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論破は無意味:何を言うかではなく、誰が言うか

 私の嫌いな言葉の一つに「論破」という言葉があります。意味は「議論によって他人の説を破ること。相手の理屈を立ちゆかなくさせること」だそうです。
 正論で相手を反論できなくさせることで気持ちよくなっている人たちがネット社会にはたくさんいます。そして、論破された側が怒りや恨みを募らせている光景もよく見ます。

 中国の故事にいい話があります(調べても出てこないので、うろ覚えの要約です)
 ある農民が国を豊かにする方法を思いつきました。この方法をぜひ皇帝に実践してほしい。そこで彼は料理を極め、宮廷の料理人になりました。そして、皇帝に気に入られ名前を覚えてもらって、そこで初めて皇帝に自分のアイデアを話しました。そのアイデアで国は豊かになりました。という話です。

 こうすべき、こうあるべきという正論は、それ自体は正しくてもいきなり人間関係のない他人にぶつけても受け入れてもらえません。
 正論だから必ず聞き入れられるわけではない。人間関係を築いて、信用を得て、やっとはじめて話を聞いてもらえる、それくらいの心構えで意見を発していきたいですね。

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