見出し画像

「睾丸〈きんたま〉板の間に落つ」――明治「異性装」事件を読む|平山亜佐子

明治・大正・昭和の挿話蒐集を精力的に続けてこられた平山亜佐子さん。晶文社スクラップブックでも「夫人小説大全」が連載中です。
今回マイ・スクラップブックにご寄稿いただいたのは、「異性装」についてのお話。十年以上も前から調査と執筆をなさってきたという平山さんに、明治時代の新聞記事から、注目すべき異性裝「事件」をご紹介いただきます。


2009年末に『明治大正昭和 不良少女伝――莫連女と少女ギャング団』(河出書房新社)を上梓した。明治から昭和初期の不良少女に関する新聞記事を並べて解説した本で、今年13年ぶりにちくま文庫の仲間入りをさせていただいた。

単行本を執筆した際、約100年前の新聞記事を検索していて異性裝者の事件がちょくちょく取り上げられていることに気がついた。異性裝、いわゆるクロスドレッサー(生得的身体と違う性別の服飾をまとう行為を指す)が100〜150年前の日本において娯楽、職業、性的嗜好など実にさまざまな理由で実行されていることを知ったのだった。

ジェンダー論華やかなりし現代でこそ、精神医学の発達や法整備などによって社会的認知も徐々に広がり始めたが、当時はそんな状況にはない。異性裝の理由が自分のなかで未分化だった人もたくさんいたと考えられる。自覚も周囲の意識も曖昧な時代の異性裝は、細分化されたジェンダー観を生きる我々の目に果たしてどううつるのか……。

そんな気持ちから2011年、北海道大学の学生がつくる、腐女子とよばれる女性たちについて掘り下げたZINE『girl!』(ガール社)に4回にわたって連載したのが「本朝異装奇譚 またはヤマトナデシ娘☆七変化」だった。これは、明治から昭和初期の、とくに男装の事件記事を毎回一つとりあげて、それぞれの事情や背景を想像する読物である。

日本には異性裝に関する神話、職業、芸能が古くからとても多くあるが、異性裝を禁止する初めての条例は東京府達「東京違式詿違条例」である。

違式詿違条例とは開化を目指す政府が前時代的な(つまり西欧諸国に対して恥を感じるような)公共空間でのふるまいを正そうとした法で、違式(故意の犯罪)と詿違(過失の犯罪)に分別されている。無燈火での馬車通行、贋造・腐敗飲食物の故意販売などもっともな規制もあれば、他人の争論に加担する行為など、そこまでお上が規制するのかと驚くようなものまである。いずれにしても守らなければ罰金刑が科される。払えなければ苔打ち、勾留刑というどちらが前時代的かわからないような罰則まであった。

「東京違式詿違条例」は1872(明治5)年11月13日に全文五四ケ条として施行されたが、翌年末には第六二条「男ニシテ女粧シ女ニシテ男粧シ或ハ奇怪丿粉飾ヲ為シテ醜態ヲ露ス者 但シ俳優歌舞伎等ハ勿論女丿着袴スル類此限ニ非ス」が追加された。

しかしながら10年後に施行された明治刑法に異性装を禁じる項目は受け継がれていない。そのため異性裝自体は犯罪ではなくなったが、一度刑罰の対象となった以上、偏見はそう簡単に消えない。実際、犯罪者が隠れ蓑に仮装するケースも絶えず、新聞沙汰には事欠かなかった。

今回、「マイ・スクラップブック」という場をお借りして、4回の連載で紹介したうち3件の記事をざっくり振り返ってみようと思う(以下、記事引用部は旧かな旧漢字を新かな新漢字に直し、総ルビを間引き、句読点を適宜付けた)。

第1回で取り上げた事件は「睾丸〈きんたま〉板の間に落つ」(1892(明治25)年11月11日付『読売新聞』)という衝撃的なタイトルの記事である。

「睾丸〈きんたま〉板の間に落つ」(1892(明治25)年11月11日付『読売新聞』)

