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「孤立を恐れるな」と言われたある日

今から1年くらい前だと思う。
「お時間をいただけませんか?」と毎度のごとく、内田先生にご連絡をし、超絶お忙しい合間を縫って、内田先生は東京滞在中にお時間を作ってくださった。
これは、内田先生の信条である、
 ・頼まれごとは断らない。
 ・教え子の相談に乗るのは、本人が望む限り応答するのが教師のつとめ。に基づいたご判断。感謝しかない。

内田先生のお忙しいお時間をいただいているのは承知しているので、「こういうお話をしよう」とあらかじめ決めていたし、なんなら「こうこうこうで、△△で、こう考えていて…」としゃべる原稿まで脳内で作っていた。
でも、いざ内田先生を目の前にして、自分の話の本題に入ろうとしたら、思うように言葉が出てこない。もう、口をパクパクさせて、魚みたいに。
そして、言葉が出てこない代わりに、涙が出てくる始末。言葉がうまく出てこない場面は、これまで何度も遭遇してきているのだけれど、この日は際立っていた。
(あぁ、内田先生ごめんなさい、うまく話ができなくて。)
心の中でそう思いつつ、言葉を探し回っているわたしの目の前で、内田先生は、ただじっと耳を傾けてくださっていた。
本当に、文字通り、かだらを少し右にひねって、右耳に手を添えて。
そうして、内田先生は、わたしの「言葉にならないけれど全身で語っている何か」を聴き取って、こうおっしゃった。

「孤立を恐れるな」

そして、続けてこうおっしゃった。

「でも、心配しなくていいよ。
 孤立しようとしても、なかなか人間は一人っきりにはなれないもんでさ。
 孤立したもの同士が、気づけば緩やかにつながりをつくっていくものだから。」

内田先生とお話する時間には、「言葉にしようとしてうまく言葉にできないこと」や「言葉にしたことがなかったけれど、気がつけば言葉にしていること」がかなりたくさん含まれている。
似たような事は今まで口にしてきているけれど、もう少し自分の手ざわりに厳密になろうとするような感じであり、どこかから持ってきたストックフレーズを使えばひとまず言葉にできることを、なるべく避けようとするような感じでもある。
それが可能なのは、先に書いたように、内田先生が文字通り「耳を傾けて」くださっているから。
そして、個人的に特筆しておきたいのは、わたしとの関係性は「教師と教え子」だけれど、この「耳を傾ける」という内田先生の基本的なスタンスは内田先生個人の選択によるもので、「教師だから」耳を傾けているわけでは全くないということ。もちろん、教え子の立場からすると、恩師に耳を傾けてもらえることはありがたいことなのだけれど、ご本人は「教え子だから」と聴く態度を変えているわけではない。話を聴いて、そこに意見があれば伝えたり、「励ましたほうがいい場面だな」と判断すれば励ましたりするような感じで、ご自身の役割、社会的立場、相手との関係性、目の前の状況…そういった幾つもの要素を瞬時に総合的な判断材料になさっている(たぶん)。
こういうことは、人間誰しも当たり前にやっていることでありつつ、往々にしてどれかの要素に視野を奪われて、意図しない偏りが生まれていることがあると、自分自身を省みて感じる。「意図しない偏り」を極限までかわして、「わたしとしての現時点での最善の選択は、これ」を連続されているのが内田先生、という気がしてならない。

……と、今こうして書いていても全然うまく説明できなくてもどかしいのだけれど、今のわたしにできることとして、恥ずかしながらも、書いておこうと思う。

ちなみに、「孤立を恐れるな」という言葉も、内田先生の同じスタンスが貫かれていることは、言うまでもない。
「教え子」に向かって「教師だから」と発された言葉ではない。
内田先生個人として、お伝えになりたいことの一つが、「孤立を恐れない勇気」なのだ。

内田先生は、「こうしなさい」「ああしなさい」とはおっしゃらない。
基本的なスタンスは、「好きにしてください」「ご自由にどうぞ」であり、気になることがあっても、「僕だったら、こう考えるかなぁ〜」とか「ん〜どうなんだろうねぇ〜」と、大抵やんわりおっしゃる程度。
だから、わたしはこの日、とても驚いた。
「これは今ここで言っておかなければならない」と、内田先生が瞬時に選択されたということは、よっぽど「言っておかなければならない」と内田先生も切迫した判断だったのかもしれない。それは、目の前にいるわたし自身の表情とか佇まいだけではなく、わたしから映し出される「社会からの影響」を察知されてのご判断なのだと思う。
そのことは、今般刊行された『勇気論』(光文社)にこの言葉が収められていることからも、確かだと思う。
「勇気」を出すと同時に湧き上がる「孤立感」は、避けられないけど、永遠ではない。そのことが、光文社の編集者の方との往復書簡で、綴られている。「勇気」と「孤立」が同時に立ち上がることと、その中での身の処し方について語られている、とても実践的な一冊は、読み終える前に、もう「勇気」が出てきてしまうから、不思議だ。

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