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アジアン・インディー・ミュージックシーン 〜vol.4「マレーシア」with Seikan from “Dirgahayu” and Mak from “Soundscape Records”〜

※現地の音楽関係者の話を聞きながら、各国のインディーミュージックシーンを紐解く連載。この記事は、2016年に執筆した記事を一部加筆・修正し、転載しています。

vol.3ではシンガポールのミュージックシーンを取り上げたわけだが、シンガポールという国が発展していく過程で、その歴史が音楽にどのような影響を与え現在のミュージックシーンが形成されてきたかというストーリーが、非常に興味深かった。このvol.4では、そのシンガポールの隣国であるマレーシアのミュージックシーンをみていきたい。

1. イントロダクション

シンガポールもマレーシアも、中華系・マレー系・インド系の民族でほとんどの人口を構成している点は一緒だ。ただ、シンガポールは中華系74%・マレー系13%・インド系9%に対して、マレーシアはマレー系67%・中華系25%・インド系7%という割合で構成されていて、マレー系と中華系の割合が逆転している。そんなマレーシアの人口構成のように、マレー系マレーシア人3人と共に”Dirgahayu”というバンドで活動をしている、中華系マレーシア人&日本人のハーフであるSeikan Sawaki(Drum)にマレーシアのミュージックシーンについて聞いた(※2020年現在、バンドとマレーシアを離れ現在は日本で働いている)。加えて、その”Dirgahayu”をリリースしているSoundscape Recordsというインディーレーベルオーナー、Makの言葉も交えていく。

まず、インタビューに答えてくれたSeikanとMakについて簡単に紹介すると、二人とも優しく温かくゆる〜い、楽観的な”いいやつ”だ。過去二度だけではあるが、マレーシアに行って自分が出会った人たちはみ〜んな、基本ベースがそんな印象。MakはSoundscape Recordsというインディーレーベルと、Live Factというライブハウスを運営し、国内外のアーティストのマレーシア公演をオーガナイズしたりもする。
Seikanのバンド”Dirgahayu”は、2013年に結成され、個々のメンバーが元々それぞれのバンドでキャリアを積んでいたこともあり、その高い音楽性ですぐに頭角を現し、この結成から3年で二度のジャパンツアーや、マレーシア・シンガポール・フィリピン・インドネシアを周る東南アジアツアーを決行している。

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Dirgahayu (左から二人目がSeikan)

2. マレーシアのミュージック・シーンって?

まず彼らが話したのはこの連載では恒例の話題、メジャーとインディー・ミュージックという境界や違いはあるのか、という点。

Mak:
もちろん他のどの国とも同じように、メジャーとインディー・ミュージックの違いはあったけど、このデジタルの時代にはその差はなくなってきていて、今は両方とも同じコインで、そのコインのどっちの面なのか、というだけの話に思えるよ。
Seikan:
全然境目はないですよ。そもそもちゃんと音楽で食べていけるメジャーアーティストがマレーシアにはいないんです。いても、指で数えられるくらいの話。CDショップは、ショッピングモールにRock CornerとかSpeedyという小さなチェーン店が少し入ってるくらいで、しかも、ジャスティン・ビーバーとかカラオケとかドラマサントラとか、そういう類のCDだけ。マレーシアのローカルアーティストでCDがお店に並んでる状況が少ないから、メジャーもインディーもないです。

この点に関しては、香港もシンガポールもマレーシアも似ていて、日本よりもマーケットがぐっと小さい分、メジャーだインディーだという境目はあるにせよ、そんなに大きく違う部分はないという印象。あっても、ローカルアーティストについてはメジャーという人たちが限りなく少なく、大半がインディー・アーティストだということだ。そんなインディー・シーンではどんな音楽が好まれているかというと、

Mak :
EDMは常に大きいね。それとポストロックやマスロックのようなインストゥルメンタル・ミュージックも人気があるよ。
Seikan :
EDMはそうですね。あの類は他の国と同じように、今の流れとか関係なくいつでも根強く(笑)。他はどのジャンルが特別、ということでもなく、いろんなシーンがそれぞれ存在してます。ポストロックやマスロックなどのインストもそうだし、パンクやハードコア、ヒップホップや王道ロックも。人種やコミュニティが共存しているのもあるし、インディアン・ヒップホップ、マレー・ポップ、チャイニーズ・ポップというふうに、コミュニティごとに存在している音楽もあります。

