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私の本棚: ビャルケ・インゲルス

本テキストは2011年12月16日にdomusのウェブページに掲載された記事"Unpacking my library: Bjarke Ingels"を翻訳し、書籍へのリンク、私なりのテキストメモを加えたものになります。

私の本棚:ビャルケ・インゲルス

驚くべきことではないように思いますが、BIGの創始者にインスピレーションを与える本はキャリアと同様に異端であり、SF、コミック、ニーチェといった名前が並びます。

コペンハーゲンとニューヨークを拠点に活動し、現代建築の次のアイコンとなりつつあるデンマーク人建築家、ビャルケ・インゲルスは、自身の人生において熱心な読書家であったと語ります。

彼は単に7冊の本を選んだわけではなく、7つのジャンルを設定し、それに紐づく指導者を選んでいます。彼の文学的興味はSFから現代哲学まで多岐にわたり、自分の進歩を後押しするようなメタファーやアイデア、コンセプトを常に探し求めています。また、革命より進化を、悲劇的で過激な形式的変化によるタブラ・ラサより決まったジャンルを巧みに使いこなすことを好んでいます。

映画やコミック・ストリップによる視覚的想像力は、彼の建築と同様に、適応力があり力強いと作品のパレードにおいて重要な役割を果たします。-Gianluigi Ricuperati

フランク・ミラー「バッドマン: ダークナイト・リターンズ」

ウィリアム・ギブソン「ニューロマンサー」

マヌエル・デランダ「A Thousand Years of Nonlinear History」

フリードリヒ・ニーチェ「道徳の系譜」

デイビッド・リンチ「Twin Peaks: An Access Guide to the Town」

チャーリー・カウフマン「Adaptation: The Shooting Script」

チャールズ・ダーウィンFrom So Simple A Beginning: The Four Great Books Of Charles Darwin

ウンベルト・エーコ「フーコーの振り子」

ダグラス・クープランド「ジェネレーションX―加速された文化のための物語たち」

私は8歳か9歳の頃からコミックを読んでいて、70年代から80年代にかけてのヨーロッパの偉大なコミックドラフトのファンでした。パオロ・セルピエーリ、タニノ・リベラトーレ、そしてもちろんマナラもそうですが、メビウスやその他にもたくさんいます。私はこの種の本をずっと読み続けてきました。しかし、私にとってのエポックメイキングは、フランク・ミラーのこの傑作でした。不思議なことに、この作品は一度も映画化されていませんが、クリストファー・ノーランの2作目のバットマンには明らかに影響を与えています。グラフィック的には、ヒューゴ・プラットのような粗雑さがあり、白と黒のコントラストが鮮明で、全体的にある種の荒々しさがあります。一方、物語の構造としては、多様なスレッドが同時に追求されるノンリニア・ナレーション、異なる視点と異なる現実が挿入される高度な階層化など、『ウォッチメン』と共通する部分があります。多くの情報が読者に提供され、物語が非常に豊かで奥深いものになっています。ミラーは、イメージと言葉の新しい混ざり方を常に試している、最も洗練された作家の一人であると思います。

ウィリアム・ギブソンに出会ったのは1990年、高校1年のときでした。私はすでに数年間、コモドール64というコンピュータを所有していました。私にとって最も刺激的だったのは、それが私にとって身近な宇宙であり、ごく普通の、私が日常生活で行っているあらゆることに満ちていると同時に、完全に抽象的な、未来に向かって起動した宇宙であったということです。現在をそのまま未来に投影しているのです。「このまま進めば、本の通りになる」。2011年の今読み返してみると、まさに予言的中と言えます。しかも、この本を書いた当時はインターネットもなく、コンピューターでもなく、タイプライターで書いているのです。彼が今日のデジタルライフを予言するような本を機械で書いたとき、私はすでにコモドール64を所有していました。そして、この本で私が今でもすっかり忘れているのは、人工知能の神々しさ、情報がどこにでもあり、すべてを包み込むことができるという考え方にアクセントが置かれていることです。驚くべきは、私たちの日常の現実がまさにそのようになり、情報はどこにでも、あらゆるものに到達することができるようになったということなのです。

ギブソンが「マトリックス」を発明し、バーチャルリアリティを発明したと言っていいと思います。フィリップ・K・ディックやイアン・バンクスも私にとって非常に重要な存在で、今でもよくSFを読みます。今は、人類が別の惑星に植民する、環境問題を中心とした作品を読んでいますが、環境保全やエコロジーといった問題は、架空の惑星について語るとまったく異なる響きを持ちます。SFの基本は、政治的、社会的、技術的なアイデアによって物語が加速され、そのアイデアのフィクションとして物語全体が展開されるという構造であり、一つのパラメータが変わるだけで他のすべてが変わってしまう。私の考えでは、発明と建築の成就のプロセスはすべて、このような加速された仮説と結びついているのです。

大学卒業後の1998年にOMAに就職したのですが、ちょうどボルドーの別荘が完成間近の頃で、ブルース・マウが深く関わっている「リビング・リーディング」という展覧会が開催されました。私は即座に彼の本が大好きになり、マウはちょうどデランダの新しい出版物の表紙をデザインしたところでした。この本は1000年にわたるアイデアの物語ですが、地層、堆積、分割、結晶化といった地質学的なメタファーも使われています。鉱物や石の利用法を通して、人類の歴史の発展を描いています。例えば、言語がどのように空間を作り出すのか、あるいは言語という「液体」がどのように結晶化した空間を作り出すのか-また別のメタファーもあります-など、社会的共存のほとんどすべての側面に触れる、並外れた読書体験でした。理想と現実が複雑に絡み合うこの視点に、私は文字通り高揚させられました。

