往復書簡 第2便「才能について#2」(返信:ウチダ)

タムラさま

おはようございます。
メールありがとうございます。
才能についての重ねてのご質問、承りました。
たぶんそういう疑問を持つ人がいるだろうなと思っていました。


才能のある人が、それを活かして富や名声を得た後も、才能が「目減り」しないということがあります。あれはどうしてか。


それは彼らが自分のパフォーマンスは自己努力だけで⁴なく、天賦の才能がもたらしたものなので「それがもたらしたものを独占してはならない」と考えているからだと思います。

「独占しない」仕方にはいろいろあります。チャリティー活動に協力して、困っている日とを支援するというのが最も一般的です。これだけでも天からの贈与に対する「反対給付義務」としては十分です。
でも、「天からの贈与」に対する「恩返し」として、それだけでは足りないと思う人がいます。自分のパフォーマンスは、とてもじゃないけど通りいっぺんのチャリティーなんかでチャラ⁷にできるレベルのものではないと感じる人は、「天に恩返しができる機会」をいつも探しています。

贈与論の基本は「贈与に対して反対給付義務を怠ったものの身には悪いことが起きる。場合によっては死ぬ」という信念です。

これは集団的に共有されています。

ですから、本人が才能を濫費するだけで、「恩返し」を怠る場合、周囲の人の多くは「いずれあの人の身には悪いことが起きる」と思うようになります。怖々と、あるいは邪悪な期待を以てその人の生き方をじっと観察することになる。

でも、こういうのは中立的な「観察」では収まらないんです。
自分たちが信じている贈与論の基本通りにものごとが進まないと、信仰の基盤が揺らぐ。だから、無意識のうちに「その人の身に悪いことが起きること」を願うようになる。
無意識に、です。怖いですね。
ちょっとした気遣いやアドバイスでその人の身に起きそうな「悪いこと」を除去できる場合に、ついそれを怠ってしまう。
別に悪意があってのことじゃないんです。
無意識のうちに「贈与論の教えは正しい」ことを証明しようとしてしているのです。

その逆に、才能を天からの贈り物だと感謝して用いている「ように見える」人については、世の人々は「この人の身に災いが起こりませんように」と願うようになる。
そして、その人を災いから防いで上げる機会に恵まれたら、その機会を利用して災いを防ぐように努める。

贈与論というのはそういう意味で「遂行的な」装置なんです。現実にそうであるということではなく、現実はそうあらねばならないという集団的な思い込みなんです。
だから、思った通りのことが実現する。

才能を「飯のタネ」にするのは構わないんですよ。自分が享受しているものの相当部分は「贈与されたもの」で、本来は私有してはいけないものだと「感じて」いれば、それでいいんです。「飯のタネ」を頂く時に「ありがとうございます。頂きます」と手を合わせればいいんです。それで十分。

そう「感じて」いる人は反対給付義務を果たす機会をいつも探しています。どんなささいなことでもいい。床のゴミを拾ってゴミ箱に入れるくらいのことでいい。
もちろん、そんなの、その人の仕事じゃないんですよ。でも、「誰かがやらなければいけない仕事があったら、それは自分の仕事だ」というふうに考えるのが「恩返し機会を探している人の」基本的なマインドセットなんです。

「世のため人のため」に何をするかは本人が決めることです。
「天賦のもの」がすごく多いと感じる人は多く「恩返し」する。「オレの成功はすべて自己努力の成果であって、いかなる先天的・後天的アドバンテージも得ていない」と思っている人は何もしない。

自分には才能がないと思っている人、自分は天からいかなる贈り物ももらった覚えはないという人も何もしない。
そういう人は「贈与のサイクル」から初めから降りてしまっているので、誰からも何も期待されないし、何も支援されない。

どんなささいなことでも、自分の身に生得的に備わっている能力や、他者から贈ってもらった「よきこと」を「贈り物だ」と感じた人は、そう感じた瞬間に贈与のサイクルに入る。
そういうものです。
贈与のサイクルでは最初に「私は贈与を受けました」と宣言した人が一番偉いんです。その人が贈与のサイクルを始動させた訳ですから。

それぞれの身にこの先何が起きるかは「世の中」が決めるんです。
きちんと「恩返し」した人は幸いを得、「恩返し」を怠った人は不幸になる。
周りの人がそう思って見つめている。そうなるように願っている。そうなるように(無意識のうちに)行動する。
それだけのことです。
「天」を機能させるのは人間たちなのです。

今のは多数派が認める平時の才能についての話ですが、少数派の、非常時の才能の場合も同じです。
彼らでも、才能を発揮する機会が生涯に一度もないということはありません。思わぬ危機に際会して、その天賦の才能を発揮して、人々の敬意を得たり、威信や地位を得ることもあります。
その後、どうふるまうかによって「後に違いが出る」のは、どんな才能でも変わりません。

こんな説明でお分かり頂けたでしょうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?