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【私の感傷的百物語】第二十八話 雨漏り

「仄(ほの)暗い水の底から」という恐怖映画があります。離婚調停中の母と娘に、水に関わる様々な怪奇現象が襲いかかる、という内容です。ストーリーはあまり好きにはなれませんでしたが、秀逸なタイトルと、黒木瞳さんをはじめとした出演陣の演技、そしてなによりも、水滴や水たまりが徐々に広がって追ってくるという「水の恐怖」の着眼には、震えながら脱帽の思いでした。

以前、戯れに読んでいた東洋健康術の本に、インドの伝統医学・アーユルヴェーダの権威が来日時、

「日本はなんと「水(カパと呼ぶらしい)」の気が強い土地だ」

と話したというエピソードがありました。確かに、これほど潤沢な水資源を持つ国ですから、そういったエレメントのようなものが我々の周囲に、普遍的に存在すると言われても、違和感はありません。また、実際の「気」の有無は別としても、雨、渓谷、洪水、霧、雪解け、波、湿気、滝、渦、等々、この国土において数多く受ける水の印象というか、水の持つイメージが、僕らの人間性に少なからず影響を及ぼしているのではないか、とも思えます。冒頭ご紹介したような映画ができた背景には、水と結びついた日本の風土と、それと長い間接してきた日本人の性質が、深く関わっているのでしょう。

そういえば、僕は昔、雨漏りで怖い目に遭ったことがあります。僕はある期間、実家の一階に自分の部屋を持っていました。元は風呂場だった場所に増築でできたため、日当たりは悪く、湿気も酷い部屋です。使っていた兄が、大学や留学に行っている間、僕が利用することになりました(以前ご紹介した、猫の鳴き声で震え上がったのもこの部屋です)。

梅雨時期のこと、雨降る夜に、僕がベッドでうだうだしている際に、ふと下を見ると、床が濡れていました。最初はなにも考えずに水を拭き取ったのですが、どうも水の量が多いのです。よく見ると、その水は壁と一体式になっている戸棚から来ています。怪しいのは観音開きの扉がついた、一番上の段です。そこからじわじわと水が垂れてきており、壁や引き出しを伝って、床まで続いています。まるで気づかれないように忍び込んできたかのようです。僕は、おそるおそる一番上の戸を開けてみました。見ると、天井と繋がっている部分が雨漏りをしていて、戸棚の中に大きな水たまりをつくっていました。

この光景を見て、僕は大いにうろたえると同時に、強烈な恐怖感をおぼえました。その時は、恐怖の正体が分かりませんでしたが、今考えると、僕は水たまりが「血だまり」のように見えていたのだと思います。室内で、普段はありえない場所にありえない量の液体があるという事実。この液体が過剰な想像力によって、透明から赤色へと一気に染まっていくのです。戸棚に隠されていた惨劇を目撃してしまった、そんな錯覚が、僕の体を走り抜けたのです。

すっかり濡れてしまった本や漫画を取り出し、戸棚の中を必死に拭き取っている最中も、不穏な感情は、ずっと消えませんでした。

水は状況によって実にさまざまな表情を我々に見せるものである。

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