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純粋悪とは…の話

むかし。リーディング用に書いた台本が純粋悪をテーマにしたやつだった。

純粋悪ってのは、星野の造語なわけだけれども純粋な悪は存在するのか…って話だった気がする…というのも、その当時使っていたPCが使えなくなってしまったのでシナリオデータ諸々が手元にないからなのだ。

久しぶりに興が乗ってるので、当時のことも含め雑感として書いておこうと思う。

そもそもだけれども、悪ってなんだろうか。

キャラクターの話でよく持ち出すのが、属性…アライメントの話なんだけれども…TRPGやらビデオゲームなんかで使われるキャラクターの行動方針みたいなもんかな。
性格で、善 / 中立 / 悪
行動方針で、秩序 / 中立 / 混沌
この2の軸を組み合わせて9つの基本属性をつくるってもの。

こんな感じね。
ただ、このロジックだと法というものがそもそもあって…という話にもなる。
おおまかなストーリーがあり、それの舞台になるための法があり、それに縛られてキャラクターたちは生活をしていると。

だからこそ、軸で表されるキャラクターってのはストーリーの一側面からみた評価付にもなるわけですよね。

人間は社会的生命体ですから、大なり小なりのコミュニティに所属しているわけじゃないですか。郷にいれば郷に従え…つー言葉がありますけれども、コミュニティにはコミュニティのルールがあるわけで。

たとえば日本では、日本の法律に従って…各自治体の条例やら、交通機関なんかが決める法令なんかや、店舗さんごとのお約束、会社や学校の規則、家でのルール…といろんなルールに縛られて自分っていうものは形作られているわけです。

では、ある日突然
どこのコミュニティにも属さないモノが現れたとして
コミュニケーションはできるのか

そんな話だった気がするな。
うん。

この例えもよくワークとかで出すんですけれども…

暗殺者家庭に育って、ターゲットを傷つけることを普通だと考える人が殺人を冒すのは悪か?

大抵の場合は、悪ではないという答えが帰ってきます。そのコミュニティのなかでは殺人をしないことこそ普通ではないのだから…と。
これは多少飛躍した考え方ですが、キャラクターの性格は所属するコミュニティによって決定するのだと思うのです。
ルールによって縛られ、ルールによって行動方針が決定し、コミュニティルールから外れたものが悪と呼ばれ、コミュニティとコミュニティの意見の相違が正義と敵対を生み出すのだと。

では、話がもとに戻りますけれども

純粋悪は存在するのか

悪い事をしている意識がなければ、コミュニティからみれば悪であっても本人のなかでは悪ではないですよね。
では、どのコミュニティにも所属せずコミュニティ(A)の言語もルールも理解されないような対象が、その欲求のまま行動をし、コミュニティ(A)のルールに違反するような行動をとった場合これは悪であるといえるのか。

野山に自生する植物を収穫し食しても罪には問われませんが、他者の所有物を勝手に収穫し食したら罰せられます。
害獣を駆逐するのは称賛されますが、家畜や愛玩動物を勝手に傷つけては罰せられます。

行為自体はにているようでも、その対象がコミュニティに所属しているかどうかによって判定が大きく変わってきます。

役を演じる際に気にするようにしていることですが、自身のキャラクターはどんなコミュニティに所属し、どんな顔があるか。

W・シェイクスピアのマクベスの話で例えれば領主であり、臣下であり、夫であり、野心をもつ男であり、軍人であり、ひとりの弱い人間であるといえます。
我々が普段からさまざまな顔を持つように、台本に示されている顔だけがキャラクターの顔ではないのです。

純粋悪は存在するのか…この問いはキャラクターを独りにさせないためにも大事な問いかけです。社会生活をしている以上、コミュニティは存在し、コミュニティに存在する以上、善悪の判断はあります。キャラクターの行動方針を探り、主体的なアクションをするためにもキャラクターのアライメントを掘り下げてみましょう。

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