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【私の感傷的百物語】第三十三話 黒瀬

沼津市を流れる狩野川に、「黒瀬」と呼ばれる場所があります。沼津警察署の前辺りにあって、文字通り真っ黒で急流の瀬が続いています。普通、河川の下流域は川幅が広くなり、こうした場所は少なくなるのですが、狩野川においては、黒瀬の部分だけ例外的に流れが速くなっているのです。なぜ黒く見えるのかはよく分かりません。水深が深いせいかもしれません。一般的な瀬は浅い場所にあり、川の流れが水面近くの岩などのに当たって白く見えるものです。しかし黒瀬は不思議なことに、水深がありそうな黒色の水面に、瀬特有の白い流れが見えるのです。もしかすると、深い川底に浅い箇所が点在しており、このような状況が生まれているのかもしれません。

黒瀬のすぐ川下には、御成橋(おなりばし)という戦前から架かっている橋があります。市内のお医者さんであった仙石という御仁がこの橋にぞっこん惚れ抜いていて、橋に関する歴史をまとめた本も出版されています。この本を昔読んだ時に黒瀬の話が出ていて、「河童が現れてヒトを引きずり込む」という伝説があると書かれていました。河童伝説が残っているのは、水難事故が起こりやすい場所であると聞いたことがあります。黒瀬の川底が前述のようであれば、危険であったことは想像に難くありません。

以前、この黒瀬のすぐ下にある川辺の茂みに、網を持って魚を採りに入ったことがあります。護岸の歩道から離れているため、周囲に人影はまったくありません。マンションの間から流れ込む水路から、うっすらと油が浮いていました。網には川エビとボラの子供くらいしか入らず、僕は魚の潜んでいそうな場所を探して、川上にある黒瀬へとどんどん近づいていきました。
ちょうど、川の蛇行点に背の高い草が生い茂っている部分がありました。その先が黒瀬になっている訳ですが、採集に夢中になっていた僕は、その辺りへ足を踏み入れました。途端に川の深さが増して、ゴム長を履いている腰ギリギリまで水が迫ってきました。慌てて踏ん張ろうと思ったのですが、足はずるずると川底の泥に沈んでしまいます。僕は草の茎へと必死にしがみつくことで、なんとかことなきを得ました。

浅瀬へ戻ってから黒瀬の方面に目をやると、黒い急流の川面が、なんだかとても恐ろしいものに見えました。そこからいつ何時、水かきのついた緑色の手が伸びてきてもおかしくないような、そんな風に思えたのでした。

黒瀬の近くで見つけた看板。
カッパは悪にも善にもなるらしい。

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