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かわいい終末

 土曜日の朝だった。階下に降りてリビングに入ると、もう夕方くらいの明るさで、時間の感覚がわからなくなった。階段を数段降りただけで、日が暮れてしまったような感じだった。父と姉がそわそわと窓の外を伺いながら、険しい顔つきで、ようやく起きてきた私の方を振り返る。母はこちらに背を向けて座り、何かを考えているようだったが、その表情は私には見えなかった。


「おはよ・・・う」
「いよいよ来たな」
「なにが」
「周りは殆ど、もうやられてる」
「やられてる?」
「宇宙光線だよ」


 宇宙光線。どういうものか何となく想像はつくものの、あまりその解釈には自信がなかったので、私はとりあえず父の眺めている視線の先を辿った。見ると、ビリビリと稲妻のような光線が空のあちこちで沸き起こっている。その無数の光線が、灰色の雲に覆われた空を黄色や緑やラベンダー色に染めていて、辺りは薄暗いが上空の方だけは明るかった。


 その稲妻のような光線は、次々と生まれては宙を切り裂き、ドゴゴゴゴという凄まじい音を立てて地上に向かって落ち続けていた。まったく落雷と似通った、地を震わせるような轟音が、そこら中で鳴り響いている。こんなにすごい音なのに、なぜ自分はついさっきまで一度も目を覚ますことなく眠っていられたのだろう。こんな異常現象の最中に、何の警戒心もなく眠っているとは、あまりに呑気すぎる。とは言うものの、この異常事態を知ってからも、これといった動揺も起こらず、どこか他人事のような気分で私はその場に立ちすくんでいた。


「隣の〇〇さんの家も、向かいの〇〇さんの家もやられたらしい。聞こえなかったの、凄い音」
「・・・そうなんだ」
「本当に聞こえなかったのあの音が」
「うちにもそろそろ落ちる」
「早く、テーブルの下に避難だ」


 家族は揃ってテーブルの下に這い込み、すっかり姿を隠してしまった。テーブル掛けなどこれまで家では使わなかったのに、この日はテーブルに大きな布が掛けられていた。その下に入ればもう完璧に安全だとばかりに、揃って息を潜めて布の下へと潜っていく父と母と姉を横目に、私は一人窓辺に取り残された。相変わらず、宇宙光線はバチバチと光を飛散させながら、空を明るく照らし出している。辺り一帯の薄暗さと空の明るさはまったく対照的で、そうした状況の異様さに、かえって私の気分は高揚し、テーブルの下にじっと隠れているのは勿体無いような気持ちだった。


 家族がみんなテーブルの下に隠れてしまった後は、それきり急に静かになった。さっきまで「何ぼんやりしてるの」「早く」「テーブルの下に隠れなさい」などと私を呼んでいた声も聞こえなくなり、周囲に落ちているドゴンドゴンという落雷によく似た轟音もまばらになった。もう、あらかたこの町の人々の家は、光線にやられてしまったのかもしれない。周り中の、かつては家のあった場所から、煙が立ち昇っているのが見える。焼け落ちた家々から昇る火明かりが、大気の色をどす黒く終焉じみた赤に染め、焦げた匂いを漂わせていても、まだ上空では薄い桃色や黄色やラベンダー色の電流が雲を可愛らしく色付けていた。ゆめかわ。それを見ていると、そんな場違いな感想が思わず浮かんでしまう。シナモンをふりかけたような桃色の雲に差し込む、ラメ入り塗料のような薄紫の稲妻。まるで原宿で売っているピンクのコットンキャンディみたいだ。そこにユニコーンや星のついたステッキが不意に現れて、好き勝手にくるくる回り出したとしても、全然おかしくないようなポップさだった。



 私はいつになく浮き立ちながら、もう隠れない、と心に決めた。どうせ、宇宙光線なんてものが落ちてきたら、ちっぽけな我々人類はテーブル諸共、木っ端微塵に粉砕されて、あるいは地中深くまでズドンと埋め込まれて、気づいた時にはもう空の上にいるはずなんだから。だったら、この世界を最後まで、しっかりとこの目に焼き付けておきたい。私は普段の何倍も愛を込めて、焼け残った木の枝の一本一本、葉の一枚一枚、塗装の剥げた壁に沿って絡まる蔦、物干し竿、ベランダの手すり、干されたままの洗濯物、苗木の枯れた植木鉢、ひびの入った窓硝子、電信柱と電線、少し遠くに立つ鉄塔、そこら中に立ち昇る煙、古びた室外機、避雷針などを、とっくり時間をかけて眺めた。その後で、まだ何も荒らされていない家の中の家具や調度品、冷蔵庫やテレビやコンロなどを、そんなものを初めて見る人のように丁寧に見ていった。きっとあの宇宙光線は、まだ私たちが密かに息をしているのを知らないんだ。それとも、しばし油断させておいて突然落ちてきて、やっぱり私たち家族も、家ごとズドンとやられるんだろうか。ああ、もう少しで、この世界とはさよならだ。周囲が段々と明るさを増し、ドゴンドゴンという音も遠く霞んで、白っぽくなった視界に映る空は、治りかけの痣のようでもあり、相変わらずゆめかわいく思えた。私はまったくうきうきした気分で、自然と表情が緩んでしまうのを抑えもせずに、それらを見ていた。終末は、思っていたよりずっとかわいかった。

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