ネットとセレンディピティ

東京に旅行に行ったときに、フロアごとに扱う書籍が違う大型書店で何のあてもなくブラブラするのが楽しみだった。初めて行ったのは小学生の頃だと思うけど、色んな本があって何時間でも過ごせるという感覚だった。
「こんな本があるんだ!」というセレンディピティは書店の醍醐味だ。ただ、この醍醐味が地方都市にいるとなかなか味わえない。昔は3フロアあった地元の大型書店も今は1フロアになり、「売れそうな本」に特化した品揃え。そこにセレンディピティは存在しない。
電子書籍の便利さは認めるし、大いに活用させてもらっているが、やはり書店がなくなったら人類の知は進歩が鈍化するのではないかと思う。大型書店を残す工夫も必要なのではないだろうか。

やっぱりITはだめだと言いたいのではない。
音楽についてはITの発達によってセレンディピティが格段に向上した。サブスクを利用すれば様々な楽曲を値段を気にせず聞くことができる。ネットがなければ触れないであろう「フランスのヒットチャート」を聞けたり、テレビの音楽番組を見なくとも流行歌を聞くことができる。子供番組の歌をいくらでも聞かせられるのは長距離移動の際には本当に助かる。

ネットが世に広まってもうすぐ30年。ネットは「万能」ではないことが少しずつ明らかになってきた。あくまでネットは手段なわけで、使い手の能力によって有効性は大きく変わる。恐らくそのことを意識している人はまだ少ない。だからこそ子どもたちにはそのことを伝えたい。

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