見出し画像

相談出来ない症候群

読んでて楽しくはなりません!
親の悪口めいた内容が出てきます!
オチないです!

私は本当に人に相談が出来ない。
少なくとも自分のことを「こんな顔をしているこのような人間」とはっきり認識できる相手には相談をすることが出来ない。
おそらくこうなっている理由には私の小学生頃の記憶が関係すると思う。
自分の中での考えをまとめるためにも書いておく。

我が家は父方の祖母と一緒に暮らしている。
そして例を漏れずに母と祖母は仲が悪い。
もちろん、父と母の仲も全く良くない。
ここで過去形にしていないのは現在進行形で仲の悪さが続いているからだ。

高校生になった今は嫁と姑の仲が良いことの方が珍しいこと、両親が仲の悪い家庭は少なくないことをわかっている。
しかし幼い頃の私にはそのことの想像がつかなかった。絵本で読む家族はみんな仲が良い、きっとこんなに仲が悪いのは我が家だけだ、と思い込んでいた。

母が私に対して祖母や父の悪口を言う時に、「このことを学校のお友達に言ったらダメだよ」と言っていた。
故に私は「家族仲が良いことは当たり前で、我が家のように家族仲が悪いことは他の人に秘密にしないといけないほど変なことなんだ!絶対に言わないようにしよう!!」と思ってしまったのである。

さらに、私の認知を歪める出来事が小学4年生くらいの頃にあった。
その頃の私は全く褒められるようなことではないが、こっそりと母親の昔使っていたガラケーのメールを見ることが趣味だった。

その日もおそらく母のケータイのメールフォルダを見ていたのだろう。
母が友人に送ったと思われるメールを見た。その内容を軽くまとめると
・出来ちゃった婚も最近は多いからそこまで心配しなくてもいい
・自分も出来ちゃった婚だから不安なことがあったら相談してくれ
とのことだった。
「出来ちゃった婚」の意味をはっきりと理解した時期は定かでないが、このメールを見たことで常に私は「自分がいるせいで両親・祖母を苦しめている」と思ってしまった。

さらにもう一つ大きな出来事があった。
それは母親の闘病だ。
私が小学6年生の時に、母は乳ガンを患った。
誰よりも健康に気をつかっていてタバコもお酒も嗜まない母がガンになる理由はストレス過多しか考えられない。
早期発見だったため胸の摘出もせずに済んだが、ここでも私は「自分がいなかったら母は早々に父と離婚して乳ガンにかかることもない人生だったんじゃないか」と考えてしまった。
全てタラレバの話ではあるが、思いつくことをやめることができなかった。

このような経験が積み重なった結果、
「自分は存在してはいけない人間で、自分が生きているせいで誰かを困らせている。そんなやつが易々と人に相談なんかしてはいけない。相談したいほど苦しんでいるのは相手の方だから」
と考えてしまうようになった。

さらにポロっと弱音を吐いた時に慰めの言葉をかけられてもマイナス発言でしか返せない自分の癖にも気づいたために、相談がしづらくなってしまった。
おそらく「なぜ自分はこんなに最低なやつなのにこんなに褒めてくるんだ?自分は肯定されてはいけない人間なのに肯定してくるなんて嘘だ。」と無意識に考えているのだろう。
相談に乗ってもらっても自分はその善意を無駄にしか使えない。

人に対しては「相談に乗るよ!」と言えるし、実際に相談に乗ることもそれなりにある。
だが、たまに(本当に身勝手な上に最低な考えではあるが)「自分は相談出来ないのになんでお前はそんなに相談できるんだよ」と思ってしまうことがある。ただの妬みだ。
基本的に私が悩むことは、自分の才能や能力の無さや家族仲の問題である。だから別に相談したいわけではないし、相談で解決できる内容でもない。
でも自分自身の悩み溜め込みスペースが埋まってきているのを感じる。心のゆとりがなくなっている。いつか相談してくれた人にキレ散らかしそうで怖い。

親にここまで育ててもらった感謝はあるし、家族として好きだと感じることはできる。母も父も好きだ。でも両親として好きとは思えない。

今さら自己肯定感を上げようとは思わないし、自己肯定感を上げていいような性格や人生を送っていない。
だから誰かに相談に乗ってもらいたいわけでもない。
このnoteのように匿名で相手が誰か予想も見当もつかないような場所ですら全ての悩みを言えない。

本当にどうするべきなのだろうか。
もっと月日が流れて、自分の中で考えにまとまりがついた時には、自分のことを肯定できるのだろうか、それとも肯定できないままなのだろうか、相談はできているだろうか。
全てがわからない。
まぁ、自分の将来のことなんて考えたくないからどうでもよいのだけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?