「異人お鉄」とあだ名される女性が窃盗で捕まって高知市の刑務所にいた。刑期を終えて出て来るとすぐさま高知を飛び出したが、その際に鼻の下に輸入ものの付け髭をし、男性の恰好に着替えた。そして舟ではるばる宇和島に渡り宿を取ると、毎日旅館の仲居たちを連れて遊び歩いていた。ある晩、宿の客が400円を紛失、警察はお鉄に目を付けた。それと知らぬお鉄はいつも通り紳士のいでたちで銭湯に来たが、服を脱いだところ褌〈ふんどし〉から贋の睾丸が板の間に落ちてしまい、不審に思った他の客の通報で宇和島警察署に引致されたという。

とにかく情報量の多い記事である。まず異人お鉄は犯罪歴のある女性で「紳士と化け」たのも一見カモフラージュのように思えるが、刑期を終えて正式に出所しており、ことさら身を隠す必要はない。途中で付け髭を調達するなど手慣れた雰囲気があり、宿の女性たちと遊び歩いているというくだりを見るに性自認が男性の異性愛者という可能性も考えられる。そしてなんといっても銭湯の板の間に落ちた贋の睾丸が気になる。男装がお鉄にとって単なるファッションならば睾丸まで付ける必要があるだろうか。また、宿の女性たちはお鉄を女性とは知らずに交際していたのだろうか……疑問は膨らむばかりだ。

ちなみに異人お鉄の「異人」という渾名も、異質な人の意味か、もしくは外国人だったのか、片親が外国人だったのか、あるいは単に見かけが外国人のようだったのか、記事だけでは判別がつかない。同じ頃の新聞に浅草在住の外国人女性の男装の話が記事になるなど、男装と「異人」の組み合わせはいくつか散見されるため、男装=異人ということなのかもしれない。それにしても、130年前に、付け髭をつけた男装の女性が町を闊歩していたとは、事実は小説より奇なりである。

第2回で取り上げた事件は1881(明治14)年4月13日付『読売新聞』掲載のもの。

記事の主人公のお秀は本芝二丁目の魚屋の娘で、度々新聞にも出て当時「誰も知って居る」ほどの有名人である由。本芝二丁目は今の港区芝四丁目、JR田町駅の辺りで、これより3年前に施行された郡区町村編制法によって東京一五区の一つ、芝区になったばかりである。

お秀のファッションは大紋附の半纏、盲縞〈めくらじま〉(藍色の無地に見える細かい縞模様)の股引〈ももひき〉、腰に締めた三尺帯という完全なる男作り。一昔前の植木屋さんに似たスタイルと言えばいいか、江戸っ子らしい粋な風采である。髪も短く「散髪〈ジャンギリ〉」で言葉遣いも男性、遠目には男性にしか見えなかったと思われる。「近所の者は名は呼ばで男女〈おとこおんな〉と評判」されていたため、例の違式詿違条例に引っかかって「警察署へ呼出され厚く御説諭」されたこともあった。

そんなお秀に恋人ができる。芝神名社(現芝大神宮)内の水茶屋(お茶や桜湯などを出す休憩所)の店員、お駒である。茶屋には看板娘も多く、江戸時代には錦絵(ブロマイド)も出るほど。そんな花形の女性に見初められるお秀は、相当な遊び人とお見受けする。次第に二人は「別〈わ〉りなき中」となり駆け落ちに至る。そして今では「兼〈かね〉て懇意にする同所新濱町の島崎八十吉を便り、昨今世話に成て居る」というが、二人に味方があってよかったと100年後にほっとするばかりである。

しかし記事の最後に急転直下(というのか)気になる文言がある。「女が女に惚るというは余りおかしい話だと内々聞き糺〈ただ〉して見ると、お秀には陰嚢〈きんたま〉はないが男の何も女の何も持て居るとの事なれど、記者はまだまだ信用できない」。

どうもお秀には性分化疾患、いわゆる両性具有の噂があったことを示唆している。筆者に生物学的、医学的知見はないため踏み込むことはできないが、お秀は自分を男性と認識していた可能性があり、男性として男性の格好をし、男性として女性を愛しているのかもしれない。そのようなジェンダー観の前に異性装のみを禁じる「違式詿違条例」六二条のなんと無力であることか。

