見出し画像

アジアン・インディー・ミュージックシーン 〜vol.3「シンガポール」with Errol from “KittyWu Records”〜

※現地の音楽関係者の話を聞きながら、各国のインディーミュージックシーンを紐解く連載。この記事は、2016年に執筆した記事を一部加筆・修正し、転載しています。

最初にとりあえず言っておきたいんですが、最後に出てくるオススメのシンガポールのアーティスト、どれもやばいです。YouTubeの再生回数も少なくて、全然知られてないアーティストもいて、いやいやいや、って感じなのでまずはそれを言わせてください。

さて、vol.1&vol.2では香港のインディー・ミュージックシーンを見てきたが、国を移して今回はシンガポールへ。シンガポールでは国民一人当たりのGDPが日本よりも優に高く、東京だけに絞ってもほぼ同じくらいの経済立国であり、昨今インターナショナルなアーティストが来るようなフェスも非常に多い。例えば今年(※2016年)だけでもBattles / CHVRCHES / THE INTERNET / THE 1975などが出演した「St Jerome’s Laneway Festival」(1月に開催)や、HIATUS KAIYOTE / Jose Stone / Incognito / Buena Vista Social Clubなどが出演した「Sing Jazz」(3月に開催)、他にもこれから開催されるEDM系フェスから、Sigur RósとFOALSのみアナウンスされている「NEON LIGHTS」なども控えている。

一方で、シンガポールは面積が東京23区よりわずかに大きいぐらいの、とても狭い国だ。そんな国で音楽は一体どのように存在しているのだろうか。シンガポールを拠点に、自国のアーティストのリリースとマネジメントを行う「KittuWu Records」のオーナー”Errol Tan”にシンガポールのミュージックシーン事情を聞いてみた。

画像1

Errol Tan from KittyWu Records

−−まずは、あなたの現在の仕事、シンガポールのミュージックシーンとの関わり方を教えてください。

Errol Tan (以下、Errol):
シンガポールを拠点とする、レーベル兼マネジメント「KittyWu Records」のオーナーであり、運営をしてるよ。シンガポールのアーティストを中心にリリースを行い、いくつかのアーティストはマネジメントもしている。今は妻となったLesleyと一緒にやっているよ。元々は純粋な音楽好きというところから始まっているけど、シンガポールの小さな音楽のコミュニティに対して、もっともっと何かを働きかけたいと思うようになった。自分が駆け出しのデザイナーだったころ、友達のバンドのジャケットやTシャツ、バッジなんかをデザインしてたから、音楽レーベルやマネジメントを始めるというのは、その次のステップとして自然な流れだったよ。

画像2

Errolはイギリス系大手広告会社にてデザイナーとしても働いている(KittyWu Records Logo)

−−あなたは現在自国におけるインディー・ミュージックシーンとの関わりが主だと思うのですが、シンガポールでは「メジャー」と「インディー」といったような異なるシーンが存在するのでしょうか?

Errol:
そもそもシンガポールのミュージックシーンはとても小さく、まだ全然発達していない。「メジャー」というと、メインストリームの、インターナショナルなポップ・ミュージックだし、「インディー」というとアンダーグラウンドなオルナタティブ・ミュージックをシンガポール人は連想するだろうね。流行りのヒップな音楽であっても、それがポップ・ミュージックでなければ、「インディー」と思う人も多いかもね。

−−シンガポールでの「音楽の在り方」とはどのようなものであると思いますか?

