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父を決めるのは法か,愛か,DNAか

■事件の概要

6月9日,最高裁で,ある事件の弁論が開かれました。

この事件では,結婚関係にあった夫Aと妻Bの間に生まれた子Cについて,DNA鑑定で「別の男性Xが子Cの『生物学上の父』である確率が99.9%」という結果が出た場合,法律上の父は夫Aなのか,男Xなのか,ということが争われています。



            夫A―┬―妻B――男X
               │
               子C


最高裁、父子関係取り消し見直しか 北海道の元夫婦 二審はDNA鑑定根拠に血縁否定-北海道新聞[道内]
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/544385.html 
北海道新聞に分かりやすい図が示されています。

DNA鑑定で父子は 最高裁弁論 NHKニュースhttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20140609/k10015090191000.html

父子関係、最高裁で弁論 DNA鑑定か、民法「嫡出推定」か  :日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0903Y_Z00C14A6CR8000/ 



■何が問題? ――民法重視? 愛情重視? DNA重視?

簡単に言えば,本件で問題になっているのは,「法律上の父」を決める際に「生物学上の血縁関係」(DNA)をどの程度重視すべきか,ということです。


この問題について,民法772条1項は,「妻が婚姻中に懐胎した子は,夫の子と推定する。」と定めています(これを「嫡出推定」と言います)。

つまり,上記の事件で言えば,子Cは,夫Aと妻Bが結婚している間に生まれた子供ですから,夫Aの子と「推定」されます(この推定が日常用語の「推定」と違うことについては後述します)。

言い換えれば,「子Cの『法律上の父』は夫Aである」,「これが民法の適用結果である」,ということになります。

            夫A―┬―妻B――男X
               │
               子C

他方,上記報道によれば,「別の男性Xが子Cの『生物学上の父』である確率が99.9%」ということです。

99.9%なので話が少しややこしいですが,例えば,もし,別の男性Xが子Cの「生物学上の父」である確率が100%であった場合,それでも「子Cの『法律上の父』は夫Aである」と言えるのでしょうか? 民法の適用結果を維持すべきなのでしょうか?

これが,本件で問題になっている内容(を荒く,簡単にまとめたもの)です。



■私はこの問題の専門家ではありません

この問題については,以前から実務家や研究者の方など,多くの方々によって,様々な議論が為されています。

ただ,私はこの問題に精通していませんし,議論を継続的にフォローアップしている訳でもありません。そこで,今回は,この問題を考えるに際して役に立つ(かもしれない)情報をご提供したいと思います。



■情報その1・ある地方裁判所の1人の裁判官が下した判決

この問題については,ある異例の判決があります。元東大教授の内田貴先生の『民法4』(東京大学出版会)で紹介されている裁判例ですので,法学部の方なら知っているかもしれません。


この判決は,平成9年11月12日,大分地方裁判所で出されました(大分地判平成9年11月12日判タ970号225頁)。

山口信恭判事が示されたこの判決では,判決としては異例の「私は」という表記が用いられ(※),我が国の裁判例や外国法,発達心理学,非配偶者間人工授精など諸分野の見識が考慮されており,あたかも論文のような内容になっています(内田先生もそのように指摘されています)。

※ 普通,判決では,裁判官個人としての判断ではなく,司法府としての判断が為されていることを示すために「当裁判所は」という表記が用いられます。


山口判事は判決文の中に,「血縁の価値」という項目を用意され,その中で次のように示されました。
長文になりますが,印象的な判決ですので,引用します(改行,太字等は引用者によるものです)。


【判決文一部引用】

「次に受胎後の父子関係ないし親子関係の営みを見てみる。ステレオタイプの記述になることを容赦願う。

 女性が受胎すると,出産まで継続する身体の変調が生じる。特につわりの時期の変調は激しく,臨月には細心の配慮が必要である。女性と同居し,女性に愛情を抱き,女性の体内にいる子が自分の子であると認識する男性は,女性の変調に応じ,配慮し,手助けをする。これは,お腹の中の子の父としての意思に基づく行為である。

 女性が出産する。新生児は一人の大人が二四時間かかり切りにならないと育てられないもので,同居する男性は女性を助け,ときに女性と交替して女性を休ませる。一歳前後までは夜泣きをし,疲れた身体に鞭打って起き,求めるものに答える。おむつを代えれば,手におしっこやうんちが付く。人の便がついて平気なのはこの時期だけである。病気をすれば,寒暑にかかわらず,抱いて医者に見せに行く。

 子供が大人の男女に全面的に依存する日々は三,四歳位まで続く。肉体的にはきつい毎日だが,日々成長する,昨日できなかったことが今日できるようになる子供を見ること,自分を親と思い,自分を信頼して甘えてくる子供の相手をすることは無上の喜びである

 子供が幼児になれば肉体的苦労は減ってくる。いろんなことができるようになった子供とのやりとりは楽しい。
 しかし,危ないこと,いけないことを教えなければならないという気持ちはあり,時には叱ることもある。子供は,明確に自分の父親を認識し,友達の父親と区別する。子供の世界はまだ基本的には家族の中にある。

