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日曜日のゆううつとジャズ

先週の日曜日、家族が出かけてひとり、好きなことをして気ままに過ごせるはずが、おかしなことにひとりでの過ごし方が分からなくなっちゃっていた。


次の日のことがとんでもなく心配で、不安で。
ソワソワが止まらなくて持て余してテレビ見たり溜まったSNS見たりなんだりしてたけれど、掴みきれないこの虚無感はいったいなに?と焦っていた。

家族が帰ってきて気配がすると、ひとりの虚無感から放されて、ほぅ〜とため息をついた。

理由は明確なんだけれどそこから逃れるためには体力気力が必要で、今も立っていられるのは家と家族があるからだ。話を聞いてくれる仲間がいるからだ。


昨日の日曜日は、ひとりでいるのが怖くて、家族と一緒に母推しの「リメンバー・ミー」を見たり、寝る前に初めてジャズを聞きながら雑誌を読んだりしたら、夜が明けるのが怖くなかった。

あの日曜日みたいな症状はこれからもたぶんやってくる。じわじわきたり、突然心のドアをガンガン叩いたりして急に現れるだろう。


ひとりで気ままに過ごすのが好きなのにいったいどうしたんだろうと思う。


自分で進めなければいけない。抱え込むわけにもいかないので時間をかけて、勇気を出してひとつ相談すれば何倍ものの痛みと共に返ってきて、もう相談したくない、頼りたくないって思う。その繰り返しだ。

返ってくるのは正論だ。そこには正しさがあり、そこをクリアして初めて認められる。それができなければそれ以下だ。

みなまで言わないが、そうなってしまった以上はその孤独を引き受けなければ、その世界では生きていけない。そんなことはないって思うけれど現実はそんなことになっていた。いや、どうだろう。

こうして文にして、なにができるかというわけじゃないけれど。昨日の夜、なんとなくトランペットの音が恋しくて、それもあってジャズを聞いてみた。

わたしが聞いた曲のトランペットの音は暗闇から遠くにいるひとへ届けとばかりに、地に足をつけて仁王立ちでおーい、と呼びかけるような音だった。英語の歌詞を見たらラブソングだった。

不安との付き合い方は手探りだ。仲間たちと何気ない話をしたり、真面目な話をしたりしてる間に、自分の今の気持ちをちょいちょい挟む。どうしてもそうやって小出しになってしまうけれど、仲間たちと話す時間をもつこと。母と過ごすこと。近所を歩くこと。

本は昔みたいにがっつり集中して読めなくなった。でもそばに本を置きたいと思う。
音楽をいつも奏でていたいと思う。

もうすぐ桜の季節だ。

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