石田千「月と菓子パン」

石田千「月と菓子パン」を読む。今まで食わず嫌いしていた作家だけど、古本やで(作者の表記に敬意を表すなら屋ではなく「や」だ)山本容子だ、とすぐにわかる表紙に惹かれて手に取った文庫本。下町を中心に描いたエッセイで、やっぱり東側の情緒はいいなと思いつつ読み進むと、中頃から見知った地名がポロポロでてきて驚いた。水元公園、江戸川、千住、あらかわ遊園、木場、万世橋、九段、駒場…。そのどれもが私も馴染みのある街で、毎日目にしていたところだってある。
石田さんは金町に住んでいたんだ。ハタと気づく。葛飾の川沿い(江戸川だ)のアパートとあるだけなので東金町か帝釈天のほうなのかは分からない。それでもパッと目の前に思い描けるような風景。駅前の同じ飲み屋に入ったことがあるかもしれない。あのあたりは豆腐屋が色々あったのか、とはじめて知ったりもした。
私が隣の市で暮らした頃と彼女が毎日を過ごした時間はおそらく15年くらい差があるので、同じ風景ではもちろんないだろう。南口のロータリーは再開発される前で、北口の東急ストアも姿が違ったのかもしれない。あそこは1974年オープンだと今知った(さらに余談だが東急文化育ちの身からするとなぜ縁もゆかりもない東京の突端に東急ストアがあるのだろうといつも思う、東武ストアならまだわかるのだけれど)。ひょっとしたら、ギリギリ松戸に映画館があった頃だったりして。年下の友人たちからそんな時代のことを耳にしたことがある。
仕事の帰り、電車に乗ってひとつふたつと川を渡るたびに数えて、という記述があって私も同じように常磐線に揺られていたな、と思い出して胸がいっぱいになる。橋梁を渡るゴトゴトと響く音でだいたいの場所がわかる。酔っ払っていてさえもそうなのだから便利なものだ。
隅田川、荒川、高架下にちらっと見える綾瀬川、うかうかすると見落としがちな中川。私はもう一本江戸川を渡っていたけれど大体は同じだ。明るいうちに見る江戸川沿いは、しんと澄んだ独特の雰囲気があって毎日のことなのにちっとも飽きない。河川敷の緑と、運動場もいい。花火大会のときぐらいしか歩いたことはないけれど、石田さんがトロンボーンを吹きビールを飲みたくなるのはよくわかる。とても気持ちがいい場所なのだ。
そして特に快速電車に乗っているときに車窓で切り取られた荒川の、川とはこんなにも燦然と輝くのかと毎度思わずにいられない姿と、石田さんのこの小さな第一作品集は重なって見える。確実に、このときしか残しえない何かがあるように思えて仕方がない。それを確かめるためにも、他の本も少しずつ手にとって見ようと思う。
この本に収められた、百閒のように歩幅の狭い、鮮やかな文章がとても好きだし間延びしない独特なペースに心動かされる。
最後に左官職人の現場を活写した一編がありそれがズシリと重みを持っている。淡々と記されているようだけれど、その静けさとは対照的な濃密な空気が窺える。白と黒のポートレートとでも言えばいいだろうか。
文庫版あとがきが、あとがきのあとがきのようにも読めて楽しい。
ここまで書いて、石田さんがこの本を書いた時期といまの私の歳は限りなく近いのではないかと思い当たる。特段意味はないけれど、そのような符号に小さくにやりとしてしまう作品だと思う。今読めて本当に良かった。
最後に少し気になるところ。どうして上野、谷根千、御茶ノ水が出てこないのだろう。意図的に排除されているようでそういうところも惹かれる要因なのかもしれないな、とひとりごちる。
金町に住んでみようかな。あるいは亀有に。あてのない気持ちが再び首をもたげている。

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