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よしなごと

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思いついたことなどです。つぶやき以上、ブログ記事未満
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#中国古典

本当に大切なことは文章では伝えられない

 中国古典の逸話で、とてもいい話がありました。荘子の中の一節です。 輪扁は、斉の桓公(在位:前685年 - 前643年)が読書をしているところに居合わせ、問答をする。車輪づくりに長じていた輪扁は、実践と感性の重要性をわきまえ、言葉だけでは伝授できない技術があることを知っていた。このことを踏まえて、桓公に対して、「聖人之言」を読んでも昔の人の魂のかす(古人糟魄)しか得られない、自分も車輪を削る加減のコツは言葉では伝えられない、と述べたとされる[1][3]。そこから、言葉や文字

良著は抽象的である

 私は中国の古典が好きで、特に韓非子、老子、孫子が好きです。  それらの古典がなぜ現代まで残っているかという話なんですが、抽象的であったからという話があります。  古代には孫子以外にも兵法書は数多く存在していましたが、孫子の兵法以外で今も読み継がれているものは数えるほどしかありません。  なぜそれらが廃れたかというと具体的過ぎたからだそうです。  つまり、新しい兵科ができたり、戦術が変われば役に立たなくなったのです。しかし、孫子の兵法は非常に抽象的です。  例えば、