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大分の国宝・城跡めぐり その⑤ ~岡城と歴史の道散策~

2泊3日の大分旅行もついに最終日。この日は大分駅から特急に乗り竹田たけた 市へ。日本100名城のひとつである岡城と城下町の雰囲気を残す歴史の道を歩きます

なかなか来ることのできないところに来ているのでできればゆっくりしたいところ。

しかし、私の旅によくある「駆け足」と中途半端さは、大分旅行最終日でも発揮されたのでした。

※この記事は前回の続きです。前回をお読みでない方は下記のリンクからどうぞ。

■このnoteを書いている人:sho
日本の歴史・文化・自然・世界遺産、国宝、(続)100名城、日本遺産、建築、町並み、旧街道、映画、日本酒、折り畳み自転車などに興味があります。京都/奈良/横浜/鎌倉/江の島などなど…。
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■九州横断特急で豊後竹田へ

九州横断特急

大分駅から九州横断特急に乗って豊後竹田ぶんごたけた 駅を目指します。九州横断特急は真っ赤な車体が特徴、乗るのはもちろん初めてです。

豊後竹田駅

列車はおよそ1時間で豊後竹田ぶんごたけた 駅に到着です。この駅はこれから訪れる岡城にちなんで武家屋敷風の駅舎になっており、列車が到着するとホームに瀧廉太郎作曲の「荒城の月」が流れます

