人の“痛み”を自分のことのように感じる私は。

「人の痛みが分かる人間になりなさい」って、言われてきた。
10数年前の幼い私は、身体に感じる痛みのことだと思ってた。
怪我をたくさん経験してた私は、痛みを分かっているつもりだった。笑

学年内で次々と問題が起こった中学生の時、突然糸がプツンと切れた感じがした。
その日から怒りや悲しみなど、負の感情が自分発信で生まれなくなった。
その代わり、周囲の負の感情をダイレクトに受けるようになった。
(もちろん人としてダメなことには怒ります!)

「“痛み”ってこうゆうことか」と、他人事のように思っていた。
身体的な痛みも意味に含まれてるんだろうけど、心の痛みもってことなんだ。

人の痛みを感じることができるのは、嬉しかった。
それによって自分が成長出来るかもと思ったから。

でも、そんな容易なことじゃなかった。
ダイレクトに受けた痛みは、自分の心を大きく傷つけてきた。
突然傷が痛むこともあり、急に涙を流すこともあった。

自分発信の痛みがつけた傷なら、どうにでも出来る。
自分が行動して原因を元から断ち切るけど。
他の人の痛みを受けてできた傷だと、そうはいかない。
たぶん、痛みを受けた時の傷のほうが治りにくい。

最近は少し慣れてきた。
ただ、1対多数で受けた痛みには苦しむけど…。
(災害が起きた日や原爆の日などたくさんの命が失われた時や、誰かが命を落として大勢の人が悲しんでいる時を1対多数と表現しています)

1対1で受ける痛みは、傷になるのは変わらないけど受け入れる方法が分かってきた。
それが、心のままに生きてみること。

自分が「これやってみたいなぁ」と少しでも感じたら迷わないでやってみる。
上手く出来なくても、とりあえず挑戦してみる。
やるべきことはちゃんとやりながら自由に生きてみる。

受験期は、ほぼ同時進行で行なってた。
受験に必要な教科の勉強をして、休憩の時に自分が学びたいことを勉強する。
(1度机から離れると、集中力が無くなるタイプ)

現在は今までで1番心のままに生きているかもしれない。
コロナ禍で1度も対面授業が無いまま、夏休みに入った。
大まかに生活リズムは決まってるけど、夜中に目が覚めたら勉強する時もある。
「散歩しようかなぁ」って思って真っ暗な道を歩く時もある。
日中も「海見たいー」って思ったら近くの海岸に行く。
(最近は日光が強いから昼は外に出なくなった…)

自分が生きたいように、心のままに動いてみてリラックスする。
これで他人から受け取った痛みでついた傷を癒していく。
環境によってはすぐに出来ないこともあるけど、癒す方法を見つけることができた。
だから、昔よりも全然楽になっている。

『人の“痛み”が分かる』のは、素敵なことだけど同時に苦しみも持っている。
でも、「痛みが知れて良かった」と心から思える。

「まだ見ぬ誰かのために生きている」なんて言えるような、立派な人間じゃない。
私はまだそこまで達観していないし、きっと自分のために生きている。

でも、今の自分で生きれるのはこの1度きり。
心のままに生きてみるのも、良いのかもしれない。
人の“痛み”を感じながら生きてみるのも、良いのかもしれない。

Luca

皆さんが日々幸せを感じることが出来ますように

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#人生観

初めてタイトルが曲名じゃない!
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