最後に紹介するのは1884(明治17)年6月13日、14日付『読売新聞』に掲載された「奇縁」という記事。

岩殿山の観音様(埼玉県吉見町安楽寺、吉見観音)で美少女を見初めた仲次郎、一年後に再び探しに行ったが見当たらず、諦めて茶店で休んでいると美少年が通りかかった。旅回りの芸人のようだが、よくよく見ると一目惚れした少女お亀本人であることが判明。さては世間の噂通りお亀は男子だったかと気づき、急いで帰って両親に承諾をもらい人を介して縁談を持ち込んだ。先方は「また始まったか」といった体で、お亀は戸籍上男性で亀太郎と言い、結婚は無理だと断る。しかし仲次郎側は承知しない。というのも仲介人によれば仲次郎は「此方(こちら)の息子様と同様、無事に育てん其為(そのため)に男の姿に身を窶(やつ)させ、男の様にして居れど実は女で有ります」とのこと。つまり、仲次郎は女性だったのだ。というわけで障害はなくなったが、亀太郎が一人っ子のため両親は婿養子にはできないという。すると仲次郎側は妹がいるので嫁として入れますとの返事。結婚は無事に執り行われた。その際、「お仲は急に大髻(おおたぶさ)の男髷(おとこまげ)に入毛(いれげ)をして島田に結えば、亀太郎はまた髪を切って散髪(ざんぎり)となり」と、生得的身体と同じ婚礼衣装に身を包んだというから面白い。やがて昨年の秋、お仲は女の子を産んだが死産で、その後は何となく家内の折合いが悪く離縁になったが仲介者の働きでまた再婚したという。

まさに奇縁としか言いようのない話である。

昔は子どもの早世が多く、男児を女装させたり女児を男装させると無病息災に育つという言伝があった。昭和天皇も幼少期に女児の恰好をしていたというが、ある程度大きくなってもそのままというのは珍しく(その理由について前日の記事には「母が頻(しき)りに悦びて成長の後も其儘(そのまま)に女に造って」とある)、そのうえ縁談が持ち上がって蓋を開けたらお互い異裝だった、という話はなかなかに珍しい。

それにしても、二人の切り替えの早さは驚異的だ。まず、お仲。最初に見初めたときには亀太郎を女性だと思っていたわけで、女性同士として交際したかったのか、そうだとして相手をどう説得するつもりだったのか気になるところである。また亀太郎も、女性にしか見えない男性に求婚されて女装をさっさとやめて結婚するというのが興味深い。いずれにしても、異性装の理由も結婚も親のなすがままであるところに不思議な味わいを残す逸話である。

ちなみに気になるのは、離婚と再婚の展開の速さである。整理すると、3月18日の縁日で見初める→1年後に再会→2ヶ月後に結婚→翌年秋に出産→その翌年5月初旬に離婚→翌月に再婚、という超展開の3年を過ごしている。

どんでん返しに継ぐどんでん返し、現代に置き換えて小説やアニメにしたら人気が出るかもしれない。

さて、3件の男装事件の記事を見ていただいたが、どのような感想をお持ちだろうか。

誤解してほしくないのは、本稿は男装者を面白おかしく取り上げたり、また逆に殊更に持ち上げようというのではない。

男装をする女性たちが遥か昔から存在していたこと、そしてさまざまな葛藤や軋轢がありながらもそれぞれの居場所を見つけて生活していた、その様を紹介するのがテーマである。

異性装者同士のコミュニティもほとんどなく、またLGBTQIA(+)のようなセクシュアルマイノリティの分類も存在しないなかで、周囲の理解をなんとなく得ながら好きな人にアプローチしたり、異性と仲間として接したりして暮らしていた異装者たち。新聞記事や雑誌に埋もれた彼ら彼女らを紹介することで、現代に生きづらさを感じている人たちの心に何らかの想いを残すことができれば幸いである。

この企画は、近々何らかのかたちでまとめようと考えている。

平山亜佐子(ひらやま・あさこ)
兵庫県生まれ、東京育ち。文筆家、デザイナー、挿話蒐集家。著書『20世紀破天荒セレブ――ありえないほど楽しい女の人生カタログ』(国書刊行会)、『明治大正昭和 不良少女伝――莫蓮女と少女ギャング団』(河出書房新社/ちくま文庫)、『戦前尖端語辞典』(左右社)、『問題の女 本荘幽蘭伝』(平凡社)。唄のユニット「2525稼業」所属。Twitter: achaco2