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わがままだったのはどっちか

糸が切れるという表現はしっくりこない。
いつも夜7時ごろになると身体が弛緩し始める。
厳密には仕事終わりにすでにその兆候が出ていたのだろう。

しかしそれに気づかない振りで帰宅し、安くてまずい酒を喉に流し飲む。当時の私は酒に弱く、一本の缶ビールですでにふらふらであった。酒で酔ってしばらくウトウトしているのならいい。だが体中から力が抜け、立ち上がる気力すら起こらないのだ。

這いつくばるようにベッドの上に乗っかると、1分経たずに深夜2時にワープしている。洗濯物は放ったまま。しかしそれすらも億劫でまた眠りにつく。
朝6時半。さすがにそろそろ起きないとまずい。だるくてだるくて仕方ない身体に鞭打ち仕事の準備。

ギリギリの時刻で車に乗って家を出る。
仕事が終わっても同じことの繰り返し。ため息を漏らす。

だんだんと荒れ果てていく部屋。頑張ろうと思っても身体から精力が失われていき、やがて目の前が暗くなっていく。

病名? 知ってる。
子供の頃から自分が珍奇な病を持っていることは知っていた。でもその名前がわからぬまま大人になった。

しかしある日図書館で見つけてしまった。その病気の正体を。30年前にアメリカの学者が提唱し、昨今ようやく日本でも知られてきたが、多くの人はそれを「甘え」と呼んでいることも。


あれから数年。病の正体を知ったことがよかったらしい。ずいぶんと症状が軽くなった。もともと1年のある時期だけ発症するだけだったため、生活ができなくなることはなかった。

しかしこの病のおかげで何度もひどい目に遭った。「いつ連絡しても返事が返って来ない」→「釣った魚に餌はあげないのね」と彼女にさんざんなじられた。そう、こうなるとメッセージのひとつも送ることができなくなる。

仕事もうまくいかず、転職活動のプレッシャーとそのための巨額の旅費に首が回らない。
SNSを開けば彼女からの恨みつらみがTLに並ぶ。もう疲れたよ。あなたには……。

元カノはいつだって自分の理想を私に押し付けてばかり。私の言うことなんて聞いてくれた試しがなかった。

教育関係の私は、気付けば彼女に向けるべき愛情を子供たちみんなに与え始めていた。まるでこの子たちは歳の離れた弟や妹のように思え、かれらに接している時だけが私の幸せだった。

本当に自分は人間のクズだ。でも、彼女の望む理想の彼氏像にはどうしてもなれなかった。私が生きることに苦しんでいる理由のひとつにも彼女は思い当たらない。代わりに自分を大事にしてくれる男を探してSNSであざとい好意の言葉をつぶやいている。

彼女の理想の未来図の1ピースになりきることはどうしてもできなかった。あなたは構ってくれれば別に私でなくてもよかったのだろう。知ってるんだよ。他の男にも色目を使ってることなんて。

「さびしかったから」

理由を聞けばそういうだろうということも。

別れて数年経つ今も、なぜ私が別れたがったか理由もわかっていないのだろう。


彼女をひどい目に遭わせるクズみたいな男は私も嫌いだが、そういう自分こそ彼女とわかり合おうとせずに激上して別れてしまったではないか。今も自分が悪かったのではないかと思うことがある。

遠距離だが共通の友達が多かったため、もう私の友達は全員いなくなるだろうと思っていた。しかし今もそのほとんどが私を責めず、味方をしてくれている。
もしかしたらおあいこだったのかもしれない。しかしいざ自分のこととなると客観的に物事が見られない。

ただ、こんな私でも未だに友達として扱ってくれるかれらのことは一生涯大事にしていこうと思っている。

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