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看板から文化を論じてみよう

まずはこちらの写真をご覧ください。

近所の100均の看板




田舎のあるあるとして、
看板が長いことそののままになっている、
ということが挙げられます。

これは大手企業の店舗とて
例外ではありません。

どうですか、
この有名100円ショップの看板。
僕の家の近所にある店舗のものですが、
まるで地獄の一丁目みたい。

いや、
別にディスっている訳ではないのです。
自分はこの強制的エイジングされた
感じがたまらなく好きなのです。

※一時期ネットで話題になった、
経年劣化でホラー映画広告みたいに
なったヨコハマタイヤの看板は
ちょっと行き過ぎですが……。


時間の浸食によって「陰」を宿し、
それを開けっぴろげにしている
近代文明のガジェットに魅力を
感じるという次第なのです。

僕が現代日本において
一番尊敬している文芸批評家、
浜崎洋介氏が、
『郊外論/故郷論―「虚構の時代」の後に』
という評論のなかで、
一見すると小汚く、暗く、寂しい
古びた団地群から「落ち着き」を
感じた印象を、人々の生死の
営みを含めて、こうまとめています。

『人は、選べないものを引き受けることによってのみ、選び続けることの焦燥(再帰的近代=偶有性の不安)を鎮めることができる』

考えてみれば、
地方文化の少なからぬ部分は、
選べないものを引き受け続けてきた
結果ではないでしょうか。
そこには、忙しい「モダン・タイムス」な
現代人の不安や焦燥を癒す
落ち着きのエッセンスが、
たくさん詰まっているように思えます。

そう、
この街角の100円ショップの看板にも……。



……と、
感動的に締めくくったところで、
加えて何を言いたいかというと、

セリアさん、
勝手に看板の写真使ってごめんなさい。

いっぱい褒めたんだから許して。

看板は地獄の一丁目状態ですが、
ここの店長はすっごく優しくて
イイ人です(ダメ押し)。

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