マスクと「気遣い」

Twitterで、このコロナ禍ではありますが、持病や障がいでマスクをつけることができない方がいるということを改めて知って、ちょっと思ったことを書こうかと思います。

書こうと思った発端

もともとは、引用ツイートではありますが、以下をTwitterで書いたところ、リプライで、「事情があってマスクをつけることができない人がいるというツイートも元ツイートにぶら下がっているが、それに対する反応がないことに疑問に思う」(要約しております)といただきました。
※自分のツイートではないので、リプライの貼り付けは控えました

確かに、「マスクをつけること」が半ば当然のようになっていて、事情によりマスクが着けられない方へ対する配慮が疎かになってはいないか?ということは疑問に思いました。
そういえば会社の仲のいい同期もアトピー持ちでマスクをするのがかなり辛いと言っていたな、ということを思い出したりもしました。

どこまで深読みしても良いのか

妊婦さんに配られる「マタニティマーク」、外部から気づきにくい障がいを持っていたり、人工関節を入れている方が申し出で取得できる「ヘルプマーク」のような物があれば、察することができますが、必ずしも体質や障がいでマスクをできない方がそれら、特にヘルプマークを取得できるかといえば恐らくそうではありません(ヘルプマークについては以下の通り)。

そして、現在街中を歩けば、ぱっと見8割くらいの人がマスクをしている現実があり、どうしてもマスクをしていない人は目立ってしまう気がします。
私自身、先日マスクを家に忘れてしまい、ドラッグストアでマスクを買うまではノーマスクで移動せざるを得なかったのですが、なんとなくチラチラ見られているような気がしました。

体質でマスクができない、するのが辛いという方がいらっしゃることは知ってはいましたが、このような現状だと尚更辛いのではなかろうかと思います。
しかし、マスクをしていないから体質だと決めつけてしまうのもまた違うでしょうし、自身で調べて、その上であえてマスクをしないという人も少なからずいると思います。
持ち歩いていて、対面で会話する際や、店に入る前にエチケット的につけるという方もいるので、なんとも言い難いところではあります。

マスクをつけない=悪という図式になるのは問題

こうなって心配なのは、「マスクをつけないこと=悪であり、あってはならない」と思う人がTwitterなどSNSを見ていると結構な数がいて、体質でマスクができない人に対して心ない言葉を発してしまったり、マイナスな意識を持ってしまうことだと思います。
そのようなことを意識してしまい、外に出にくくなる人がいるということもあるでしょうし、そのような行為はもはや差別と同様です。

妊婦さんに対して、「病気じゃないんだから特に席を譲らなくてもいい」とかいうのと同じです。そんなわけないんですよね。少なくとも私はそう思います。
体質によってマスクを着けられない人がいるということを必ず頭に入れておかなければならないと思います。しかし、「何故マスクをつけていないの?」ということは疑問に思っても、私は、その本人が言わない限り聞く必要はないと思います。
外側からは「自身の調査と選択の上でマスクをつけていない」のか、「体質によってマスクをつけることができない(つけにくい)」のかはわかりませんし、仮に体質でマスクをつけることができないのであれば、本人が言いたくない可能性もあります。

現時点で一番いいのは、マスクをつけないのが選択なのか、体質なのかということが一見してわかることだと思います。こちらからの気遣いもしやすくなりますし。
と思って調べてみると、そのようなことから意思表示カードを考案された中学生がいる模様です。

これは一例だと思いますが、なんにせよ、他人への気遣いを忘れることなく、このコロナ禍を乗り切っていきたいですね。

私の意見として。

以下、私の個人的な意見ですが。
コロナ禍の下であろうが、コロナ禍が落ち着いて、平穏な世の中に戻っても、他人への気遣いってのは忘れちゃいけないことだと思います。
妊婦さんに電車やバスの席を譲ることも、杖をついた御老体のお手伝いをすることも、なんらかの障がいをお持ちで健常者と同じ生活を送れない人に寄り添うことも、特にそれらを示すマークがなくてもやらなきゃいけないことなんだと思います。

どうしても妊娠初期は見た目じゃわかりにくいから、マタニティマークやヘルプマークをつけたり、内部障がいで見た目じゃわからないからヘルプマークをつけたりということが必要になるわけです。
しかし、マタニティマークをつけていると頭おかしい奴(すいませんこんな表現で)に絡まれたりする事件もあるそうです。
理由は「妊婦だと抵抗してこないから」だそうです。同じ人間とは思えまえんね。**です。(流石に伏せました)

これから、そういう人が減って、他人への配慮ができる人が少しでも増えるようになればいいなと思っています。
まずは自分から、それを自分の子どもへ、子どもからその友達へと拡がってくれればいいな、と思っています。

この社会で重要視される「多様性」という言葉。
多種多様な人が生きやすい世の中、日本という国になればいいと思い、行動に心がけをしたいと思う次第です。

※一部はかなり理想論的に書いています。実態とそぐわない部分もある可能性がありますが、ご了承ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?