Errol:
シンガポールの歴史において、音楽は様々な問題と直面してきた文化の一つなんだ。

1960年代、シーンは活気のあるアジアン・ミュージックで賑わっていたんだ。でも、1970年代後半から80年代にシンガポール政府によって、音楽は唐突に抑圧されていった。政府はヒッピーなロックンロールとそこに関連付けられるドラッグ、長髪、乱交的なセックスを忌み嫌い、恐れていたんだ。それでロックのライブ、コンサートを全面禁止した。ラジオでも流すことを禁止した。そうなると、もちろんヴェニュー(ライブハウス)やバーは閉鎖に追いやられてしまう。だからこの時代に生きた世代の人たちにとって、音楽というものが彼らの人生に影響を与えた部分は小さく、それよりは国の経済や生産性とか、国の発展に対してより大きな関心を持っていた。シンガポールは1965年に独立したばかりだからね。

1990年代、我々の(音楽の)「暗黒期」を終えると、小さな小さな「再生期」を迎えることになる。The SmithsやNirvanaなど、グランジやシューゲイザーといった音楽に影響を受けたローカル・バンドが少しずつ生まれてきたんだ。そして、ポニーキャニオン・シンガポールといった大手レコード会社ができて、そういった音楽をリリースし始めた。といっても、そんなに大きくて活気のあるライブ・ミュージックシーンはまだなかったけどね。

2000年代にはいると、シンガポールという国自体が、東南アジアにおける経済的なハブとなったことによって、アジアでもいち早くiTunesやYouTube、そしてSpotifyなどのストリーミングサービスまでが普及し始めた。ラジオはTop 40のメインストリーム・ミュージックで埋め尽くされ(ちなみにインディーやオルタナな音楽をかけるラジオ局は一つだけ存在する)、一年を通してフェスがあちこちで開催されるようになった。

■St Jerome’s Laneway Festival / http://singapore.lanewayfestival.com
■Singjazz / http://sing-jazz.com/2016/
■Garden Beats / http://www.gardenbeats.com/
■Neon Lights / http://www.neonlights.sg/
■Zoukout Singapore / http://zoukout.com/
■Mosaic Music Festival(2014年を最後に休止中)
■Moonbeats


など、様々なジャンルの音楽ファンに向けたフェスがあり、著名な国外のアーティストたちがシンガポールに来るようになって、大きなスタジアムやホールでライブが行われているよ。

ただ、同時に中小規模のヴェニュー(ライブハウス)がないのが問題で、若いバンドがパフォーマンスを磨き、経験を積む場がないんだ。かつてはそういった場所もあったんだけど、シンガポールでは家賃も非常に高く、加えて騒音問題や、政府とのいざこざなど様々な理由で、みんな潰れちゃったんだ。だからこそ、じゃないけど、今シンガポールのインディー・ミュージックシーンにいる人たちはなんとかそういった問題を乗り切ろうとDIY精神で頑張ろうとしているところだよ。

画像3

博物館やギャラリーの並ぶエリアにある“The Substation”という劇場

画像4

“The Substation”では劇場鑑賞用の稼働式椅子席があるが、それを閉まってこのようにステージを組めば、ライブも行うことができる。スタンィングで200人ほど入るが、ライブのできる同規模のスペースがほとんどない。

−−現在、シンガポールのミュージックシーンで流行りのシーンみたいなのはあるんですか? 何か特徴的な事象や流れはありますか?

Errol:
特定の音楽ジャンルってことではないかもね。ヒップスター的な子たちもいれば、ハードコア・キッズもいるし、メタルヘッドもいれば、パンクスもいて、実験的なアートボーイたちもいる。

−−シンガポールのアーティストたちはどのような価値観で表現をしていて、どのようなものにインスピレーションを受けているように思いますか?

Errol:
シンガポールのオルタナティブなアーティストたちは、大体自分たちの聴いてきた音楽やバンドに影響を受けていると思う。よりカッティングエッジ(最先端)なアーティストたちは、社会や政治、世界的な問題に対するフラストレーションを、音楽を通して表現しようとしてるね。やっぱり日々の暮らしや周りで起こっていることが彼らのインスピレーションとなっているようだよ。

−−シンガポールのミュージックシーンをあなたの力で自由に変えられるとしたら、どのようなシーンに変えていきたいでしょうか?

Errol:
アーティストがプロフェッショナルになって、音楽を継続的な収入源としてみなせるような、ビジネスとして成り立つようなシステムに発展していってほしい。

−−ではそれを自国で実現するためには、現実の問題としてどのような点が課題になってきますか?

