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誕生日の日記

本日、6/17は私の誕生日だ。私は成人いたしました。せっかくなので、人生に一度しかない子供から大人になった日のことをここに書いておこうと思う。

日付が変わった瞬間に、託児所からの友人がLINEをくれた。2人で受験乗り切ったらたくさん遊ぼうと励まし合った。以前、学校からもらった合格体験記的なパンフレットに「受験はきつかったけど、みんなで励ましあえて頑張れたことは楽しかった」と書かれていた。おそらくこういう出来事がたくさんあったんだと思う。私もみんなで励まし合って頑張りたい。もちろん、できることなら楽して大学に行きたいけれど。

朝起きたら、祖父からもLINEが届いていた。おじいちゃんだなぁという文面でいつも可愛い。お互い健康に気をつけようという話をして会話を終えた。

おじいちゃん構文って感じ

登校した。私と誕生日が1日違いの子が、教室に入ってすぐ「誕生日おめでとう!!」と声をかけてくれた。まぁまぁ教室に人がいる中で、そこそこの音量で言ってくれたために、他の人も「え、今日誕生日なの!?言えよ!!」みたいな声をかけてくれた。なんだかすごく女子高生を感じた。自分も女子高生であることは間違い無いのだけど、人の誕生日を全力で祝う姿ってこんなにも青春感が溢れるのだなと他人事のように思う。
というか、そのthe女子高生感のある子たちはずっと私のことをバースデーガールと呼んでいた。授業の度、「先生に今日誕生日です!って言いなよ!!」と言われた。バースデーソングを8回は歌われた(照れてほぼ逃げてしまったけど)。よく飽きないなとかそんなに擦るほどか?とか色々思ったけど、そうやって何度も「おめでとう」と伝えてくれたことは嬉しい。嬉しいのは間違いないのだが、恥ずかしさの方が勝ってしまう。言ってきた子たちが誕生日を迎えたら、絶対にやり返す。

部活へ行った。何の話からその話題が生まれたのかは覚えていないが、「何月生まれだっけ?」と聞かれたため、「今日だよ」と答える。その場にいた同期と後輩全員から「えぇぇぇえ!?!?」と言われ、口々におめでとうと言ってもらった。自分で良い先輩でいたという自負はないが、こんなふうにわりと全力で祝ってもらえるということは、多少なりとも慕われてはいたんだと思う。引退が近づいてきて、先月よりずっと後輩と関わる時間が減った。もしも私がいなくなってすっきりしたと後輩たちが考えていたらどうしようとか色々考えたこともあったが、杞憂だったと信じたい。良い後輩を持ったものだなと嬉しく思った。

他にも前に行ってた塾の先生や親戚からたくさんおめでとうと祝ってもらった。自分の理念として、自己肯定感を他人からの肯定で埋めたくないと思ってはいるが、今日くらいは私のスカスカな肯定感を人からの肯定で埋めても良いんじゃないかなと思う。自分のことはやっぱり好きになれないし、真っ直ぐに評価することもできないけれど、人を疑わず今日もらったお祝いの言葉を大事にしたいなと考えていた。
何か辛いことがあったら、自分でこのnoteを読み返してこの胸の満足感を満たそうと思う。

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