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【私の感傷的百物語】第三十六話 ガード下

一時期、週に何度も自転車で町のガード下を通っていました。当時の僕は精神的にかなり不安定なところがあったのですが、この場所を通る時、僕はそういった揺れ動く気持ちを、じっと確かめていたのでした。

ガード下は、上を線路が走っており、歩行者用通路からさらに掘り下がった部分を車が往来しています。両方の出口付近はどちらも坂になっていて、印象としては一度、地下へと潜り、再び上がっていくといった感じでした。壁全体はクリーム色に塗られ、その頃はそこに近隣の学生が(おそらく市のイベントで)描いた絵が、そのまま残されていました。全体的に薄暗い場所で、煤のような黒い汚れが、天井や車道側のあちこちに点在しています。日によっては、これらが妙に気になったものでした。

快い日、悲しい日、憂鬱な日、イライラする日、いろいろな気分の日がありましたが、ガード下を通ると「ああ、自分は今日、こういう気持ちなんだな」と再認識することができました。そういう意味で、ここは自分の感情を反映する鏡のような場所だったのです。
ただ、一度だけこの場所で「構造物の側から」僕の感情へと、何かを訴えかけてきた……そう感じた日がありました。

冬のある夕方、雨が止んだばかりで、風が強い日でした。僕が自転車を押しながらガード下へ入ると、後ろから風が吹いてきて、首筋を撫でていきました。この日の自分の感情は、少し憂鬱、といったところでした。いつもならば、通路を歩いていくうちに気持ちの整理がつくのですが、その時は入り込んでくる風の冷たさのためか、なんだかモヤモヤとしたものが胸の内に残っていたのです。僕は嫌な心持ちになって、すぐにでもガードから出てしまいたくなりました。しかし、前にはいく人かの歩行者の後ろ姿が見えます。学生か、サラリーマンか。とにかく、道が狭いのでわざわざ追い越すのもはばかられます。嫌な気持ちを引きずったまま、ガードを半分まで来たところで、僕はふと、天井を見上げました。なにを思って上を向いたのか、今でも分かりません。

途端に、僕はぞくりとしました。天井のコンクリ部分一面に、気温や湿度の関係で生じたらしい、無数の水滴が浮かび、外から吹き込んでくる強風で、一斉にゆらゆらと揺れていたのです。実際は、天井の塗料が水滴のように変形した部分もあったので、僕が思ったほど大量の水滴はなかったのかもしれません。ですが、その時の僕の目には、おびただしい量の水滴が頭上を覆っていて、まるで不定形の生き物のように何らかの感情を発露させているかのように、確かに見えたのです。

ああ、いつも自分の感情を教えてくれるガード下の空間が、今日は珍しく、向こう側から、この生き物のような水滴群を使って、なにかを伝えてきている。どうしたのだろう。寒いのだろうか。それとも、お祈りをしているのか。

僕は徐々に恐ろしくなってきて、顔を伏せてしまいました。周囲の通行人は誰もこの天井の状況に気づいていない様子でした。そこからガードの出口まで、僕はずっと下を見ていました。不快な気分は、いつしか巨大な構造物への畏敬の念に変わっていました。無生物の感情。そんなものが事実として存在しないことは百も承知ですが、もしも、普段は人の暮らしを支え続ける、もの言わぬ存在が、時おり動物的激情を(自然の力を借りて)見せるとしたら、それは人間が受け止めるには重く、深く、広大すぎるのではないでしょうか。

地上に出て、再び全身に風を取り巻かれながら、僕はずっと、取り憑かれたようにガードへと思いを馳せていたのでした。

ガード下を通る際は、今でもどこか特別な、非日常な空間に居るように思える。

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