マレーシアでも音楽でメシを食っている人たちはほとんどいない。そんな話はこれまで連載で取り上げた香港、シンガポールなどと同じ状況だ。事実、Dirgahayuのメンバーはそれぞれ別の仕事をやりながらバンド活動をしているし(会社員、デザイナー、専業主夫、スタジオ運営など様々)、Makもレーベルとライブハウス運営、イベンターなどの純粋なミュージック・ビジネスのみで生活をしているわけではない。そういったこともあって、彼らの音楽に対する姿勢はシンプルだ。

Mak :
マレーシアのアーティストたちはとにかく彼らの生活、環境、問題からインスパイアされているということに尽きると思う。マレーシアでは音楽だけで生きていくことはできないからね、だから、みんなマーケットや流行りがどうかとは関係なく、アーティスティックな価値観や自己表現にフォーカスすることが多いよ。

音楽でメシを食うという価値観が在る世界には、大きくなればなるほど売れる売れないという"見えない物差し"によって、表現の幅や自由の制限が少なからずあるだろう。

3. ライブ・パフォーマンスという"物差し"

一方このマレーシアのように、音楽でメシを食うという価値観が存在しない世界では、そんな物差しによって音楽が計られることのない自由がある。そして、そこには競争がない。高みや深みを目指さなくても自己が満足されればそこで終わりなのだ。

Seikan :
CDを作るというのはある意味ステータスのようなもので、それが名刺代わりにもなるし、事実ライブでのギャラもCDを作っていると高くなるという傾向がありますね。ただし、売れる売れないは元々期待していることではないから、CDを作ったことで彼らのアーティスト活動が満たされてしまう。CDを作って満足してしまう人が多いんです。だから、そこから更にライブのパフォーマンスの精度を上げるとか、新たな表現を更に生み出さなければならないとか、そういった考え方になりにくい。

これは自分がアジアのミュージックシーンに触れる上で感じた問題点の一つで、最も痛感したのはライブ・パフォーマンスについて。音源や音楽そのものはすごくかっこいいものが多いし、音楽の中に日本では感じることのできない異物感のようなモノを感じ、非常に興味深いものに数多く出会える。が、いざライブを見てみると音源を超越したヒリヒリ感みたいなものが欠落していることがある。
日本において、特にバンドであれば、ライブ・パフォーマンスが音源を超えてくるというのは最低ラインだと個人的には思っているが、アジアのアーティストのライブを見ると、あー、音源はかっこいいのになーと思ってしまうことが何度もあった。それは演奏技術、そのライブに込める想いや気迫みたいなことを含めた、パフォーマンス全ての面で、何かが欠落してしまっている。それは、ノーギャラでライブを演って自己満足で終わっているとか、ライブをできるイベントやライブハウス自体がそもそも少ないとか、先に挙げた、深みや高みを目指そうという環境や価値観がない世界に依るところが大きいのだろうと想像できる。

(Dirgahayuはそんな現状を客観視できていることもあってか、ライブ・パフォーマンスに関しても他のアーティストよりレベルが高い。今年(2016年)のジャパンツアーはこれら映像よりも更に磨かれたパフォーマンスを見せつけていた)

4. 音楽に立ちはだかる"Segregation" = 分離という壁

もう一つ、マレーシアのミュージックシーンが更に大きくなっていくために、克服しなければならない課題は何かという話になったときに、Makは、

Mak :
“Segregation”が課題だけど、それを克服するのは複雑で難しいことだね。

と答えた。ここでいうSegregationは、直訳すると「差別」とか「分離」とか「隔離」とかなのだが、Seikanがもっと具体的なストーリーを話してくれたので、それでニュアンスを理解できると思う。

Seikan :
マレーシアはライブができるようなハコが少なくて、Makさんがライブハウスを開いたように、仲間で集まってライブハウスを立ち上げようって動きはでてきている一方、警察との問題があるんです。マレーシアではライブをやると警察がふみ込んでくることがあるんですよ。そこに正当な理由はないし、警察本人たちも上からの命令でやっているだけで、何故ふみ込むのかと聞いても、彼らも分からない。ライブハウスでやるような音楽は、未だに悪の根元みたいに捉えているんですね。宗教的にっていうこともあるのか(*国教はイスラム教)。
あとは、警察も給料が安いんですけど、薬物やってないかとか、酒を飲んでないかとか(*イスラム教徒=ムスリムは酒を飲んではならない)そういうことをチェックして捕まえ、お金もゲットするっていうのもあります。マレーシアの警察は腐敗が激しいんです。

