自分のくだらなさについて

蟾蜍は目の前の石を乗り越えずに、回って避ける。自分は蟾蜍と同じなのだと思えば、いよいよ自分のくだらなさ、情けなさに呆れてくる。

人間失格の主人公の気持ちが、10代の頃はわからなかったのだが、それはまた別のタイプのダメ人間だったからで、ようやく自分も蟾蜍的ダメさが理解できる年齢になったのだろう。

迂回しすぎて、逃げすぎて、その行先が蟾蜍なのだ。怖くて、怖くて、逃げた先に待っているものがこれなのだ。

そんな、くそくだらない人間が婚活などしてみるも、やはり自分のくだらなさが身体に染み付いてしまっていて、マッチングはしないし、マッチングしてもこんな人間に時間を使わせるのが申し訳ない気持ちになってしまう。

自分の経済力では、そもそも結婚して子供を育てるなんて無理なのだ。精神もいつも不安定で、こんな状態の人間が人の人生に責任をもつことなんてできない。

自分が守れるのは、精々子猫程度だ。人間だったら、自分が相手の全てを守ることはできなくて、部分的に支えることしかできない。自分の小さな力で愛情を誰かにまっすぐ注ぐことが出来れば、それで充分だろう。それでいいじゃないか。僕は貧乏になりました。

これは、まったく、ひどいぞ。話にオチも何もない。人間失格の主人公は最期どうなったんだっけ。

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