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続編モノのワナ、部分原作/ゲームシナリオカフェ

7杯目:続編モノのワナ、部分原作

 続編モノが難しくなる原因のひとつに。「部分原作/部分原作者」というものがあります。

 例えば、前作で。「主人公の敵が、実は親だった!」みたいなのがあると。「次の主人公も、親と戦いましょう!」と、誰かが言い出してしまう。そんな風に、「前作をなぞってやってください!」が、四方八方から、山のように寄せられてしまうのです。

 でも、物語って、流れで味わわせるものですよね。ピンポイントの、「前作と同じように親と戦う!」「前作と同じように修行する!」って、飛び石みたいにやってしまうと。点と点はあるのだけれど、それを結んでいく道筋が作りにくくなります。それぞれの見せ場は、前作との流れに寄り掛かっているので、「前作と今の関係性」は、あっても。「今作のシーン同士の流れ」は、印象が薄くなり、弱められてしまうのです。

 同じ理由で。「前作で語られなかった、これを語る!」みたいな、ピンポイントも。やっぱり、前作の結びつきだけで、今作の流れを育むには、至りません。今作の中での、要素同士の結びつき。そして、それを足場として組み上げ、立ち上っていく、「今作ならではの勢い」が、足りなくなってしまうのですね。

 こういうことは、シナリオを書く側のひとたちは、わかっていることと思います。

 触れずにいた要素は、そうやって飛ばすことで加速したり、含みや深みをもたせたりしたところです。前作で味わった一連の流れは、前作を知る人たちは、既に「学習済み」となってしまうものなので、新しい感動にはならず、ただただ「答え合わせ」になることも承知しています。

 物語は、「自分だって作れる」と思われがちです。「自分は、文章が読めるし、書ける」「沢山の作品を見てきた」「だから、物語なんて簡単につくれるはず」って。

 結果、多くの「自分はわかってる」と思っている「部分原作者」がうまれ、シナリオライターがその御用聞きになり、「宿題のクリア」に追われてしまうのです。

 どんな作品にも、その作品の中で構築すべき、要素の足場があり。その足場に心を置き、次の足場へ、またその次の足場へと、要素同士の関連を深めながら、心渡っていくことで生まれる、うねりのようなエネルギーがあります。

 そういうものがあるのだと、まずは知るところから。過去の作品を材料に、「自分ならこうする」を重ねるのではなく。いま、目の前にあるその作品の「成ろうとする姿」を感じ取り、適材適所で、お世話をしていく。そういう、流れにしたいですね。
 部分原作者たちによる作品の二次創作化、自分が本気を出せばできるという専門職への不理解が解消され、楽しい作品が生まれますように。

 以上、「続編モノのワナ、部分原作」でした。

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