おみやげを二本指で挟んで投げる-②
前編はこちら。
ここでは道の駅やローカルスーパーでのお土産の選び方を話すていで、以前住んでいた沖縄の良品を見せびらかす。
道の駅でお土産を探す時、俺の目は「整い」を排除するモードになる。
「整い」というのはいわゆる大量生産的な、整ったパッケージのことだ。
ここに構ってしまうと、王道を掴んでしまう確率がグンと上がる。
道の駅は本当に地元でしか消費されていない、知られざる良商品が多いため、プレッシャーのかかる現場だ。ハズレを引くわけにはいかない。
大事なのは整っていないこと、そしてお気づきの通り「余白だらけ」なことである。
余白を埋めるのは想像力以外にない。
「これは一体何でできているんだろう」
「どういうバックグラウンドでこれを作ろうと思ったんだろう」
この自然と湧き立つ想像力とそこから立てる仮説こそが、このお土産選びならではの贈り手・受け取り手のコミュニケーションである。
贈った後もどんな味だったか自然と会話が起こる。
定番品は「行ったことを伝える」ことが目的になるためあんまりこういうことはない気がする。
ローカルスーパーでお土産を探す時、俺の目は間違い探しを始める。
一歩外れたお土産選びには道の駅の他にローカルスーパーも有効だ。
ただ、ローカルスーパーもスーパー。
普段使いしている人がいる。
残念ながら日常生活を少量生産のもので支えることはできない。
故に、大量生産品の中から宝を見つけ出す能力が必要になる。
俺のイメージは間違い探し。
目をどうにかして2つの絵を重ね合わせ、間違いを探すあの方法のように、いつものスーパーとそのスーパーの景色を脳内で重ね合わせる。
すると不思議、ローカルスーパーのローカルな部分を炙り出すことができる。
どうだろう。
効率よく作られ、リーズナブルな値段で、適切な販売戦略を施された商品が溢れる昨今。
もはや主要な特産品は自宅に帰っても近所の百貨店で買える昨今。
せめてお土産くらいは、その土地の背伸びしない姿を外に持ち出す役割を背負ってもいいのではないだろうか。
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