指し手感覚 駒感覚

指し手感覚、駒感覚はド・シャームのやる気を育てる教室の中で使われるんだけど、個人的にはすごくしっくり来ていて「内発的動機づけ」とかよりも子どもたちにも伝わりやすいと思っている。
教員も自分たちが関わっている生徒を「指し手」として育てるか「駒」として育てるかは、かなり重要な感覚だと思う。
田舎の工業高校とかでは未だに「駒」を作ってるし、中学校なんかも「駒」感覚の先生が多いように感じる。

これからの時代を考えたときに「駒」を作るべきと考える人はいないと思うのだが、田舎だと「そういう人間も必要」とか言われるので一応書くと、今後「駒」はコンピューターとロボットによって代替される。よって「駒」の場合コンピューター、ロボットよりも安価であるか、コンピューター、ロボットが働けない場所でしかニーズが生まれない。そうなってくると多くの「駒」を社会保障で支える必要が出てきて、その分老人や子どもへの保障が減る可能性があるということまで認識しておかないと老後に備えていないような40代、50代は痛い目を見ることになる可能性があるわけです。

さて、話を戻して私は生徒を指し手にするために色々試行錯誤したのですが、結局「やらせてみる」ということに限ると思いました。将棋の棋士がAI相手に対局数をこなして上達するのと同様に、場数を踏むことが大事だと思います。ただ、この「やらせる」が自発的である事が重要で、誰かに「やらされている」ものだと意味はないです。

となるとやらせて見るためにもこちらとしては仕掛けを色々用意したり・・・と思うかもしれませんが、逆で「何もしない」というのが意外と生徒には効果的でした。ゴールや目標と期限を決めてあとは任せる。そうすると紆余曲折はありながらもなんとかしようとします。高校生くらいだと自己責任だよというスタンスを取ると生徒も意識が変わります。
ちなみに「駒感覚」が染み付いていると「なんでやってくれないんだ」と反発する場合もありますが、その場合丁寧に寄り添って「どうしたいの?」という問いを投げかけて「ロードマップを一緒に考える」「できそうなことからやってみる」というのが効果的だと思います。

ちなみに授業なんかでもこの手法が使えますが、1時間目は絶対にカオスになるので、10時間目くらいまでに生徒がそれぞれ自分の型ができると良いかなくらいの長期目線で取り組むことが必要だと思います。
教師も自身を「駒」と捉えるのではなく「指し手」と捉えることで結構やれることが変わると思います。

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