ゲームシナリオの指導で気をつけてること/ゲームシナリオカフェ
3杯目:ゲームシナリオの指導で気をつけてること
ゲームシナリオの指導で、わたしが気をつけていることは、大きく3つあります。
1、盛る以外方向を知らない
2、酷い話をつけるのが動機づけと思ってる
3、感動を説教で作ろうとする
これらのことが、なぜ駄目なのか?
ひとつずつ詳細を書いていきますね。
1、盛る以外方向を知らない
例えば、「ケーキが好き」という設定がある普通の子が。いつの間にか、「四六時中ケーキしか食べない」「甘み以外の味覚が全滅」「なんにでもシロップをかけてしまう」などなど……勝手に盛られて、変人化してしまうことがあります。
「盛る以外の方向を知らないこと」の弊害
全員がこの調子で盛られたら、一本調子になってしまいます。普通な者がいてこそ、異質な者らは輝くのです。一般常識の範疇で話し、考え、悩みながらも動くキャラ。そうした、日常風景を担うキャラがいなければ、ユーザーさんが共感できるポイントがなくなります。
2、酷い話をつけるのが動機づけと思ってる
例えば、主人公たちに敵対する悪役がいるとします。その悪役が、なぜ悪いことをしているのか?――その理由をつけよう!、そこを掘り下げて見せていこう!となった時。「身内を殺された」「故郷を滅ぼされた」だのしかやれないとなると……。
「酷い話をつけるのが動機づけと思ってしまうこと」の弊害
「結局どいつもこいつも被害者意識か」「復讐と八つ当たりしかないのか」という動機づけになってしまうんですね。可哀想な過去に偏ってキャラ劇やイベントシーンを見せられてしまうので、爽快感や達成感、笑いや安らぎに乏しくなってしまいます。主人公が勝つほどに、悲しみが募る形です。全体として重くなります。
3、感動を説教で作ろうとする
主人公サイドが、悪役やゲストキャラなどの間違った言動に対し、「それは違う」「こうするべきだった」「人間はそんなんじゃない」などなど説教し、相手を言い負かす形。
「感動を説教で作ろうとすること」の弊害
一定の演説シーンは魅力があって、需要があります。ですが、毎度お説教となると、「そういう主人公たちはどうなんだ?」「正論振りかざすために、悪役やゲストを小物化してないか?」という気持ちをユーザーさんに抱かせてしまいます。
何故かというと。ゲームにおいて主人公の言動の「言」である台詞は、立派にできるのです。ですが、「動」の部分は実際のプレイになります。マップの探索や、バトルの勝敗ですね。
実際のプレイ感覚としては、冒険してるか、戦ってるかであって。世界の諸問題に対して効果的な活躍、例えば、虐げられた人々とともに粘り強く運動を起こすとか、対立する組織の首脳陣を相手に、熱心に説得していくとか、そういうことにはあまり、ゲーム性が織り込まれていません。
プレイヤーさん自身が、立派な行動を実現できるわけではない……そのため、立派なことを言い過ぎてしまうと、主人公の言動の「言」だけが浮きやすいのですね。
まとめ
まとめ1
「設定を盛るだけ盛って、変人量産体制に入らない」
まとめ2
「悪役を可哀想な人に落として、作品を沈めない」
まとめ3
「実際のプレイと釣り合わないような大口を、主人公らに叩かせない」
目指すところは……
「平凡なキャラの日常」
「同情よりも格好いいを纏う悪人」
「冒険を通した主人公の言動」
これらを描くことです。これで、「そこそこ面白い」を描き出せれば。
ヒント
ヒント1
「設定は、盛るのでなく噛み砕く」
ヒント2
「悪人は、視点を変えればヒーロー」
ヒント3
「誰かの否定で語るのではなく、主人公の体験から思いを組み立てる」
以上です。ゲームシナリオの考え方について、整理してみました。これしか解がないわけではありません。頭をほぐす、見方を変えるなどのきっかけになれば。
楽しいゲーム、作りたいですね!
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