「書く言葉」とは
書く言葉とは
言葉は書くことで表現する方が難しいのではないだろうか
このnoteの記事もそうだが、書くことで伝える事はとても難しい
顔が見えない相手に向かって、書くことによりどうやって受け止めるのかを考えながら、言葉を書くことになる
私は昭和生まれなので、よく手紙も書いた経験がある
同じ書く言葉でも、手紙はひと味違う
なぜなら・・・筆跡は人それぞれ違うから
書く言葉にも、書いた人の魂がしっかりのって伝わるのが、手紙による書く言葉である
楽しい時や嬉しい時は、自然とペンが走るものである
それがまた、筆跡にも表れるから
えっ、そんなに違うの、そう思う人もいるが、自分で書いた言葉は、必ずと言っていいほど、書いた方の思いが伝わって、文字になっている
悲しい時、苦しい時、辛い時、自らの文字で書いた言葉には、その時の感情が自然と湧き出てくるからだ
でも、そこから書いた人の思いや、感情を読み解くことができる
わずかな変化、言葉の言い回し、筆跡、筆圧、いろいろなところに変化が出てくる
しかし、今は、なかなか手紙を書く機会も少なくなってきた
自分で書いた言葉で、気持ちを伝える方がむしろ楽な道かもしれない
デジタル文字による書く言葉
今まさにnoteに書いているのは、デジタル文字による書く言葉である
私は学生時代、卒論は手書きにより完成させた
1993年頃なので、すでにパソコンやワープロがあり、周りの友人は、デジタル文字による卒論を提出していたのに、私は、どうしても手書きにこだわった
何度も何度も書き直し、効率も悪かったと思う
しかし、どうしても、手書きで仕上げたかった
なぜなら・・・当時の卒論のテーマが、稼業の「印刷」に関わるテーマであり、正直、会社のパソコンは、専門の組版システム(今でいうDTPソフト)を借りて仕上げることも、仕上げる技術も私にはあったのに、手書きで完成させたかった
大学卒業の集大成に、私自身の気持ちを「言葉」に乗せたかったから
わからない言葉があれば、辞書を引く
辞書から引いた新しい言葉に出会う
卒論を仕上げるにあたり、当時の会社の工場長に印刷に関するヒアリングをする
ヒアリングした内容をまとめるのに、デジタル文字にしてもよかったかもしれない
しかし、50年以上のベテラン印刷オペレーターの先輩の「言葉」は、積み重ねてきた苦労や思いがたくさんあり、それを受け取った私としては、なぜか、私なりに解釈した、私なりの言葉で表現したかった
そのためには、自分のペンで、自分の文字で、自分の「言葉」で表現することが、長年、父を支えてくれた業界の先輩の思いを、卒論に乗せるのに、必要なことだったのかもしれない
今は、当たり前のように、デジタル文字が使われている
このnoteも、LINEも、生活する上で欠かせないものになっている
LINEスタンプや、絵文字、感情の表現は、デジタル文字上で幅広く表現出来るようになった
でも、本当に伝えたい「言葉」、そう、「言葉」は文字だけではない
「言葉」には、感情や思いが乗り移るものである
だから、デジタル文字では限界があることに、いつも葛藤がある
「書く言葉」
手書きもデジタルも「書く言葉」は同じだ、伝わり方、表現の仕方は、まるで違うものである
「書く言葉」については、もう少し、深掘りしていきたいと思う