エピソードが尽きない 千利休

今回は、千利休について書いていきます。

私は、千利休がここまで面白い人物だとは思わなかった。
利休は、堺の魚問屋に生まれ、初めは「田中 与四郎」と名乗っていた。
では、いつ、「千利休」になったのだろうか?
利休は、織田信長や豊臣秀吉に認められ、64歳の時に、魚問屋だった利休が禁裏茶会にて天皇にお茶を出すようになった。
その際、天皇に失礼が無いようにいい名前にしようと「千利休」と命名されたらしい。
まず、一般の魚屋さんが天皇にお茶を出すというのが夢のある話。

また、利休は中国などからは入って来ていた器が気に入らず、国産が一番良いのだと世に知らしめたかった。
そこで、真っ黒の器を作り、有名人にしか渡さなかった。そして、一般市民には売らなかった。月日が経ったある時、高額で売り出した!
例えると、菅田将暉や山崎賢人など超有名人に自分の作った服を渡した。
そして、一般市民が欲しいと言っても、売らなかった。
ある時に、突然売り出した。しかも、何千万円の値段で!
これは、有名人が着ているというブランディングを行い、国産のものが凄いと思わせるように仕向けた。

利休は、「普通のことをするのが一番難しい」と言った。
ある日、突然友達が家に遊びに来た時に、「入っていいよ」って言えるだろうか?
「ちょっと待って!部屋片付けるから!」と言っていませんか?
普通に普段から掃除をしておけば、そんなことにはならないはず…
日頃の準備など普通の事をするのが難しい!

その他にも、利休が死に際に放った言葉や、弟子など面白いエピソードが尽きない千利休。
私もそんな魅力的な人間になりたい!

利休が気になった方は下のリンクから是非見てみて欲しい!
別に、中田敦彦さんから宣伝してと言われたわけではありません(笑)

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