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遺伝子組み換え作物への農家目線での向き合い方

GM作物のカンファレンス行ってきた。
遺伝子組み換え作物は巨大資本による搾取装置かのような印象持っていたんだけど、そんなことはなさそうだ、という結論になった。

けど、これまでボクに入ってきていた情報は
「アフリカでは巨大な外資にうまくノセられ産地が崩壊した」とか
「アメリカではタネ会社に農家が訴えられた」とか
「遺伝子組み換えは危険だ!マスコミはそれを隠している」
と言ってるマスコミ情報しかなかった。

これまでの遺伝子組み換えのイメージは、
「とにかく縁遠そう」だ。
それは、消費者サイド(食べ手)としてでも、生産者サイド(作り手)としてもそう。

<食べ手として>
”でない”を積極的に探すわけでもなく。裏面をみて「おっ、"でない"…だ」と思うことはあっても、それのみ求めようというマインドにはなっていなかった。
積極的に避けようともしてないし、積極的に反意を示すこともない。

<作り手として>
食べ手としての意識がそんなものなので、作り手側としては「世の中の理解が醸成されたら、そのうち作るかどうか検討すんのかもなぁ。」くらいの意識だった。

そんな明日って果たして来るのか?

今回のカンファレンスで伝えられたのは
◯遺伝子組み換えという技術は素晴らしい点がある
◯世に出たばかりなら不安感もあるが、実際は20年以上の実績がある
という点だった。

◯遺伝子組み換えという技術は素晴らしい点がある

技術として優れていることは、なんとなく認知されていると思う。
イネの遺伝子の中に例えばブタの遺伝子の一部とを組み替えることにより、何かの耐性がハネあがる…みたいな技術。
この技術により、
「病気の耐性がハネ上がったお陰で、収量が10倍以上になった」という声がインタビュー動画であがっていた。これは、神の領域に踏み込んだとかって話ではなく、「壊滅的に収量が取れなかった地域を救った」と読み解いてほしい。初期生育の際に害虫による食害で、1/10くらいしか取れなかったものが、害虫耐性ができたお陰で、キチンと収量を確保できるようになったということだった。
「遺伝子組み換えによってラウンドアップ耐性をつけた農作物を作って、ラウンドアップ漬けの農作物が出回るんだわ」みたいな主張はあるし、遺伝子組み換え万歳というつもりもないけど、技術の有用性としてアリかな、と思う程度にはなった。

◯20年以上の実績がある

出てきたばかりの技術であれば、その副作用的な部分を気にするのは、
誰だってそう、ボクだってそうなんだ、である。
それゆえに慎重に経過をみているのかと錯覚していたけど、実際は世界では遺伝子組み換えの作物が増えていて、もう20年以上現地で作られているというケースもあるようだ。(エビデンスとか気になる人は別途調べてください)
安全性を証明している論文もいくつも出ており(まぁ、それで安心できるほど、サイエンスというものが普遍で確かなものかは微妙だけどね)、慎重に経過を見るには、じゅうぶんに時間は経ったと思える。

選択肢として「アリ」の道を

遺伝子組み換えは危険!というのは不安感やネガティブキャンペーンによる刷り込まれた意識だというのは分かった。でも、やっぱり怖い思いは、片隅にある。ただ、今の情勢は、「ムリムリムリやっぱムリ」一辺倒なところがあル。他方、東南アジアで遺伝子組み換え作物を作っている農家がインタビューで「これのお陰で子供を大学に送ることができた」と誇り高く話していたのが印象的だったように、農家の生活を改善している事例もある。また、飽食を支えている大部分が遺伝子組み換え作物であるっぽい(エビデンス気になる方は別途調べてください)ことは、もう少し認識する必要がある。
「ナシ一色」を示すのではなく、「有ってもいいよ。あたしゃ選択しないけど」「ボカァ作らないけど、作る意思がある人は作りはじめていいんでない?」という、グラデーションな道を歩んでほしい思いが芽生えた。

品種改良、遺伝子組み換え、ゲノム編集、iPS細胞

遺伝子組み換えは品種改良の一つとされている。
品種改良は、
「安定した食料生産、美味しい作物に貢献してくれた先端技術だ」
と言われるが、その手段として遺伝子組み換えという選択肢が出ると途端に「ムムッ」(川平慈英風)
となるので、センシティブなデリケートなものに、世の中が勝手に醸成していったような気がする。
先端技術として、品種改良も、遺伝子組み換えも、ゲノム編集も、はたまたiPS細胞なんかも、切り取られ方だけの違いのような気もするけど、世の印象ってずいぶん異なる。

センシティブに切り取られ始めると、人相手のものなので、ファクトがどれだけあっても「フェイクでは?」という声がひとつあるだけで、イメージの払拭というのはオジャンになる。
必要なのは納得感。

まさに
「正しさよりも優しさが欲しい」
なのかもしれない。

共感よりも実践てのが”たけモットー”なボクでも、実践はまだ遠いテーマだ。ホントは差し迫ってるんだけどねきっと。

「飽食のこの時代がいつまでも続くとは思えない」とかは皆言うけど、実感が伴っていない。ボクもそう。気がついた時から食べ物は溢れていたし、大雪でスーパーの棚から食品が消えて悲鳴をあげた時も、3日ほどで棚は復活し、大変なひもじい思いをするには至らなかった。
けれど、そんな未来は割と近くに迫ってきているかもしれない。
日本の経済力が衰えたことで「買い負け」が発生し、十分な原料が調達できない現象は既に起こりはじめているし、離農が増えて、残ったプレーヤーで作れる量に限りがある未来も、描けなくもない。
祖父の「これからは規模拡大じゃー」から世界は変わり、ぼちぼちと「集まりすぎて、断ってんだよね」と言う農家さんも出始めている。
(ウチは今はまだもっと集めたい🥺羨)そんな未来において、十分な食料を確保するための選択肢…あっても良いと思うんだが。

いきなり変われとは言わないので、食品以外で良いので選択肢を排除しない世の中に変えていこうぜ、というのが今の思い。

バイオエタノールの燃料とか。
様子をみて飼料とかね。

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