もんもんもこもこ

もんもんもこもこ

最近の記事

退屈ズ

夏なんですを聴きながら、ボアダムズというバンド名について考えていた。 「日傘ぐるぐる、僕は退屈」 あのような爆音の中には、耐えられないほどの退屈な精神が存在していて、どのような音を出してもそれを紛らわすことのできないもどかしさが潜んでいる。 不幸にして、あるいは幸にして、自分の先にある空白の人生を目の前にして、僕は死ぬほど退屈している。おそらく、これだ。この精神性が音楽を作り出すのだ。 子供が欲しいと思っていた。誰かと結婚して人並みの幸せな人生を送ってみたいと思っていた。けれ

    • 水たまりの宇宙

      保育園に通う道の途中に、雨になると水たまりができる場所がある。 それは道沿いの家の雨樋の下で、きれいな丸石が敷き詰められてそこだけ少しくぼんでいる。雨になるとそこに透明なきれいな水が溜まり、なにか生き物が住んでいそうな雰囲気になる。 子供の頃の僕は、そのような場所には自然発生的にサワガニやメダカやオタマジャクシやなんかが、生まれるのだと思っていたのだろう、雨になるたびになにか生き物がいないか覗き込んでいた。 それは子供っぽい勘違いとも言えるが、もっと大きな規模や時間においては

      • 選択

        子供が生まれることは祝福すべきことだし、めでたいし、自分の人生に新しい活力や風を送り込んでくれると思う。 でも、子供を産まないという選択をすることで、好きな年上の女性とずっと一緒にいるという選択肢ができたり、結婚する年齢やキスをしたいかどうか(性的魅力を感じるか)で、相手を選ぶ必要がなくなる。 セックスのない夫婦生活は淡白で、淡々とした日々が続く静かなものかもしれないが、それもまた良いと思う。 休みの日は一緒に好きな映画を見たり、サーフィンをしたり、子供を育てるための時

        • からっぽの箱

          好きな女の子に教えてもらった本を別の女の子に教えたりする。自分のセンスで選んだものではなく、じぶんは空っぽの箱で外から入ってきたものをそのまま出している。 これに若干の罪悪感がわくのは、入ってきたものを発酵させるプロセスをすっ飛ばしているからだろう。好きな女の子→自分→別の女の子、ではなく好きな女の子→別の女の子、でも問題ないわけだ。ただ自分は通路になっただけ。 箱に入ってきたものを自分の中で留めておくと、やがて発酵していい感じになる。できればその状態で人に渡したい。でも

          人間エミュレーター

          あのちゃんをみていて、普通の人みたいに恋バナをしているのだが、その恋というのはおよそ常人の恋とは全然違うものなので、いつか話が噛み合わなくなってしまうのではないかと思ってヒヤヒヤする。 自分も会話をする時は、普通の人はこういう経験をしているものという大前提のもとに会話がなされるので、人間エミュレーターを動かしながら会話をするのでいつもヒヤヒヤする。 それであのちゃんのように、あたし高校行ってないからーというように言うことはできない。人はとにかく共感できる話題を求めて、他者と自

          人間エミュレーター

          創作と雑談をシームレスに繋ぐ音声SNS

          SNSは文字ベースで作られてきた。 文字であれば声を出せない環境でも読み書きできるし、情報伝達という意味ではそのほうが良かった。けれども人と人とが交流する場面においては、対面 > 音声 > 文字という順になる。 それは自己表出から指示表出への一つのスペクトラムと捉えても良い。 空間があってそこに人が集まる。何も発さなくても存在自体が自己表出なので、その時点ですでにコミュニケーションが発生している。それが文字になると情報はどんどん意味的になってくる。無駄なものが濾過されて、必要

          創作と雑談をシームレスに繋ぐ音声SNS

          会話の練習によって詩的表現を失う

          例えばあのちゃんの話し方は、自己表出性が高く、詩的で、誰かが言った言葉の反復ではなく、その時々で生成されている言葉という感じがする。言葉数は少ないけれど、一般常識を答えているのではなく、その場で考えたことを話しているという感じ。 だからみんな、あのちゃんが何を言うか気になる。定石のお笑いトークではなく、突拍子もないことを言うから惹かれてしまうわけだ。 スタエフで水の人の配信を聞いていたが、収録の放送はとても詩的で自己表出性が高く、聞く人は少ないが、とてもいい配信だった。それが

          会話の練習によって詩的表現を失う

          恋愛とコミュニティ

          コミュ力向上のためのコミュニティづくりという体の良いお題目を考えて実践しようとしたのだが、人と話しているとその人のことが好きになってしまって、その人がほかの人と話していると嫉妬してしまうという地獄絵図のような状況になってしまった。 これはどうしたらよいかわからない。本来の目的があって、各々その目的のために頑張っているのにそれを応援できないという状況はかなりまずいのだ。やはり人形と話すしかないのか? 限りある存在が素手で永遠に触れようとした報い。 僕は、10歳も離れた女の子に手

