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募る「会いたい」という想い

軽い気持ちでnoteを始めて1か月。まさかこんなに恋愛の話題ばかり書いているとは思っていなかった。

恋愛をテーマに記事を書き続けていると、よく夢の中に過去に関係のあった女性たちが現れる。今なおいい関係の相手もいれば、一方的に縁を切られてしまった(?)相手もいるためさまざまだ。

この夢というのは個人的に特別な意味合いを持つ。今までの人生で、そこまで関心のなかった女性と親密になる夢を見て、その相手を意識し始めたことが何度かある。また昔仲の良かった女性が突然夢の中に現れ、「本当はこんなに想っていたんだ」と気付き傷心に胸を痛めたこともある。


倖田來未の「夢のうた」という曲がある。

インディーズミュージシャンを追いかけてライブハウスに通い詰めるのが趣味の私には縁がないものの、この倖田來未はあまりに有名で知らない人はまずいないだろう。

「夢のうた」は、何度も夢の中に現れる元カレへの失恋を歌った歌詞で知られる。私は共感のあまりたった一度ミュージックステーションで歌唱を聞いただけで忘れられなくなった。

夢の中に現れるのは想いの強さゆえなのか? それとも夢に出てくるから強く想い始めてしまうのだろうか?
今なおその答えは出せずにいる。

夢に見て恋が始まるというのならまだいい。しかし会いたいけど会えない過去の相手が登場すると、起床した後にこみ上げる強い喪失感に苛まれることになる。「所詮自分はひとりなのだ」と体中を包み込む寂寞に身が震え、鮮やかな空の色は自分を嘲ているようにすら見えてくる。別に詩的に書こうとしているのではなく、本当にこのように感じてしまうのだ。

中学時代、親友の好きだった相手を好きになってしまい、気のない振りをして卒業まで応援し続けたことがある。結局彼の気持ちは届かなかったが、学生時代のいい思い出として胸にしまっていた。それなのに数年後その想いが突如夢に喚起され飛び出してしまった。彼女は今どこに? 風の噂では、ひとり遠い土地の学校に進学してしまったと聞く。彼女に会う方法はすでに失われていた。

それからはあまりに苦しい日々だった。街を歩くたび「何かの理由で帰省してきているのでは?」と彼女を探す自分がいる。望みなどないとわかっているのに、「あの日のまま」の彼女に似た後ろ姿を見つけては苦しい想いを味わった。
その気持ちに踏ん切りをつけるにはずいぶん長い年月が必要だったのを覚えている。


いい歳してこんな話をするなんてガキ臭いな、気持ち悪いなと自分でも思う。しかしこのコロナ禍の時代にあって夢路の中の愛情に気づいてしまった人は、今この瞬間も満たされない想いに苦しみ続けているのではないか。そんな考えが頭をよぎった。

未曾有の感染パニックに社会は揺れている。目まぐるしい時の奔流に呑まれ、日々に忙殺されている人も多いに違いない。だが幾人かの胸中にある一途な想いだけはその流れにさらわれないどころか、鈍い痛みを生み出しては胸を打ち続けているのだろう。恋の病はなんとやら、それらを解消する術を私は提供することができない。

すべて終わればまたあの人に会いに行けるかもしれない。夢を託すにはあまりに頼りない一縷の望みだが、それでも手放すことはできないだろう。

なーんてね。
春になればいつでも会いにいけるようになる。私はあの子と約束していたんだ。久しぶりの再会。今度こそ気持ちを伝えられると思っていた。それなのに……。

まったくコロナなんてさっさと消えてしまえばいい。

今日だけは世の片想いの人たちのために泣けそうな気分。そんな夜。

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