 子供が小学校に進学すると,子供の関心は小学校やそこでの友達関係に移る。
 しかし,小学校や友達と安定した関係を持つには,家庭が必要である。衣食住は親に依存しているし,かつ,その依存していることが認識できる。子供は父母と思う人に小学校や友達との喜び,悲しみを受け止めて欲しいと思い,父母は子供のそういう気持ちを受け止めたいと思う。小学校の行事に親として参加し,改めて子供の成長を感じ,親の喜びを感じる。

 子供が中学校,高等学校に進学すると,子供が衣食住を親に依存し親が子供に衣食住を与える関係に変化はないが,子供は第二次反抗期に入り,ことごとく親に反抗し,できるだけ親と接触したくないと思うようになる。時に子供にとって親は憎悪の対象であり,親はこのような子供にあわて,立腹し,失望したりする。
 しかし,実は子供が成熟した大人に成長するには,第二次反抗期に親とこのような関係に立つことが不可欠なのである。この時期でも,進学,就職という重大なことでは親と子供は話し合う。

 就職して,子供は衣食住を親に依存する状態から離脱する。親に長く連絡しない時期を持つこともある。この時でも,親は子供を心配しないことはない。子供に何かあり,子供が助けを求めてくれば,喜んで手をさしのべる。いつか,子供は親の苦労がわかり,子として親を助けようと思う。ここで自立した子供と親との大人同士の関係が成立する。双方が健康である間は,日常生活はそれぞれ別個に行われるが,他人を相手にした社会生活を送る中で,互いに信頼でき,いざというときは頼ることのできる親があり子があるということは心の支えである。

 子供が婚姻したり,孫が生まれたりすれば,新しい人間関係が生まれる。
 親が老い,子供が扶養する。身体の大きい親の体位を変え,おむつを代える作業はきつい。親は時に気むずかしく,時にぼける。子供は,親に育てて貰ったとの気持ちから親の世話をし,我慢できない苦労を我慢する。親が死んだとき,子供は深い悲しみを抱く

 私は,この受胎後の営みを見ると,喜び,楽しみもあるが,辛いこと,悲しいこともあり,他の人とのことでは堪えられないことも堪えて行われるもので,父子関係があるとの認識に基いて行われるこの営みは,人間の営みとしての価値が非常に高いのではないかと考える。性行為における膣内の射精は,費やす時間だけを見ても,比較にならないものである。法律的父子関係とは法律関係であり,法律関係とは人間の営みに対する社会的規律であるから,社会的規律としての法律的父子関係を考えるとき,性行為によって卵子が受精したという事実より,その後の父子としての営みとしての事実の方がはるかに価値が高いのではないかと考えるところである。



但し,この大分地裁判決の事案では,「血液型鑑定では父子関係があるとして矛盾はない」,「DNA鑑定では父子関係は否定される」との鑑定意見が出されており,また,DNA鑑定の一般的信頼性がまだ確立されていなかったという特殊性があります。

ですから,冒頭でご紹介した事件と当然に同視できる訳でありません。



■情報その2・「嫡出」を「推定」するとは?

「嫡出」の意味は,実は,実務上も学問上も必ずしも明確ではありません。
ただ,一般的には,嫡出子=「婚姻関係にある夫婦の子」と考えて問題ありません。


少しややこしいのは,嫡出推定の「推定」です。この「推定」は,通常の法律用語の「推定」と異なります。

そもそも,法律用語の推定とは,「ある事実から他の事実を推認すること」を言います(高橋宏志『重点講義 民事訴訟法 上』〔有斐閣,2005年〕499頁)。より詳細な説明はこちら参照

したがって,通常の「推定」の場合,「そんな推定はおかしい!」と思う方は,様々な手段を使って推定がおかしいことを立証すればOKです。


ところが,嫡出推定の「推定」を覆すためには,嫡出否認の訴え民法774条)という方法を使わなければなりません。そして,この嫡出否認の訴えは,夫しか提起できませんし,訴えという方法しか許されていませんし(調停や話合いではダメです),夫が子の出生を知ってから1年間しか訴えることができません。

ですから,本件のように婚姻中に生まれた子Cについては,夫Aが嫡出否認の訴えを提起しなければ,子Cは夫Aと妻Bの嫡出子になり,戸籍にもそのように記載されます。



■情報その3・問題になっているのは法的な概念

本件で問題になっているのは,あくまで,「法律上の父」が誰か,ということです。生物学上の父は,客観的に決まっているのであって,裁判所が決められるものでありません。

その上で,色々な社会制度や,世間の人々の評価とリンクしている「法律上の父」をどのように定めるべきか,それがここでは問題になっています。



■最高裁判決はいつ?

報道によれば,最高裁判決の言渡期日は7月17日とのことです。最高裁がいかなる判断を示すのか(あるいは示さないのか),注目されます。



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