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失った恋を忘れるには

失恋が不可避だとしたら


破れた恋の忘れ方。

いきなり否定から入るがそんな方法があれば誰も苦労はしない。いや、あるにはあるのだ。よく言われる新しい恋に生きるである。しかしそう簡単に忘れられないから悩むものではなかろうか。

「もしあの人と一緒になれたら」

その想いが積み重なれば重なるほど喪失感は深く根強いものになっていく。報われない恋を何年も続けた結果疲れ切って恋が消滅することもあるだろう。しかしそんな幸せなのか不幸なのかわからない結末を待って身を焦がし続けるのは不確かであり不健全である。

禍福が糾える縄のように整然と巡り合わせるのならそれもいい。しかし現実には失恋失恋また失恋。誰ひとり振り向いてくれない人だっているはずだ。「高望みし過ぎ」などという非難もあろうが、生まれた境遇も違えば見てくれも才能も違う他者の意見を、どうして受容できようか。

こうして恋に悩む女の子に共感して背中を押し、体よく泥沼に突き落としてしまった経験が何度かある。それが正しい選択だったとは思わないが、不可避だったとも思う。
叶わぬ恋を理性で払いのけるのは難しいし、それを他者が止められる普遍的で合理的な説明もありそうにない。

そうすると取るべき方法は主にふたつ。いかにのめり込まないか、普段から心構えをしておくこと。そして失恋をした際に早く立ち直ること。

前置きが長くなったが、好んでもないのに失恋の痛みと向き合わなくてはいけなくなった人に送る「失恋の癒やし方」リストである。
今まで本気で考えたことがなかったため、今回私が思いついたものをひたすらに挙げていく。我ながらいずれの方法もよく聞く凡庸な例ばかりだと思う。しかし神の薬にはならなくても、その人の傷が少しでも癒えるのなら参考にしてほしい。

Case1「新しい恋に生きる」


難しいがやはり最良の方法。恋に破れた後は好みも変わっているものである。好きな人と一緒になれなかった人ならば、いつも一緒にいてくれる人を好きになるかもしれない。現実にはそうでなかったとしても「好みが変わったかも」と思っていた方が気は楽であろう。


Case2「『H2』を読む」


昔back numberのpizza small worldで清水依予吏氏が失恋に悩む人に「『H2』を読みなさい。古本でもいいけどできるだけ新品で揃えなさい。あだち先生に印税が入るから」と発言していた。ネタではあるのだが、やはり失恋時には失恋を描いた作品が癒やしになるかもしれない(つまり『H2』でなくても漫画でなくてもいい。ただ個人的に山田孝之主演ドラマ「H2」がおすすめ)。


Case3「失恋ソングを聴く」

こちらも定番。失恋した時こそ失恋の歌を。一度「おすすめ失恋ソングリスト」としてエントリを1本書いてもいい気がしている。しかしここでは1曲だけ。

さてこれだけback numberを推しているのだからもちろんおすすめもback numberだろうと思われるかもしれない。しかしbnも好きだが私は根っからのラッ子だったりする。
ということで両バンドの後輩たちのこの曲をどうぞ。失恋カテゴリで言うと「付き合ってから振られたパターン」たが、それ以外の人にも切ない思いは響くはず。

全部、いらないのに/LILY


Case4「お酒で嫌なことを忘れる」


最悪の方法。アルコール依存症に注意。しかし依存しない程度ならたまの深酒も悪くないと思う。胸を掻きむしって泣きじゃくるよりはアルコール性の頭痛で苦しんだ方がマシな日もある。


Case5「自分の世界に引きこもる」

私は恋破れた相手との繋がりのあるSNSの更新を止め、今まで投稿したこともないくだらない趣味専用のアカウントを作った。そして特撮を嗜む趣味もないくせに子供の頃好きだった某ウルトラマン作品の高額Blu-rayBOXを購入し、視聴を続けた。関係グッズもたくさん買った。そうしていれば何も考えずに済んだのである。心の底から笑えるお笑いDVDを片っ端から借りてきて笑う方法も有効だと思う。笑いは強い。

Case6「ディソシエーションして傷を遠ざける」

https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4334784267/ref=tmm_pap_title_0?ie=UTF8&qid=&sr=

この本の第4章「関係に変化が生じた時」に載っている感情のコントロール方法。英文法の過去形と過去完了形を例に記憶のカメラアングルを解説している。

英語でいう「私はサーフィンをした」という過去形の文章は、自分の過去の経験を行為者としてライブに追経験していることを意味する。しかし過去完了形は自分の経験したことを記憶として持っている状態で、言わば過去の何かをしていた自分を客観的に見ている(「私はサーフィンをした」というライブな記憶ではなく、サーフィンをしていた過去の自分の写真を見ているような感じ)という。

ライブに追体験しているとその体験に紐付いた感情も一緒に蘇ってくるが、過去の自分の思い出を(行為者としての)自分の姿もそのイメージに映り込むようなカメラアングルで見ると感情があまり浮かんで来ず、客観的に見ることができるという。このようなカメラアングルで見ることを「ディソシエーション」すると呼ぶらしい。

嫌な記憶もライブな感覚で追経験すれば苦しいばかり。失恋の経験は、想い人との楽しかった(嬉しかった)思い出の一瞬一瞬を写真に閉じ込めてしまったように認識すれば、気持ちの整理がつきやすい。悲しい思い出も写真にして手の中で弄べば気も楽になりやすいわけである

失恋した場合にも、しばしばその感傷に浸った後、恋人との思い出をことごとくディソシエートしてみる。つまり、あなたと相手がいる風景をもう一人のあなたが見ているという形で捉え直してゆく。そうすると、だんだんと相手への気持ちの整理がついてくる。

もしかしたらこれで傷が癒える人もいるかもしれない。

Case7「ただ考えない」

これに尽きる。いろいろ考えても結局これなのである。嫌な記憶は考えないことにより遠ざかっていく。少しずつ、少しずつ。Case2〜3のように思いに向き合うのではなく、Case4〜6のように考えないようにするのである。頭に浮かんだら首を横に振って気持ちを入れ替える。難しいが、僅かでも積み重ねることに意味はある。そしてそう念じていることにも。

以前テレビでトラウマを抱えている子供に対して心理士(精神科医ではなかったと思う)が催眠術のようなものを使って心の傷を遠ざけようとしていた。
私の推測が間違っていなければ同じことだろう。

かつて失恋したばかりの女性にどうすればいいか相談された時。こんなことを指示した。

「目をつぶって。そして意識を集中して。つらいと思うけど、彼のことを頭の中に思い浮かべて」

彼との思い出を頭の中の一箇所に集め、そしてできる限り見える景色の遠くの方まで飛ばす。そのイメージを繰り返せば失恋もやがて昔の話にできると考えた。
しかし彼女は彼との思い出を頭に思い浮かべた瞬間、「幸せ」と呟いたのである。

「…………ごめん、これはやっぱりまだやめておこう」

彼はいなくなったはずのに、まだ彼女の心の中にいた。悲しみの淵が口を開いて飲み込みに来る日まで、まだしばらくは好きでいてもいいのかもしれない。

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