、人口減少ということもあり、宗教の衰退はより顕著になることが予想されます。

 そうした状況に対して、仏教はどう対応するのか。また、私たちは、仏教にどういう意味を見出していけばよいのか。それが今、問われています。鎌倉仏教を見つめ直すことは、それが今日にまで大きな影響を与え続けているわけですから、重要な作業になるはずです。

 従来の鎌倉仏教についての見方には問題があったのではないか。私が対談で述べたことは、いずれもそれを指摘していたように思います。

 最近では、政治と宗教との関連が問題視されるようにもなりましたが、鎌倉時代に遡れば、その関係は今以上に密接でした。そうした面でも、鎌倉仏教についてあらためて考え直す作業は重要です。 

 なお、本郷さんと私の共通点は横浜DeNAベイスターズのファンであることです。対談が始まる頃には、今年こそ優勝するのではと期待がありましたが、それは叶いませんでした。あるいは、ベイスターズの選手たちには鎌倉武士の荒々しさや、鎌倉仏教の宗祖たちの大胆さが必要なのかもしれません。