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み ず う み

降りしきる雨、水気を含んだ空気、蛍光灯の照らす教室。

陽のささない、どんよりと曇った窓外の景色は白っぽい灰色で、本来ながれているはずの時間を読めなくしている。


雨は、きらいじゃない。


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私はうとうとしながら、意識の外側で先生が連絡事項を話すのを聞くともなく聞いていた。終礼中の、しんと静かでもったりと進む時間には、いつも眠気を誘われてしまう。終わると同時に椅子をひく音、友達を呼び合う声、鳴り響くチャイムと、一気に音が流れ込むその前の、ひとときの静寂。嵐の前の小休止。

毎日そんな調子だから、私はあっさりと大事な連絡を聞きおとして、たとえば誰もいない学校に登校してしまったりもする。

「明日は臨時休校です。」

ああ、そんな音が、なんとなく聞こえていたような。

終礼も終わりに差し掛かり、そろそろこの重たい眠気を振り払って、気分を帰宅モードに切り替えなければならない頃合いだった。私はなんとか薄目を開け、窓の外の様子をうかがった。今日の雨は、ぱらぱら、でも、ざあざあ、でもない、さあああ、という感じの雨。一向にやむ気配がない。

しっとりと地上を包みこむように、細くて透明な直線がいくつも重なって落ちてくる。細かな雨に空気がけむって、薄っすら霧がかったように、白い。いつもなら部活の学生達が走り回っては砂けむりを巻き上げているグラウンドも、この霧のせいか、どこか夢の中でそっと息を潜めているようだ。それにしても今日の終礼は、やけに長く感じる。せっかく振り払った眠気を、私はまたひきずり出して、再び舟を漕ぎ始めた。



ん・・・? 
あれ、舟って・・・・舟??


薄目にぼんやりと映る外の景色の中に、白い帆をあげた舟のようなものがこちらに向かって進んでくるのが見えた気がした。でも、そんなまさか。
ここは東京の郊外にあるごく普通の中学校で、この教室の窓から見えるものといったら、サンドベージュのグラウンドと、ささやかな花壇、数本のイチョウの木ぐらいのものだ。いくら雨が降り続いて、水たまりがたくさん出来ているとはいえ、ここはまだ、海ではない。私はまたしても、のんきに夢でも見ているのだろうか。終礼中に、大事な連絡を聞きおとしながら。



ゆっくりと目を開いて、もう一度、グラウンドの端の方に目を泳がせてみる。
やっぱり、見まちがいなどではない。こちらに進んでくるそれは、どこからどう見ても、舟なのだった。ヨットをひとまわり小さくしたくらいの、真っ白な一艘の舟。そんな舟が、霧のかかる海の上に、ぽわんと浮かんでいた。


私はまじまじと、吸い寄せられるように外の光景に見入った。水たまりのグラウンドは、いつしかたっぷりと水をたたえた海に変わっていたのだった。

幾千もの雨粒がつぎつぎと波紋を作っては、飽くことなく水面にさざ波を立てつづける、ブルーグレーの小さな海。いや、校舎とフェンスに囲まれたその海は、海と呼ぶにはいささか小さすぎる。


それなら、これはみずうみだ。


いつのまにか私は、終礼のことも、大事な連絡のことも、先生のことも、友達のことも、帰りの電車のことも、綺麗に忘れていた。まだ日暮れには早い時間だったが、太陽が不在の、明るいような暗いような空を眺めても、今が昼なのか夜なのかはっきりとしない。窓の外には、雨と、みずうみと、一艘の舟。


ここがどこで、
今が何時で、
私が誰で。



それら全てが、細い細い直線のヴェールに包まれてゆく。

霧雨にけむった空気に、世界は、白く白く染められる。



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ふいに、胸がきゅっとするほど懐かしくなって、目を閉じる。目を閉じても、瞼の裏に、あのみずうみが見えていた。


私のみずうみ。雨の海。
私は真っ白い舟になって、ゆらゆらゆらゆら、揺れている。


雨は、きらいじゃない。



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