豊後竹田駅から岡城を目指します。貸自転車を借りようかとも思いましたが、ここはやはり無理をする場面でもないと思い、タクシーに乗ることにしました。

ピアノのモニュメント

「見せたいものがある。ここからメーターを止めるから」と言ってタクシー運転手さんが岡城手前で車を右に進めました。

瀧廉太郎の曲の歌詞

岡城といえば瀧廉太郎ゆかりということで、ピアノの形のモニュメントや、道路の法面のりめん には瀧廉太郎の代表的な作品の歌詞が刻まれた石板などがありました

タクシーはほどなく岡城の駐車場に到着します。

■岡城を歩く

◆岡城とは

岡城は、伝承では現在の豊後大野市の武将である緒方三郎が、源頼朝と仲たがいした弟の源義経を迎えるために築城したと伝えられています。

戦国時代の末期に中川氏が入府し1874年(明治7年)に廃城となり、13代続いた岡藩が終焉しました。

現在は石垣のみが残っており国の史跡や日本100名城などの指定を受けています。

◆岡城入り口から三の丸へ

岡城の土産店と岸壁

駐車場の片隅にある料金所で料金を払い入城します。この日はボランティアの方が私と一緒に歩いて案内をしてくださいました。

少し歩くと右側に土産店があります。その向こうには阿蘇溶結凝灰岩の岸壁が見えています

岡城入り口の階段

階段を上ります。最初は緩やかですが途中には急な所もあります。

岡城:大手門跡

階段を上り切って平地になるところの両側に石垣があります。ここは大手門跡です

かつてはこの石垣をまたぐように櫓があり、当時の大手門の大きさをうかがい知ることができます。

岡城:三の丸跡の石垣

大手門跡から歩き進むと三の丸の石垣が見えてきます。美しい弧を描いたこの石垣は、100名城スタンプの意匠ともなっています

しかし、この日は石垣に草が生い茂り、写真などで見る石垣とは少し様子が違います。

ボランティアの方の説明では季節に応じて草刈りをして美しい石垣の姿を見せるのだそうです。

岡城からの眺め

◆三の丸・二の丸・本丸跡

太鼓櫓跡

太鼓櫓は岡城の中心部に入る最も重要な櫓です。かつては櫓内に太鼓が設置され、城内に時を知らせるために太鼓が打たれていました。

三の丸は他藩からの使者や家臣が藩主と対面する場であったとされています。

二の丸 空井戸

二の丸入り口付近には空井戸があります。当初から水はなく、抜け道だったとか財宝が隠されていたとの伝説が残されています。

岡城:瀧廉太郎像

作曲家瀧廉太郎は少年時代に岡城を遊び場としていたとのことです。名曲「荒城の月」はこの岡城を基に作曲されたと伝えられています

二の丸跡に建つこの瀧廉太郎像は、少年時代に廉太郎と同じ学校に通っていた朝倉文夫により、昭和25年に造られました。

二の丸からの素晴らしい眺望を望める場所に建つこの像は、今では岡城の象徴として親しまれています。

岡城からの眺め
二の丸にある休憩所

二の丸には来城者のための休憩所もあり、内部にはピアノも設置されています。

二の丸から一段高いところにある本丸に行くにはこの休憩場の階段を使って上ることもできます。

岡城:本丸跡

本丸は岡城の中心部であり、藩主の住まいである本丸御殿がありました。その本丸御殿を取り囲むように三階櫓などが配置されていました。


岡城天満神社

現在は当時の建物はなく、中川藩主が守り神としてきた岡城天満神社が残されています

この先には御廟所跡や下原門跡などの史跡もありますが、今回はここで引き返すことにしました。

また、西の丸方面には当時の建物の床面を復元した中川覚左衛門屋敷跡や中川民部屋敷跡などもありますが、今回は立ち寄らずに帰ることにしました。

■岡城
所在地:大分県竹田市大字竹田2889
連絡先:岡城跡料金所:0974-63-1541(まちづくり文化財課:0974-63-4818)
入城料金:高校生以上300円、小中学生150円

■城下町豊後竹田 歴史の道散策

◆軍神広瀬武夫を祭る広瀬神社

広瀬神社 広瀬武夫像

行きはタクシーで上りましたが帰りは徒歩で岡城を下ります。次に訪れたのは広瀬神社です

広瀬神社 境内

広瀬神社は日露戦争の旅順戦で戦死し「軍神」と崇められる広瀬武夫中佐を顕彰するために建立された神社です。境内には広瀬中佐の遺品などを展示する広瀬記念館があります。

■広瀬神社
所在地:大分県竹田市大字竹田2020
入場料:無料
連絡先:広瀬武夫記念館 0974-62-3074

◆豊後高田 歴史の道を早足で歩く

殿町武家屋敷通り 歴史の道

広瀬神社を起点に殿町武家屋敷跡や瀧廉太郎記念館、そして国指定重要文化財の愛染堂がある観音寺などを巡る歴史の道を歩きます

しかし、このころから列車の発車時刻が気になりだし、いつものとおり徐々に早足になり始めました。

竹田郵便局 風景印

歴史の道散策のその前に竹田郵便局に立ち寄り風景印を押してもらいました。風景印の意匠はやはり竹田城と三日月ですね。

殿町武家屋敷通り 歴史の道

最初のみどころであるキリシタン洞窟礼拝堂は時間の関係で割愛して先に進みます。

古田家仲間長屋門

殿町武家屋敷通りは岡藩時代の面影を残す武家屋敷があった通りで、当時は13件の武家屋敷が連なっていたところです。

左右に土塀を残すこの通りの中でも一番の見どころは、吉田家仲間長屋門でしょう。

この長屋門の半分は江戸時代に建てられた仲間長屋ちゅうけんながや が基となっており、明治期に養蚕のための長屋門と棟続きとなるよう改築されました。

その後昭和63年に解体修理され、建築当時のまま保存されています。

城下町の面影を残す古い町並み
竹田市歴史文化館・由学館

竹田市歴史文化館・由学館には、「岡城ガイダンスセンター」、や「市民ギャラリー」、竹田市の歴史文化を紹介する特別展や企画展が開催される「特別展示室ちくでん館」があります。

また、企画展とのセット料金で国指定史跡「旧竹田荘」も見学することができる、歴史の町散策の拠点施設です。しかし、残念ながら時間の都合で内部を見学することなく先を急ぎます。

この後は瀧廉太郎記念館や愛染堂などを訪れたいところですが、帰りの列車の到着時刻が近づいてきたためやむなく割愛し、ほとんど駆け足で豊後高田駅に向かいました。

■最後に

帰りに乗った特急「あそボーイ」

2泊3日の大分旅行の最終日は日本100名城のひとつである岡城を訪れました。岡城の面積は広大で、時間の関係で全体の半分くらいしか回ることができませんでした

また、豊後竹田の城下町に至っては全体の半分も見ることができませんでした。

豊後竹田駅を出る帰りの列車の出発時刻が11時台とかなり早い時間であり、帰りの飛行機までまだまだ余裕があったので、もう少し時間を取ってもよかったのですが、前日に宇佐駅で人身事故のために2時間も足止めを受けたこともあったので、長居はせずに大分駅に戻ることにしました。

もしももう一度豊後竹田に来る機会があれば、旅程の最終日にはせずに丸一日かけてゆっくりと城下町散策を楽しめたらいいなと思います。

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