ニーチェは私の好きな哲学者になりましたが、この本はいうまでもなくクラシックです。私は大学でニーチェを勉強したことはありません。『道徳の系譜』が好きな理由は、よりよく行動するために、何が習慣として残り、何が変化していくのか、そこまで至った道筋に注目する必要がある、という考え方です。これは、蓄積された経験を読み、そこから学ぶという方法です。彼は、地球を非常に複雑でスケールの大きなワークショップとして捉えており、このことは私に大きな影響を与えました。ニーチェは、マルクスが資本主義者であったのと同様に、ニヒリストでもありません。ニーチェは、新しい価値を創造する自由という興奮を私に伝えてくれたのです。要は、能動的な哲学者として価値を創造することです。建築家は哲学を使ってイメージ、トポスを求めます。ドゥルーズとガタリを例にとると、多くの建築家がリゾームを崇拝しているのは、リゾーム的な建物をつくるには、ほとんど努力も想像もいらないからです。

私は映画がとても好きです。映画を作ることは、今日において建物を建てることに最も似ている仕事です。どちらも、長い時間と費用のかかる予防的研究に基づき、同じように複雑な実行を伴い、さまざまな分野が活躍し、本当に作品を完成させて世に送り出すことができるかどうかはわかりません。さらに、映画監督も建築家も、投資家にプロジェクトの実行可能性を説得するために、より大きなものの模型を作らなければなりません。私の好きな映画監督の一人にデヴィッド・リンチがいます。90年代前半に観た『ツイン・ピークス』には、ただただ圧倒されましたが、それはシェリーン・フェンが世界一美しい女優だったからというだけではありません。その2年前にテレビで『ワイルド・アット・ハート』を観て、その後、他の映画もすべて観ました。リンチの最も好きなところは、スリラー、ミステリー、コメディ、そして連続テレビ小説といった決まったジャンルに、まったく異質な要素を挿入する能力についてです。私は、建築においても、ジャンルの必要性を強く信じています。

ジャンルの基本的な規範を守りながらもそれを変えていくことは、この優れた脚本家・監督が、監督作品でも脚本作品でも行ってきたことです。『アダプテーション』では、観客が受ける結果はもっと複雑で重層的であるにもかかわらず、まるで彼が本当に花についての映画だけを作りたかったかのように見えるのです。セットの形式を尊重することは、デザインにおいても価値あることです。私のような職業に就いている者が、無定形のものを世の中に放り出すことができると考えるのは、重大な誤りであると確信しています。

ダーウィンを読んで学んだことは、形のテーマと密接に関連しています。過激すぎる突然変異は、しばしば終わりの始まりであり、システムが死に始める原因なのです。革命は劇的なもので、突然の悲劇的な変化がやがて進化と関係することは十分承知していますが、私は大まかに言って、進化と革命の二項対立に賛成しています。しかし、そうは言っても、ダーウィンは優れた科学者であることに加え、極めて丹念な執筆者であることも付け加えておかなければなりません。その意味で、私が今回選んだ最後の2つのタイトルと共通するものがあります。

この2冊は、まったく異なる素晴らしい本です。エーコの小説は、非常に興味深く繊細な方法で構成されています。すぐに理解できるものではなく、しばらくしてから理解できるような言及に満ちており、当然、陰謀、秘密結社、人間が持つ知識への執着に関係しています。まるで、何かを知る必要性の方が、その知っていることが真実かどうかを調べる必要性よりも急務であるかのようです。そしてこのことが、この本を人間の本性についての不穏な謝罪の書にしています。私が『ジェネレーションX』を読んだのは22歳の時で、私の文学神話はウィリアム・ギブスンであり、当時のギブスンがクープランドと同じバンクーバーに住んでいたことを発見し、非常に衝撃を受け、そして影響を受けました。この本は、日常生活に焦点を当てた大きな眼差しで、小さな、そうでなければ見えない細部にまで読者の目を向けさせることに成功しているのです。当時、大学では建築の学者や理論家ばかりを読んでいて、彼らは「現在」を嫌悪していました。だから、クープランドに熱中したのです。彼は、現在にとても魅了されているように見えました。

以上の7冊とその解説を読んで感じたことは、ビャルケは書籍(他人のクリエイション)から確立されたアイディアとそこからの発展・進化の方法論について盗むということに長けているように感じる。
バットマンからはシネマティックなストーリー展開で主義主張を語ること(これはそのまま"YES IS MORE"に活用されている)、ギブソンからはネットワークの構造、デランダからは自然界の持つ構造をデザインに応用する思考(まさしく建築的な思考だ)、デイビッド・リンチやカウフマンからは型破りの方法論、ニーチェやダーウィンからは哲学やヒューマン・ヒストリーをデザインの進化に応用する思考法、ウンベルト・エーコやクープランドからは人間の思考についての視座を得ること。建築デザインとその歴史について、彼のようなめちゃくちゃなスピード感で発展させるために学んだルーツが建築からではない、というのはとても納得できる。

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