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想い人に抱かれて心に残ったもの

大学の同級生Aの話。

Aが失恋した直後の荒れ具合はなかなかにひどかったらしい。「らしい」というのは私も伝聞でしか聞いていないからだ。

好きな人ができて、その相談役が欲しかったAは、毎日私に連絡してきていた。しかし他に話を聞いてくれる人たちが現れると、私にはまるきり連絡をよこさなくなった。

それは構わない。しかしそれが彼女のダメなところだった。

SNSを開けば毎日誰かのダメ出しばかり。定期的にアカウントを切り替えて、気に入った相手にだけ新アカウントを教えるという踏み絵行為を繰り返していた。

相談されていたころ、意中の相手に脈がないとわかった途端(その後希望が持ち直すのだが)突然私に色目を使い始めたこともある。相手にしなかったから切られたのではないかと言われたら否定はできない。

自分の性格の悪さは不幸な境遇のせいにして改める気はなし。こんなやつと誰が付き合いたがると言うのか。

しかしAの立ち直りは早かった。なんとネットで知り合った別の男性Bと連絡を取り合っているのだという。図々しくもまた私に相談しにくる始末。「そういうところ」である。

Aは早くからBを気に入り、会いに行きたいとしきりに繰り返していた。
だが私を含め、Aの新たな想い人に周囲の人間は難色を示した。BがAに宛てた文面を見る限り、どう考えてもBは「どれだけ多くの女性とセックスできるか」を楽しんでいるタイプの男性なのだ。会いに行ったところで即ホテルに連れ込まれ、やるだけやったら捨てられるのは明らかである。避妊なんてするタイプには到底思えない。よくある話と言えばそれまでだが、地方出身で男性経験のないAはそのダメージに耐えられるのだろうか。

周囲の女性陣はAの願望を悉く否定していった。「会っても襲われて終わり。絶対会いに行っちゃダメ」と。まだ若くて素朴だったころの私にもそれぐらいのことはわかった。

しかし私はどう考えてもAがBに襲われたがっているようにしか見えなかった。好きな男性に抱かれたいという感情だけは否定しない。ただ多くの女性の体を貪ることを生きがいにしている人間と交わったとして、終わった後胸に飛来する感情はどのようなものなのだろうか。
私ひとり、最後まで彼女を止めなかった。

1年後、共通の友人の提案で飲みに行った際、私は久しぶりにAと話すことになった。「Bに会ってきた」と彼女は嬉しそうに語った。そして「彼とヤッた」とも。

その発言の後、一瞬見せたあまりに悔しそうな顔を私は一生忘れられない気がした。


愛や恋が意味するところが人それぞれ違うように、セックスの持ちうる意味も人それぞれである。エクササイズ感覚でいろんな男性と体の関係をもつ女性もいれば、ただの性欲の捌け口に過ぎないと一切体を許さない人もいる。もちろんAを止めようとした彼女の友人たちのように、神聖な愛の儀式だと思っている人も。正解などないだろう。

私も同時期に交際していた彼女と関係がうまく行っておらず、年上の助手さん(女性)から「スキンシップが大事よ」と言われたが、まったく効果がなかったことを覚えている。

好きだと思う気持ちさえあれば、裸になって体を交えれば、何か変わるのだろうか。そこに普遍的な正解は見いだせない。

すべてを受け流すには当時の私たちは若過ぎた。今となってはただの笑い話でも、望まない性関係がトラウマになってしまったという女性も多い。

Bのような男を罰すればいい。それもいいが、恋愛関係の在り方を罪に問うことはあまりに難しい。

そんな男性を糾弾しても、心酔してしまったAのような相手には響きはしない。

突き詰めるといつも袋小路である。

時折思う。なぜ人はそこまでセックスを高尚なものと思うのか。私自身そう思っているであろうことは否定しない。

男性も行為の途中にどうしようもなく虚しくなることがあるものだ。その虚しさの意味はどこにあるのだろうか。女性の体の中で果てたら、何か変わるのだろうか。

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