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久しぶりに「バカの壁」を読み直した

よく「伝え方が9割」や
「話し方が大事」などと言われる

しかし、
それが行き過ぎると
「伝えよう」から
→「分からせよう」「理解させよう」と
相手を変えようとする対応に
知らず知らずのうちに切り替わっている

そこで、
養老先生の「バカの壁」を
読み直して
改めて姿勢の大事さを感じた


基本的に私達は自分の脳🧠に
入るものしか理解できない

学問が突き当たる壁は最終的に脳🧠
・わかる人にはわかるし
 わからない人にはわからない
・分かる人でも
 ある程度のところでわからなくなる
(もちろん長い時間や一生をかければわかるかもしれないが時間には限りがある)
→だからどこかで理解を諦める

理解を諦めなければ
数学者や学者の道に進むだろう
ある程度歳を取れば
人には分からないことがある
若いうちには可能性があるから
「自分にはわからないかどうか」がわからない

そのため→いろいろ悩む
ほとんどの答えが一致している社会や
自分と似た考えの人たちを
中心に一緒に過ごすことが
心地よいと勘違いしている

養老先生の立場としては
複数の解を認める社会や集団が理想的
「とりあえず世の中には
分からないことばかりだから」
仮の答えがあるだけなのか」や
そういう見方があるのか」と
思ってくれれば幸い

バカの壁とは何か?→姿勢である

話せばわかるは大嘘

(例)
東大薬学部の生徒に陣痛のビデオを視聴させた(女性6割,男性4割)
同じ映像を見ても正反対の反応が散見された

女性は
「自分が知っていた陣痛の痛みや兆候など
今までにない新しい発見があった」と
評価したのに対し、
男性は
「保健体育で習ったし既にわかっていた」
というような反応を示していた

ここにバカの壁あり

与えられた情報に対する姿勢の問題
→積極的に新たな発見以前とは違う見方をしようとしなかった
つまり、自分が知りたく無い情報には自主的に情報を遮断している

これが一種のバカの壁
→わがままさ
勝手さがある
男子は全部知ってる
女性は新しい発見があったという反応

男性は明らかに細部に目をつぶって「そんなの理解していましたよ」と言っているだけ
私たちの日常でも日頃「大体知っている」「聞いたことあった」という実態はこれと似ている

じゃあ「話したところで分かってもらえないんだな」
と考えるのは早計である

人間がこれまで他の種と比較して
高度に文明や技術を向上させたのは
限りなくコミュニケーションや
言語的理解の発達によるものである

その最たる根拠としては、
脳の言語野領域における活動量と
複雑な神経接続が
他の生物と比べて突出して盛んである.

だから、「分かってもらえないかもしれない」という前置きを知った上で”伝える姿勢”と
相手の考えていることを
分からないなりに
“理解しようとする身構え”の進化を遂げてきた

わかっているという怖さ

常識=common sense(コモンセンス)とは
知識があるというのではなく
当たり前のことを指す

ところが、
その前提となる常識=当たり前に対する
身構えがおかしい。

姿勢,態度(=stance)がズレてるのに
「自分たちは知っている」と
思ってるのがそもそも間違い

それが男女の違いで現れた
→「そんなの知らんよ」という態度
目の前の態度は
これまでの知識や経験を
なぞったものにすぎない

本当は自分の知らなかった情報
たくさん詰まっているのに
「分かっているorだいたい理解している」
と言う

知識と常識は違う

安易に「わかっている」と思っている人は
よく「説明してください」と言う

しかし、
物事は言葉だけで説明してわかるものでは無い

言葉による説明やコミュニケーションを
否定するわけでは無いが
“それ(言葉)だけでは伝えられないこと”や
“理解されないこと”が
たくさんあることをわかってないから
「説明してください」と聞いてくる

何でも説明さえすれば
わかるという思い込み
→説明したからといってわかるものではない

「本で読んだから分かる」や
「サッカーの動画を見たから
サッカーがどういうものか大体わかる」
など

わかるというものは
そういう
「単純なものでは無い」ことをわかってない

養老先生と
イギリスBBCのジャーナリストとの対談で
「日本には常識を雑学のようなものと
思ってるんじゃないですか?」
→その通り!と先生は感じた

日本人には
「何かを分かっていることと、博識(たくさんのことを知っている)」が
“別物”である ということをわかってない人が多い

ビデオを見ただけで分かったという延長線上に「話せばわかる」と
言っている問題が隠れている

壁には段階がある

自分の知り得ない情報・未知の分野・わずかに情報を持っている領域に対して3パターンある
2の無知不知は無関心で

  1. 動壁
    少しでも興味関心や
    僅かながらの積極的な姿勢を通して
    情報を獲得し解釈,視野を広げる
    →崖や山登りで例えるなら、
    山や崖を見て「登りたい」と感じたり登らなくても遠くから風景を見たり
    麓だけ訪れるなど関心を寄せる

  2. 無知不知
    無知は知識や情報について知らない
    (与えられた状態に対して、知っているか知らないか)
    不知は単に知らない状態のこと
    (この世の物理法則について→人類が知り得ないようなことなど)

    具体例 「知らないことすら知らない」状況 →自身の無知を放っておく, ”自分の現在地”や”何も分かっていない”などの自己状態を知らない

    対策 「自分が全てを知り得ないこと」「そもそも世の中には分かっていない人だけでなくよく分かっていないことが多いこと」に対して注意する

  3. 情報遮断型
    →バカの壁の厚さが分かる
    無関心や感情的な嫌悪感から
    自分の思い込みや偏見,
    それまでの経験から得た情報だけを
    もとに新しい情報を遮断する

    先ほどのビデオの通り
    自分が作り上げたこれまでの世界観
    だけで物事を判断して理解する

    具体的な口癖例 「自分には関係ない」「もう既に分かっていることだから」 「〇〇らしいよ、知らんけど」
    「自分にはこれ以上得られる情報や
    知識はない」
    「調べれば分かることだから」
    「自分には分からないや」 など

    知っていると思い込んでいるが故に
    既存の考えや常識に対して
    疑問視することや
    それ以上の探索活動をしない

    理解することを初っ端から放棄して
    壁を作って断絶している

    対策法
    異なる見方や視点を変える
    →他者視点になって考えるだけで
    情報の捉え方やモノの見方が変わる

    実践的な方法としては
    →他人に成りきるというテクニック
    ロールプレイングと呼ばれる

これらの3パターンのうち
相手が1番のタイプである人達との
時間をもっと大切にしていこうかな

2番と3番の人は無理にこちらの主張や
考えをわかりやすく述べようと頑張っても
理解される確率が低いため
無駄に労力を奪われないようにしていきたい

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