          恋愛とコミュニティ

          人形遊びと遊戯の感覚

          プレイの楽しさは、突き詰めると子供のころにしていた人形遊びに行きつくのではないか? 三島由紀夫と東大全共闘がゲームと遊戯という言葉を使って話していたけれど、三島は遊戯はゲームを日本語に訳したものだというが、全共闘側は遊戯とゲームは全く違うものだという。 風俗の場合、どこかプレイというのは後ろめたいものになる。しかし、まったく健全にプレイをすることだっておそらく可能なはずなのだ。 大人になってから人形遊びをすると、どこか人形遊びをしている自分という自意識が表出してしまって、恥ず

          人形遊びと遊戯の感覚

          暇と退屈のアート&クラフト

          来るべき暇と退屈の時代に備えて、自分はなにをすべきなのかを考えている。 おそらく、自分が仕事でしている作業のほとんどは、AIによって自動化される運命にある。だから、僕のこの作業はそれまでのつなぎでしかない。 一旦自動化されてしまったら、あっという間に作業が終わってしまう。人はこれまで如何に効率化して時間を短縮するかということばかり考えてきたが、そうして効率化してできた余暇をどうするかというのをまるで考えてこなかった。 これまで共産主義革命などにより、働かなくてもいい時代という

          暇と退屈のアート&クラフト

          春の風と希死念慮

          自ら命を絶ってしまった子に、なんて声をかければよかっただろうか。 彼女の絶望の大きさについて、僕は何もわからない。どのような性質のものであったかも想像することしかできない。 あるいは言葉ではなく、焼肉と温泉とフカフカのベッドなのか。「生きてりゃいいことある」って、そんな言葉よりは実効性が高いかもしれない。 けれども、突発的にやってくる不安感や焦燥感、希死念慮は、ぼんやりした不安というのに近いもので、上記のものは効果がない気がする。僕の場合は、このまま結婚も子供もできず、う

          春の風と希死念慮

          風俗日記

          「お金を払えば女の人を抱ける」というのは、本当にすごいなと思う。ここで社会的な搾取の構造やら、貧困、ジェンダーの問題を、「問題」にしたいわけではない。 本来、女の人に触れるためには社会的、心理的な壁が存在する。コミュニケーション能力の不足や、セクハラの問題、まずは食事に誘って月が綺麗ですねを10倍に薄めたようなやり取りをして、相手を傷つけたりハラスメントにならないように気をつけ、自分の社会的立場などなど考えなければならないことが山ほど存在する。 それをたった数千円払うだけで

          循環本構想

          寂れた街には本屋がない。人がいないからだ。 僕の街もそうだ。本を読む人がいなければ、本は存在しなくなる。 このような街に本を取り戻すにはどうすれば良いか? 地方の寂れた街で、新刊本を他の本屋と同じように売るというビジネスモデルはもはや成り立たなくなっている。 できれば神保町のように街全体を大きな本屋にしたい。散歩をしていると、いたるところに本屋があって、コーヒーを飲んだり、髪を切ってもらっている間に本を読めるのだ。そのためには、まず本好きの人たちの本棚に眠っている本を提供

          クズ会

          会社の飲み会で、クズ会というのがあった。 会社の中で、自称クズな人間が集まってひらく飲み会だった。 僕はカーストの外側の人間だったから、そこにすら入ることが出来なかった。 けれども、クズ会というのはとても甘美な響きだった。なんで居心地が良さそうなんだろう。 ホームレスというのも、僕にとっては美しく感じられる。子供の頃は、ホームレスが主人公の4コマ漫画を描いていたし、いつか自分もその仲間になれるのだと思っていた。 実際には中途半端な、社会人になってしまって、憂鬱な日々を送ってい

          自分のくだらなさについて

          蟾蜍は目の前の石を乗り越えずに、回って避ける。自分は蟾蜍と同じなのだと思えば、いよいよ自分のくだらなさ、情けなさに呆れてくる。 人間失格の主人公の気持ちが、10代の頃はわからなかったのだが、それはまた別のタイプのダメ人間だったからで、ようやく自分も蟾蜍的ダメさが理解できる年齢になったのだろう。 迂回しすぎて、逃げすぎて、その行先が蟾蜍なのだ。怖くて、怖くて、逃げた先に待っているものがこれなのだ。 そんな、くそくだらない人間が婚活などしてみるも、やはり自分のくだらなさが身

          自分のくだらなさについて

          体調不良で休みます

          いよいよ右手のリウマチがひどくなり、以前は2ヶ月周期で数日痛む程度だったのが、この頃はずっと痛く、痛みがやわらぐ日が2ヶ月の中で数日ある程度になってしまった。 この右手はほとんど不能である。できることが、あっという間になくなってしまった。PCの操作も、食器を洗うのも、洗濯物をたたむのもこの頃は億劫で、ついつい溜め込んでしまう。 音声入力や自助具など、手が使えなくなっても操作できる方法を試してみるも、なんだか気力自体がなくなってしまったような気がする。なにかをするのがだるくてし

          体調不良で休みます