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【私の感傷的百物語】第十一話 興津川

静岡県静岡市清水区に、興津(おきつ)川という川が流れています。アユ釣りの名所として知られ、JR東海道線の由比駅〜興津駅間で、電車の車窓からも眺めることができます。

この川を河口からしばらく遡ると、「立花橋」という石造りの古い橋が架かっています。この横に、川辺へと下りていく道があるのですが、周囲はすでに急流の様相を呈(てい)しています。僕は高校生の時、興津に住んでいた友人からこの場所を教えてもらっていて、とても気に入っていました。そして大学生になってから、ふと、深夜この場所に行ったらどうなっているのか好奇心が湧いてきたのです。丁度、興津川の年間遊漁券も買っていたので、日が暮れるのを待って、当時、三保半島にあった学生アパートから、釣竿片手に立花橋まで自転車を走らせました(学生時代は、よくこうした突飛な考えを、大した準備もなしに実行したものです)。

現地に着いてまず驚いたのが、昼間と全く雰囲気が違うということです。橋の上の街灯が、ぼう、と路面を照らしているほかは、明かりは一切見えません。まして橋下の川辺は真っ暗闇で、ザアザアという水音だけがはっきりと聞こえてくるのでした。当然、他に人影はまったく見当たらず、僕は尻込みしてしまいました。ですが、せっかく釣り道具一式の準備までしてここまで来たのだから、せめて川まで下りて釣り糸を垂らしてみようと、周囲に生い茂る草木をかき分けつつ、闇の中へと入っていきました。

岸から水面を見ると、上流の流れの急な部分は、まるで怪物が暗闇を駆けているようで恐ろしかったです。しかし、自分の足元近くは水の流れが比較的穏やかで、そこに橋の上から漏れてくる街灯の灯りが跳ね返り、淡くキラキラと光っていました。その姿が、実に幻想的で美しかったと、印象に残っています。釣りの方はというと、僕が夜の川釣りに不得手だったこともあり、一匹も釣れませんでした。

一時間くらいがんばったでしょうか。怖いし、魚は掛からないしで、諦めて帰ろうという気分になり、僕は再び自転車まで戻り、走り出しました。いざ帰るとなると、なぜか釣りをしている最中よりも恐怖が湧いてきて、なんだか不思議に感じたものです。川沿いに海まで下る途中で、ミカン畑と人家の間を通る道があるのですが、そこを一生懸命に走り抜けていると、突然、畑の中から

「んーんーんーーーんーんー」

という、男の低い声が聞こえてきました。声は、歌っているようだったと記憶しています。その時の自分自身の驚愕ときたら、ちょっと尋常ではないものでした。完全に不意を突かれたカタチだったので、僕は顔面蒼白となり、ペダルにありったけの力を込め、大急ぎでその場から逃げ出しました。家に着いた時には、もう日付が変わっていて、疲れ果てた僕は玄関に倒れ込み、そのまま這うように寝床へと向かったのでした。幸い、先ほどの声の主は追ってはこなかったようです。

今考えてみると、農家のおじさんが「どどいつ」の練習でも自分の畑の中でやっていたのでしょうか。いや、深夜で灯りのないミカン畑でやる訳はないでしょう。いやいや、そういった環境で集中できる性格の人だったのかも……等々、未だにあの声がなんだったのか、自分の中で解決がつきません。友人の怪奇マニアSDK君は
「それはきっと妖怪「小豆(あずき)洗い」の仕業だ!」
と、目玉の親父のようなことを言っていましたが、ただ一つ言えるのは、僕が夜の川辺の雰囲気にすっかり飲まれてしまっていたということです。恐怖で精神が憔悴したところにあの声がきたために、その不気味さは普段の夜道から聞こえる声・音よりも、何倍にも増幅されて感じたのでしょう。

夜の川は、怖いのです。


歌川広重の描いた興津川の風景。


竹原春泉の『絵本百物語』に描かれた「小豆洗い」。
小豆を洗いながら歌うこともあるという。

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