Errol:
業界内の知識とエデュケーションが必要。あとローカルのバンドは、インターナショナルのメインストリーム・ポップ、ロックの”下”にあるというふうに、シンガポールの人は認識しているから、それをとっぱらっていかなくちゃならない。

−−「アジア」という視点に広げて考えた時、シンガポールのミュージックシーンはどのような存在であり、他国のシーンとどのような相互関係を為し得てますか?

Errol:
東南アジアの国々はそれぞれ、越えるべきハードルや障害があるんだよね。でも、みんな共通点を感じている部分もあるし、そのフラストレーションを理解しあっている。だから、お互いの国のアーティストや音楽の情報交換をしたり、時に相手の国のアーティストが自国に来た時に、イベントを打ってあげたりしてるよ。

−−あなたがたの視点から見て、日本のミュージックシーンについては、どのように捉えていますか?

Errol:
日本に自分のバンドを連れていってツアーした時は、やっぱり日本のバンドはプロフェッショナルだと思った。その技術やオリジナリティに驚きっぱなしだった。あと、ファンもとても素晴らしい。アーティストに対して、敬意を持っているしとても支援的だ。

−−シンガポールに存在する人材・才能で、日本や世界で戦える・誇れると思うものはなんですか?

Errol:
デザインやアートのシーンが大きくなっていて、多くの才能あるデザイナー、アーティストが生まれてるよ。ちょっとこのインタビューで紹介するには多すぎるかもね。

−−逆に日本からシンガポールへ進出していけるようなニーズのある人材・才能はなんですか?

Errol:
日本のインディー・ミュージックは “自分”の音楽をやるために、新しいサウンドやアプローチを常に試みているという実験的性質に、とても刺激を受けている。そういった精神をシンガポールに持ってこれたらいいなと思う。


シンガポール・レコメンド・インディーアーティスト

◼The Observatory
2001年に結成され、Leslie Lowを中心に幾度のメンバー交代を経て、現在は4人のメンバーで活動。純粋なる表現から生まれる高い音楽性が、シンガポールのみならずアジアのアーティストから敬意を集める、エクスペリメンタル/プログレ/アヴァン・ロック・バンド。世界中でツアーを行っており、日本にも度々訪れている(2016年6月現在も日本にてツアー中)。2016年2月に発表された「August is the cruellest」は、通算8枚目のアルバム。


◼MONSTER CAT
2010年に結成されたインディーロック・バンド。2011年に1st EPをリリースし、日本、ヨーロッパ、アメリカなどをツアーで周る。Fever Ray(The Knife)やSmashing Pumpkins、Beth Gibbons、Simon & Garfunkelなどに影響を受けつつも、独自のアヴァンギャルドなフォーク・ロックを創造している。


◼THE PSALMS
2006年に結成され、2008年に現在の女性ボーカルを入れ活動する5人構成のバンド。ジャジーでアヴァンギャルドな、ポスト・ハードコアバンドといえばいいのだろうか。そんなサウンドにソウルフルなボーカルが激しく絡みついてくる。


◼.gif
2012年に結成されたエレクトロニック・デュオ。2013年に1st EPをリリースし、その音楽はPortishead、Little Dragon、Björk、The xxなどに例えられ、高い賞賛を浴びる。


こんなにおもしろいアーティストが出てきているシンガポールのシーンがもっと盛り上がっていけばいいと思うのだが、ローカルのアーティストにとっては音楽がビジネスとして成り立っていないので、活動の幅が限られてしまう。そんなことで才能が埋もれていってしまわないようにするにはどうしたらいいのだろうか。
この連載を通して、各国のミュージックシーンにおける違いや共通点、価値観だとか課題を知ることが、アジア全体でミュージックシーンが繋がっていくことのきっかけになると思うのだが、vol.1&2の香港と今回のシンガポールだけでも、見えてきた共通点があったように思う。次回はシンガポールの隣国で、人種構成も似ているマレーシアについて、やります〜。お楽しみに。

June 20, 2016

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?