そういえば、去年、とても話題になった大きな事件がありました。Rumah Apiというパンク系のライブハウスがあるんですけど、そこで開催されていたイベントに、約15〜20人くらいの武装された警察が踏み込んできて、そこに参加していたスタッフ、お客さんなどがみんな逮捕され、その後数日間拘留されたんです。その場にいたらしい僕の友達も何人か捕まりました。

Rumah Apiはパンク系にはよく知れた、首都クアラルンプールにあるライブハウス&コミュニティだ。調べたところ、この事件は2015年8月28日に起こったようで、当日そこに居合わせたスタッフや観客たち160人ほど全員が逮捕、拘留されたらしい。
これは、翌日に開催される予定だった反政府デモとのなんらかの関連性を疑った警察が、正当な理由なくガサ入れを行ったと考えられるが、実際にはそのデモと、Rumah Api及びこの日のイベントとは関係性もなく、逮捕される理由は一つもないクリーンなイベントだったそうだ。

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Rumah Apiの壁

これがMakの言うSegregationの一例だと考えられる。Vol.3シンガポール編でも、過去に国がロックを抑圧していった歴史を紹介したが、マレーシアは現在進行形でこんなSegregationが存在している。ただ、勘違いしてほしくないのは、人種的に仲が悪いとか、差別が存在するとか、宗教問題だとか、何か一つに問題があるようなことではないという印象を受けた。

5. 異宗教 makes difference, and 耳を奪う

と、この辺りの話はマレーシアを二度しか訪れたことのない自分が語るには浅すぎる話になってしまうので、音楽の話に戻したい。自分がアジアの国々を周った中で、その土地の醸し出す匂いとか色とか空気とかに最も「違い」を感じたいのは、マレーシアだった。それは宗教的、人種的な「違い」が、個人的に馴染みの薄いものであることによると思う。マレーシアでは冒頭に述べた67%がマレー系であり、彼らのほとんどはムスリムである。国教はイスラム教であって、そんな環境で育まれた感性は、日本に生まれ育った人間からすると、やはり独特なものになるのだろう。そんな感性から生まれる独特な旋律に、思わず耳を奪われる。

Dirgahayuに加えて、MakのSoundscape Recordsから作品をリリースしているNAOというスリーピース・インストゥルメンタルバンドを紹介したい。ベースのTengはZAZEN BOYSなんかも聴くと言っていたけれど、ポストロックやマスロックをベースにしているように思える音楽ながら、やはり彼らの旋律もどこか独特な雰囲気を醸し出している。ちなみに彼らはmouse on the keysのマレーシア公演をサポートしたことがある。


こちらはLike Silverというエレクトロニック・デュオだ。
https://likesilver.bandcamp.com/album/limbs

両方とも荒削りながらなんだか、身の毛が立つ。違和感。異物感。何かうごめいている気がする。それは音楽を含むアート全般にも垣間見ることができる。クアラルンプールのチャイナタウン近くに位置するFINDARSというアートスペースがある。ここは、画家、デザイナー、ミュージシャン、写真家などのアーティスト自身による、アーティストのためのDIYスペースで、カフェ&バーやギャラリーを併設し、展示やライブ、創作活動などが行なわれている。

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FINDARSに参加している画家”Tey Beng Tze”の作品

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FINDARSの2Fにある、ギャラリー&カフェバー”aku”

FINDARSに参加している画家”Lim Keh Soon”の作品及びインタビュー

上記の動画でインタビューに答えている画家、Lim Keh Soonは、インデペンデントであることに拘り続けている、と話している。その理由は、より大きな可能性があるということ、そして一番大事なものは「自由」であると答えている。これまで触れてきているアジアン・インディー・ミュージックシーンでのキーワードであり、この連載でその一長一短と、その実態が見えてきている気がする。

ただ、今回一ついえるのは、マレーシアが直面する"Segregation"によって「自由」と「評価」と「異物感」が奪われてしまわないことを願う。

August 4, 2016

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