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ある夫婦と縁結びの願い事

数年前の話。

本当に雲ひとつない小春日和の暖かな日だった。早朝から延々と山中の道を走り続けること200キロ。見渡す限り山、山、山。時折景色に廃屋が混ざるばかりで、信号もガソリンスタンドも1時間に1度ほどしか見かけない。絵に書いたような、いや、絵に書いたらただの山にしか見えないほどの過疎地帯だった。

ようやく山を抜けると海岸沿いの道に出る。右手には変わらず険阻な山々が続いているが、左を向けば日光を反射してきらきらと揺らめく太平洋があった。

風光明媚とはこのことだろうか。日の光に照らされるなにもかもが美しく見えた。人の手の入っていない山々の緑もそう。淡く蒼い快晴の色と、光が水面を滑るように流れていくさまには何度も息を呑んだ。

本当の目的はこの景色ではなく、全国的に名を知られる某神社への参拝である。複数箇所に跨って鎮座する未詳の神々の社を回るには、早朝から出かける必要があった。

本当に思いつきだった。前夜就寝前に決めたため、同伴者などいるわけもない。

雄大な山々のふもとを抜け、やがて街中に出る。

ナビによると目的の神社は近い。人の行き交う大通りを左に抜けると、そこに小さな鳥居を見つけた。広大な境内を取り囲むように緑が広がっており、木々の隙間から僅かになかの様子がうかがい知れる。驚いたことに人混みがある。これだけ都市圏から離れていても、有名な神社となると人は集まってくるらしい。

一礼して境内に入る。地元のボランティアと思しきガイドの女性が人混みに向かって神話とご利益について解説している。それを尻目にしばらく歩いていき、再び大きな鳥居をくぐった。そこに待っていたのは異国の城を思わせる赤い神殿である。

ここが本宮か。謎が多い神社ということはかつて本で読んだので知っていた。日本の神社の9割以上は宮司もおらず、いずれも寂れていく一方だという。そんななかでこれほどまで堂々とした社の構えには「迫力」を感じた。

一箇所ずつ参拝を済ませていく。私はお世辞にも信仰心のある人間ではない。しかしこうやって祈りを捧げている時は心が洗われる思いだった。

そう、あの頃の私はどうにもならない問題を抱えていた。そしてそれをどうにもできない自分の無力さに打ちひしがれていたのだ。

この神社に参拝したのは初めてだが、近隣まで来たことはあった。だからここに来るまでの雄大な景色を見て気分転換できないか、心の隅っこで思っていたのは事実である。
 帰りの200キロ超の道程でまた思い悩むのだろうが、今は考えないことにする。ひと時の間、孤独の中で神の祝福を願うのだった。


そして最後に辿り着いたのが向かって右端にある小さな社だった。パンフレットによると縁結びの神様が祀られているという。

野郎ひとりでは気恥ずかしかったが、ここだけ参らないというのも失礼である。

近づいていくと目の前に中年の夫婦が立った。左に夫、右に妻。横に並んで賽銭箱にお金を入れると、妻が礼の動作に入ろうとする。しかし夫が慌てて静止した。そして自分も礼の動作に入ろうとし、目顔で「よし、いくぞ」と伝えたように見えた。縁結びだからふたり一緒にお願いすべきと考えたらしい。妻はそれにクスリと笑うと、ふたり一緒に揃って拝礼の動作を終えた。

仲のいい夫婦だな。
最後の最後に幸せをもらった気分だった。

せっかくだし……。
そして自分も賽銭を放ると、仲良しの女の子のことを思い浮かべた。
洞察力があるとよく言われるが、あの子が何を考えているかなんてまったくわからない。脈なんかない気もするけど、それでも祈ろう。

神様、どうかあの子との縁を結んでください。

ある秋の日の出来事である。

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