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善意のサービスが当たり前になる悲劇

お客様への善意のサービスは素晴らしいものですが…という話です。こういう記事を見ました↓

「これが本当の紙対応」→地べたに食べ物を置きたくないウーバーイーツ配達員の気遣い「何この神様…」「これはガチ高評価不可欠」と称賛の声

 これは配達員さんの善意のおもてなし精神で、素晴らしいものではあるのですが、こういう結果を生み出してしまいました↓

 お客さんからの「地面に直置きではなく、紙を敷いてくれ」との要求。もちろん、その敷き紙は配達員さんの自腹で用意しなければなりませんし、ウーバーイーツ側も配達員さんにそういったサービスをするように要求はしていません(たぶん)
 「地面に直置きではなく、紙を敷く」サービス。衛生的ですし、お客さんから高評価をもらえる、チップをもらえるといったメリットはありますし、それ故にやっているという側面はあるでしょう。問題はそのサービスがやって当然の水準に陳腐化してしまった場合です。

 配達員さんが気を利かして紙を敷く、それが当たり前になるとどうなるかと言うと、紙を敷かなかった配達員さんに低評価が付いたりする、クレームになるという事態が想定されます。やらなくていい、マニュアルにもないサービス(自腹)をしなかったことで不利益を被ることになります。

 話が飛躍してしまいますが、日本の労働がブラックと言われる状況になったのはこういうことの積み重ねなのかなと思います。美しい奉仕の心が当たり前になりすぎて、それらが対価を払われるべき労働だという意識がないのかもしれません。

 過剰なサービスはやめ時が非常に難しいものです。人間は損をしたことはいつまでも覚えていますが、得をしたことはすぐ忘れてしまいます。
 もともと善意で見返りなく行っていたサービスなのに、やめた途端に「損をさせられた」とお客さんに思われてしまいます。
 見返りのないサービスは最初からしなければいいじゃん、というのが結論になってしまうのですが、そういうことができる余裕を持ちたいとも、同時に思います。サービスって難しいですね。


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